
今思ってることって、ほんまにそう?
わたしたちはずっと、怒らないように感じないように訓練してきたから、何かを感じると「そんなことを思ってもいいのか?」「そんなことが許されるのか?」という思考で蓋をしようとする。
そして抑えられた怒りは、他者への攻撃として密かに表現される。
もうそれはいいんじゃないかなぁって思う。
怒りを感じたときに、それを健全に表現する訓練をこれからしていくわ。
怒り以外のどんな感情でも。
訓練の一環として健全な思考を育てるために、これからは書いていこ。
そやって、感じることに集中してみたら、面白いことに、自分の感情だと思っていたものも、親の感情をマネしていただけと気づくのよね。
それどころか、実際は愛だと思ってたものが恐れからきてたり、恐れだと思ってたものが愛からきてたり。
自分はこうだと思ってたものが誰かの評価によって作られた幻だったり。
ジャッジなんて息をするようにしてる。
かわいいよね~~。
わたしは、自分が悪かったことに気づいたし、今でも常に最善を生きられるよう努力することが目標だけど、それも同じように訓練なんよな。
今まで無意識に抑圧する訓練だったけど、これからは、意識して創造する訓練よ。
未来を創造する訓練。
子どもとの関わり方もそう。
子どもの対して「私悪いなぁ」と感じたことの一つに、「子育てって、子どもに育ててもらうことやなぁ」って思ってたことがある。
しかもそれを割と周りの人に言っていてね。
は~~~~っ、はずかしいっ。
大の大人がさ~~~、小さい子どもに育ててもらおうなんてさ~~~、甘ったれにも程があるよな。
それくらい、自分のこころを否定することに必死だったわけだけど、言い訳にもならんよなぁ。
めっちゃしっかり反省して、これからは育て直しですわい。
こころは私は子どものまんまだから、子どもが子どもを育ててる状態よ。
だから、頭の中で大人のふりをした私が、私を否定してきたら「それってほんまなんかなぁ?」と問い返してみると、案外と相手は「えっ、えっ?聞き返してくるん??」と慌ててるから面白いで。
正しくないといけないと浮かんだら「なんで?」って問い返すと「あっ正しくなくていいん??」て割と簡単にあっちも変わるから面白い。
まぁ全部私のこころの中で起こってることだけど。
つまり、心の声、思考の声も子どもの頃の自分自身なのよ。子どもの頃に大人だった人から言われたことをベースにしてるから、大人のふりをしているだけで、子どものまんま。根拠も理由もわかんないけど、言われたからそうなんだよっていう状態。
いや、そんなことないで?って教えてあげる。
そちらの声を大きくしていくのが、創造の声を大きくすること。
このやりとりが案外と楽しい今日この頃です。