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共鳴*緑蔭や乳に吸ひつく嬰の口

 緑蔭とは「明るい初夏の日差しの中の緑したたる木立の陰を言う。」と歳時記にあるように、木陰ではあるが、明るく、風と安らぎと、命の躍動をも感じる季語。

緑蔭や乳に吸ひつく嬰の口 岡田 耕
 この景をどう見るか。
 緑蔭にやって来た母親が嬰に乳を含ませている実景と見るか。近頃外で嬰に乳を飲ませているのはほとんど見る事ができなくなってしまったが、たまたま見掛けるとほんとうにほのぼのと、聖母子像を見るようで、命の尊厳をも感じる。
 しかし、掲句の場合「緑蔭や」と完全に上五で切れているので、緑蔭と中七以下の「乳に吸ひつく嬰の口」とは一つの景ではない。つまり取合せの景と見たら、乳を含ませているのは家庭内の景と見ても差しつかえない。
 むしろ私は授乳という母と子の根源的な触れ合い、そして勢いよく乳を吸う嬰の生命力とその嬰に約束される明るい未来、といった思いを「緑蔭」という季語の持つイメージに丸ごと預けた句と見たい。
 「乳を吸う」ではなく「乳に吸いつく」に嬰の生命力への賛歌を思う。
(光生)

あひる句会報 2020年5月号 

(岡田 耕)

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