#1 訪問看護の看護師セラピスト割合6:4案について僕なりの考え。
11月16日に行われた介護給付費分科会で飛び出した案について、様々な意見が飛び回っているので、僕なりに考えた持論を述べたいと思います。
先に僕の立ち位置を言っておくと、リハ3団体の緊急署名活動で11月30日時点で11万票以上を集めたとのことですが、私は署名していません。
訪問看護の署名運動依頼が来ていますが、私自身はしません。業界全体を考えれば職域を守ることは大事ですし、数年後には教育業界にも跳ね返るのは必須です。訪問リハビリ系サービスは重要ですが、必要のないものも多く行われている個人的な印象です。国民目線から行けば、それでいいのかと思うのです。
— 澤田 辰徳 (@MeganeOT) November 29, 2020
必要のないリハビリが依存を生み、それが受けられないことを「リハビリ難民」としてはいないだろうか?そして、結果として本当に必要な人にサービスが届かないことを招かないか?外来リハのように。個人的にそう思うのです。だから質の高い結果の出るサービスを目指さないといけない。自戒を込めて。
— 澤田 辰徳 (@MeganeOT) November 29, 2020
もちろん必要のない看護サービスもあり、父親で体験もしました。しかし、他がやってればいいか?とも思います。各立場もあり、私自身も悩みますが、信念は曲げられないと気づきました。僕は椅子の取り合いよりは、「新しい椅子を用意する」方が生産的で未来志向だと思います。長文失礼をいたしました。
— 澤田 辰徳 (@MeganeOT) November 29, 2020
OTの澤田先生のtweetです。僕も共感する部分が多分にあります。
特に、
「必要のないリハビリが依存を生み、それが受けられないことをリハビリ難民としていないだろうか?」
この部分については非常に考えさせられました。
僕は今、訪問看護ステーションで勤務している理学療法士ですが、このようなケースを嫌というほど見てきました。
利用者と目標やなりたい姿を擦り合わせて、現状を評価して、到達具合を見ながら目標を修正していく。障害があっても、今できることに集中して挑戦する。
その過程が美しくて、人間らしくて尊い。
できなくたって、やろうとしている姿勢や挑戦した事実が、人生の最終段階において納得が生まれるんじゃなかろうか。「頑張ったけどこんなもんか。まあいい人生だったかも。」みたいな人生の終わりだったら、すげーいいな。と個人的に思っています。
そして、障がいを持ったり介護状態になると、一緒に伴走してあげる必要があるのです。助けてあげるんじゃなくて、伴走です。支援です。
僕は、それが絶対に必要な人がいて、それがさまざまな事情により正しく行き届かない現状を知っています。それは何故なんでしょうか?
僕は理由の一つに、「必要のないリハビリの延々とした提供」
これによる本当に必要な人への機会損失。
これはあると思っています。
この話をすると、「本当にリハビリが必要な人ってどんな人や?」
という話が付き纏いますよね。
僕はこれに明確に答えられるほどの「答え」は持ち合わせていません。必要か必要でないかは、その人の求めているサービスへの満足度で決まると思っています。
でも、2つこれはダメやろ。というものはあります。
1つ、
利用者、家族、担当療法士、ケアマネジャー、その他関わる諸々の人間。その人達に共通の目的があることです。よくブレてるケース、いませんか?
以前の職場のデイケア利用者さまで、車椅子でのプッシュアップ練習をしている方がいました。その方は尖足の状態で、足底は床にほとんどつきません。なんの訓練をしているのかを聞くと、「足を鍛えて立ち上がるための練習だ」と言っていました。しかしリハビリ担当者に聞くと、「これは移乗の時に少しでも踏ん張ってもらって奥さんの介助量を減らす訓練だ」と言いました。
ん?なんか、、違うな。
じゃあ、その人が思ってる最終ゴールは立ち上がることなのか?めちゃくちゃ純粋なまなこで立ち上がることを夢見ているが、リハビリ担当者はそれを目指していないのか?
リハビリ担当者は、「少し相違があるみたいだけど、訓練の内容や達成したいこととしては間違ってないからこのまま頑張ってもらってる」と言いました。
、、これは後で揉めるやつじゃないのかい?
いいんです。否定はしません。この方のリハビリがどんどん遂行できて、家庭がうまく回るならそれでも。事実を突きつけてモチベーションを下げるなんてことは避けたいものです。しかし、周りは同じ目的を持って関わるべきです。少なくとも家族やケアマネジャーには共有すべきことです。
こういうケース、同法人デイケアだからこういうやりとりできるけど、他事業所とかだったらどうする?めちゃくちゃやりづらいですよ。だから、こと在宅という領域ではこういったケースは揉めるということを経験しています。
2つ、
目的の共有すらないもみもみリハビリ。めちゃくちゃ見てきました。そして、これが一番依存を生みます。
もみもみリハビリの否定をしたいわけじゃありませんよ。その介入の中で、パーソナルスペースに潜り込んで希望を引き出したり、信頼関係を構築してから生活の情報収集をする、など手段としてはとても良いからです。
それに、それが安心に繋がって、一週間の不安がなんとなく落ち着く。なんて方もいらっしゃるので、全然アリな介入だと思います。
大事なのは目的の共有です。
その介入、永遠にやるんですか?ってことです。
徐々に対策を共有して行って、代替策を提案し、活動量をモニタリングし、定期的なフィードバックを与えて、、
ってやってったら、自然とやることって変わりませんか?目的、決めてますか?
目的なく「今日も凝りほぐしてやったぜ!ヒュー!また来週になったらほぐしにくるからまたね!」ってケース、僕はよく見ましたよ。なんなら、あの人は俺のリハビリないとしんどくなっちまうから、唯一無二の存在になっちまったよ!みたいな感じで自慢げなパターンもありましたね。
それは、「信頼されてる」んじゃなくて「依存させてる」んですよ。
目的の共有があるかないか。それで、その解決策や方針を揃えないと、暗黙知のなかで依存がうまれます。
上記2点が僕の中でのナシでしょパターンです。
そして、訪問看護ステーションというところは利用者がいてなんぼ、という面もあります。安定してリハビリを提供しているケースが多いほど、収益も安定しますよね。上記2点の人達って、おお。安定してリハビリ提供できるじゃん!いいじゃん!
、、これが社員の心の声じゃないですか?
だから、僕はどちらかというと適正な形で修了を目指す、もしくは目標の共有や利用者への情報提供ができる仕組みづくりにもっと注力されると、利用者本位のサービスにきっとなっていくと信じています。
だって、訪問看護が関わったら絶対幸せになる手伝いできるもん。
看護師さんの力はすごいですよ。
そして、看護師さんに扱いきれないフィジカルや生活面は僕らが見るんです。
そうして、利用者が幸せになる過程が見れたらお互い気持ちいいじゃないですか。
そんな感じでこの改正案を見て、思ってます。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
株式会社INAP 知多訪問看護リハビリステーション
岡田壮司