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ゲートキーパー

必要があって昨年度にPowerBIをいろいろ触ったおかげでプログラムを書きたいという気持ちが湧いてきて、いまさらながらにPythonの勉強を始めた。

noteで月500円で指導しますよという人がいて、”ちょっと面白いかも”と思って申し込んでしまった。Discordで毎日やったことの日報をあげると、感想とアドバイスをくれる。短くても感想とアドバイスを書くというのは心の負担だから、月500円を安いと私は思う。


日報は独学大全《技法13:ゲートキーパー》のコミットメントレターのようなものだ。

コミットメントレター
来週までにやるべき事項を紙に書き出し、繰り返し会う人(家族・同僚・友人、等々)に手渡す。SNSに投稿するのでもよい。手紙の受け取り手が、監視したり命令したりする必要はない。
これだけで「私来週までに○○やるから」と口約束することとは段違いに強く動機付けられる

読書猿『独学大全』技法13:ゲートキーパー

ただ、コミットメントレターの効果は納得できるものの、友人・同僚に「○○を来週する」というのはどこか気恥ずかしいし、家族であれば、さらに「痩せる痩せる詐欺」の常習犯なので信用もない。ドロシー(カミさん)は「self esteem(自尊心)が大切なのよ」と「もっと褒めろ、もっとおだてろ」という癖に、人に対しては、「どうせできるはずないね」と真っ向唐竹割りで容赦ないのだ。

考えてみれば、ここ3年ほど参加している猫町倶楽部の読書会の課題本もコミットメントレターのようなものだ。特に長編読書会はそういう効果が高いかもしれない。「読むって言っちゃったし・・・」(=申し込んじゃったし・・・)と思う部分も少なくない。おかげで、『旧約聖書・新約聖書』、『平家物語』(現代語訳)、『アンナ・カレーニナ』などを読み通すことができた。長編読書会に限らず、猫町倶楽部に参加している人には、きっとそういう人は多いのではないだろうか。

つまり、実は独学に限らず日報を読んでくれるバーチャルな存在(=ゲートキーパー)はもっと必要なのかもしれない。需要があるかもってことだ。

日本テレビ系日曜ドラマで『ゆとりですがなにか』で、吉田鋼太郎演じる白眼鏡の怪しい中年が、レンタルおじさんと称して様々な人々の相談に乗る人物として登場する。風貌・挙動、白眼鏡含め極めて怪しい。もっとも、怪しいというのは私見で、私は白眼鏡に対して強い偏見を持っている上に、役の上での年齢が1961年生まれと同い年なので、それが《極めて怪しい》という価値判断につながっているのかもしれない。
※ 白い眼鏡の人はごめんなさい。あなたのことではありません。

『ゆとりですがなにか』人物相関図より

一般論(という名の私見)では、レンタルおじさんはかなり怪しい。けれども、ゲートキーパーならそれほどでもない気がするのだ。そして実はそこには一定の需要もあるのではないかと。


ワークショップをしていると「人はどれだけ話したいんだ」と思うことがある。話したいというのは自然な気持ちなのだと思う。誰かの話を聞いてすぐに質疑に入ってしまう建て付けの進行が世の中には多いが、そうせずに「では近くにいる人と3人で感想や感じたことをシェアしてみてください」とお願いすると場は一気に温まる。会場全体がワァ~という人の声で満ちる。感想のない人はいないのだ。

ゲートキーパーは、上記の「話したい欲求」とは少し違う。でも似ているところもある。このブログだって似たようなものだ。社会には学校のような試験や成績はない。いや会社は成績がつくし・・・というのはちょっと違う。自分がいまどこにいるのか、どんな方向に動いているのか、止まっているのか、何を感じているのか、どう感じていたのか、そういうことを確認する術が結局は自分に紐付けられているということなのだ。

独学もそうだ。いまさらPythonを学んだとしても何になるわけでもない。「こいつ天才?」というような質と量が圧倒的なプログラマは実際に身近にいたし、いまさらそういうものを目指したいということでもない。でも、ちょっと確認したいのだ。いまどこにいるのか、自分がどっちを向いていて、どっちの方向に変化しているのか。

つまり、まぁ、そういうことだ。ちなみに、私は《"That's life"》の方が好きだけど。

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