「ふぅの会」それから。
これからは肉体のつながりではなく意識のつながりだと思うので、コミュニティの在り方も仮想世界を中心に広がっていくのではないかと予想してます。
相手の気持ちがわかるとリラックスするじゃないですか。
内的世界がSNSを通じて視覚化し拡散しやすい時代なので、人となりが伝わっている相手とは打ち解けるのも早い。だから、まずつながりありきで、そこから物理的に会いに行ったり活動したり。
それが主流になっていくと思うんだよね。
なので、自分の周りだけに限定しなくてもいいと思ってる。
私は月に一度の読書会を開いてるんだけど、その始まりも思い返せばSNSだったな。大元を辿ると10年近く前にさかのぼるけれど。
前回の時に来てくれた方たちがおつかれさんだったので、読書を休んでゴロゴロした結果、いっそこの会を「ふぅの会」にしようって話になりました。
まず、うちから始まる「ふぅの会」ができました。
だけど、「ふぅっ」て身体がほぐれるときは、こころが緩むとき。
それって、忙しく動き回るのをやめて、ずっと続くこころのおしゃべりも止めてホッとできるひと時だと思うのですが、その状態は人それぞれ、だけど私たちみんなに共通するものだと思います。
だから、周りのつながりに限定せずに、ネットでも広がっていけたらいいなと思うので、オンラインコミュニティも作るつもりなんですが、方法わからない、助けて~ドラえもーん。
笑顔を増やしていくと未来が変わると思うんです。
やりたくないことはしないを実践してみたら、すごく健やかなんです。
わたし、去年くらいから欅坂46の楽曲好きなんだけど、彼女らは10代の頃の葛藤なんかをよく歌っていて、「わかるなぁ~、わたしも10代の頃そうやったわぁ」って最初は懐かしむ気持ちで聴いてました。
でも、彼女らの楽曲を発表会で披露している実際の高校生をみていたら、ある時「10代は苦しみ葛藤するのが当たり前っていう社会って、なんかおかしくないか?」って感じたんです。
「この子たちがこんなに、現代のありかたにNO!って言ってるのに、私たち大人は何もしなくていいのかな?」
わかるよー、わたしもそうだった。でもそういうもんだから仕方ないよ、なんて思っていたら、それは「私も苦しんだんだから、あなたも苦しむといい」と言っているようなもので、それって上司としてあかんよね。
「私は苦しんだけど、この苦しみは今の若い子には感じてほしくない」っていうのが、一応この社会の中心となっている大人のマナーだよね。
それが進化だと思う。彼ら彼女らの方が生きていく時間が長いんだから。
だから、社会変えよう!と思ったんだけど、じゃあ具体的にどういうことがいいんだろう?って自問自答しつつ、この前、タカガキヨーコちゃんとお話ししたときに話してみたら「社会まで大きく考えなくても、まず自分が楽しいっていうのが大事じゃない?」って感じの答え。
ほんとそうだなーって思った。
子どもが幸せを感じられるとしたら、それは大人が幸せな社会だよね。
「自分も大きくなったらあんな風に楽しく暮らせるのかな」とかではなくて、今すでにわたしが楽しければ、もちろんわたしたちみんなが楽しい。
これからは、わたしたちという、いかに分母を大きくできるかが大切だと思う。オンラインだったらそれって無限だよね。
今は誰かがツイッターで異を唱えれば、それがみんなの違和感になって、社会がすぐに変わる。
世の中ってちょろい。だから、いつだって疲れる前に休んでいいんだよ。
「ふぅ」っと一息つけば、変わるんだから。わたしたちのチカラは大きい。