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場作りとは。ー空に至る道7ー

場作りとは何でしょう。
それはその場の意識によって作られます。
その場にいる人といない人に対する隔てがある場所であるか、繋がっている場所であるかということです。

繋がっている場所は統合の意識です。あなたはわたしです。

隔てがある場所は分離の意識です。あなたとわたしです。

わたしはつながっていると感じられる場所を増やしていくことが、大切だと思っています。増やすということは、物理的に開催場所を増やすことと、開催時間を重ねていくことの二通りがあると思います。

それで、自分が今していることはどれも、統合の意識に基づいているように思うので、どれもできるだけ長く続けていくためにはどうしたらいいか考えるものの、自分では答えが出ないので、話し合いをしてみたら、それはもう、心のこもった話し合いがなされます。

最近、毎日いろんなことが起こるので、昨日のことがすごく昔に感じられ、書いても書いても自分が変わっていく感じで、書いたものは常に過去なのですが、そのいろんなことのほとんどは、心の通った話し合いです。

思いがけず、びっくりするような、真心のある話し合いをしています。

つながっていると思っている人同士の話し合いってこんなに温かいんだなと、毎回思わされます。

想像力には限りがあるので、相手が何を思っているかは話し合うことでしか知りえません。
人それぞれ考え方は違うというのは、大切なことです。

違いがあることから、つながりが生まれるからです。

一見矛盾しているようにみえるかもしれませんが、あなたはわたしというのは、あなたとわたしは同じであるということではありません。

ここは混同しがちなのですが、同じ思想を持っていることと、同じ意識であることは全く異なります。

意識とは、創造の大元です。それが愛によるものか、愛によるものではないかです。

愛によって作られたものは長持ちしますから、実は世の中にあるものはすべて愛でできています。

愛のこもっていないものは壊れます。

愛とは集中力の源なので、集中して作られないものは綻びやすいからです。

思想もまた、意識から生まれる創造物です。

その思想は愛によるものですか、愛によるものではありませんか。


最近、というか今日気づいたことですが、今まで娘たちに怒ったり、感情を乱してきたことの大半は、単なる自分の思い込みで、愛によるものではありませんでした。

怒られた相手は、やはり尊厳を奪われ、傷つきます。

今の私のこのイライラ、相手を傷つけるより大事なものだろうか?と考えると、たいていのことは違います。たいていというか今のところ全て。

親に対しても、親の話すことに一々それは違うだとか、もっとこうしたらだとか言ってましたが、それは単なる相手への期待で、私が本当にしたかったことは、ただ話を聴くことだったのです。

自分がされて嫌だったことを相手にしない。

そうすることで、負の連鎖を断ち、創造的な未来が生まれます。

それは損だと思えるかもしれませんが、最も勇気のある行為です。


だから、場づくりというのは、複数の人が集まってからではなく、私一人からでも始められるのです。

今の意識は分離なのか統合なのか、自問自答しながら、自分に接し、相手に接し、話し合いを重ねていくことです。

それだけがわたしにできることだと、最近は思っています。

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