琉球玉手箱とマドモアゼル愛さんの講演会
書きたいことなくなったと書いたら、書きたいことできる不思議。
20日の土曜日に、阿倍野で行われたマドモアゼル愛さんの講演会へ行ってきました。
その日の午前中に琉球玉手箱という、わたしの絶賛激推しお野菜セットが届いたのですが、その中身を見て、長女が「今日のお昼わたしが作るわぁ、茄子のみそ炒め!」と、唐突に言い出したのでした。
講演会を申し込んだものの、お昼づくりもあるし、参加キャンセルしようかなって当日まで迷ってたので、その講演会に行く予定であることは言ってなかったんです。
ですがそう言ってくれたので、「ほな、お母さん今日はこういうもんに行ってくるから、三人でお昼食べてもらえる?」というと、OK貰えました。
娘は初めてのクッキングでめちゃうれしかったみたいだし、わたしはそのおかげで講演会に行けたし、琉球玉手箱さま本当にありがとうございます。
長女はいつ習ったのかしら?というぐらい器用に包丁を使って、茄子とペコロスとニンジンを切って、友達の今ちゃんが手作りしているベーコンとともに油でいためて、みそとみりんとしょうゆで味付けをして美味しいみそ炒めを作ったそうです。
次女が私も手伝う~というので、隣でキュウリの塩こうじ和えを交ぜて、プチトマトと一緒にお昼に食べたそうです。
娘たちにお昼ご飯づくりを託して、お手伝いと味見をちょっとさせてもらって、行ってくるね~というと、二人共めちゃにこやかに見送ってくれました。
わたしは家族が突然言い出すことは、かみさまからの有り難いお言葉ぐらいの勢いで受け取るのですが、子どもって、人を愛する天才だなと思います。
ちなみに、夫さんに対しても思っています。彼は稀代の奉仕者なので…。ちゃんとその愛にこたえることができているかなぁ。
その講演会で聴いたお話がどれも興味深かったけど、特にこれはシェアしようと思ったことを書きます。
日本のチカラはどこにあるのか?について。
「日本人の脳」の著者である角田忠信さんから、マドモアゼル愛さんが直接お聞きしたお話だそうですが、日本人の脳と、日本人以外の脳での違いの一つに、日本人の脳は母音を左脳(言語脳)でキャッチし、日本人以外の脳は母音を右脳(空間脳)でキャッチするそうです。
自然音は母音構成ですべてできています。
その結果、私たち日本人は虫の声や、風のささやきなど、自然の音を言葉としてとらえて、それを文化として発展させるまでに至ることができました。
日本人以外なら右脳でキャッチするため、音のままなので、機械音などほかの音に埋もれてしまうそうです。
母音構成で作られているのは、自然はもちろん、赤ちゃんの泣き声など、生命そのものの音なんです。命の音、元気を与えてくれる音。そういうものをわたしたちは、聞き分けて受け取ることができるんですね。
だから、子音構成のやりとりであるディベートには他国から負けるだろうけども、虫の知らせとか、気配を読むとかそういった母音からの情報を受け取れるのが日本人のつよみだろうということでした。
うろ覚えなんだけど…。
生命の音を言葉として聴くことができる、って聞いたとき、わたしは感動して泣きそうになりました。
子音だって伸ばせば母音として響いていくし。自然からの母音と、自分から発する母音を響かせ合えたら、命との一体感が生まれるんじゃないかな。
それって、すごいことだと思う。
どこにいたって孤独じゃないってことですもんね。
こうやって、聴いたことを書いたり話したりするのは、呼吸だし、私は人として生まれて、身体を持っている限り、人との差異を感じて、喜怒哀楽が生まれて、落ち込むこともあるけれど、でもそれがいいんじゃないかな。
皆誰かに愛されているし、誰かを愛しているわけで。それも、肉体があればこそだから。
わたしたちの肉体も自然の一部なのだし。
愛すること、愛されること、与えること、受け取ること、吸って吐いて。
どんなものも全てつながっているんですね。
マドモアゼル愛先生は、わたしが愛用している153hzの音叉を販売している方です。そのお礼を伝えたくて参加して、ちゃんと言えたので自分的には大満足の一日でした。周波数や母音のお話ももっと聞けたらいいなーって思いました。ありがとうございました!
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