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お料理と絵を描くことは似てる。

わたしの場合。

写真は、飯村さんの玄米ヨーグルトと玄米ヨーグルトと米粉のパンです。パンはベーキングパウダーを使った発酵いらずのお手軽パンです。日曜日の朝向き。強力粉ではないからふくらみはいまいちだったけど、おから使ったからふっくらサクサクして外はかりっと中はもちもちでお菓子みたいな感じ。桃のジャムが甘くて美味しいから、パンにお砂糖入れてないけど、焼き塩で味付けしたらほんのり甘い。

何かをハッと思いつくこと、わたしはそれを啓示と呼んでいて、それはそれは大切にしている。啓示は一度きりだからだ。もしそれを見送ったら、どこかへ行ってしまって二度と掴めない。それを実現した未来に。だけど直ぐにできないことも多いから、思い浮かんだことはメモするか、心にとどめておいて、できることから現実化していく。それが私の生活の基盤。

わたしは最近、料理で啓示が下りることが多い。絵を描くとか、ふわふわしたことが好きな人間が、料理っていう生きる根源みたいなものに啓示が下りるのも、面白い話だな、主婦だからかなって思ってたんだけど、料理の手順と、絵を描くことは非常に似ているというか、むしろ同じ事をしていると気付いた。

わたしの場合、絵でも料理でも、着地点があらかじめ決まっていて、そこに向かって徐々に仕上げていく。加熱したり味をつけたり切り刻んだりは、そのままメインの線を描いて、そこに影を足して色を付けていくことと同じだ。大体のゴールが見えてきたら、仕上げに全体を見渡して、細かいところを足していく。三次元か二次元の違いはあれど、目の前のことに集中して、注視して、意識的にエネルギーを加えていく手順は同じだな。

それが発酵。

料理とは、食べるものに加圧してエネルギーを注ぐことなので、それでいえば絵も同じなのかな。そうして仕上がったものは、食べることで体内にエネルギーを取り込むけれど、絵の場合は、目で見ることでエネルギーを取り込むんだな。

どちらも生きるために必要なことなんだ。

きっとどれもがそうなんだ。音楽は耳から、料理は舌から、空気は皮膚から、香りは鼻から。エネルギーを取り込んで私は形作られ、生かされている。人と出会って話をすることもきっと同じだ。

だから、現実とは意識の表れなんだね。

すぐ逃げたくなる人間ですが、どうぞよろしくお願いします。


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