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「七歳までは神のうち」と胎内記憶(前)

【スキ御礼】選評*父は富士母は相模野七五三

七五三の由来の話になると、「七歳までは神のうち」という言い方がよく出てきます。
これは、数え年で7歳未満の子供は神に属する存在であり、わがままや非礼があっても責任は問われないということ、と説明されています。
 古来からの諺のようですが、その由来は昭和になってからのもので、1914年に柳田国男が著した『神に代りて来る』で、7歳になるまでは子供は神様であると謂っている地方がある、と述べられていて、そこから「七つ前は神の内」ということが主張されたのが始まりなのだそうです

 ただ、この主張は、事例が少なく、それも、七歳未満の子は責任が問われない、という事例を言ったもので、七歳未満の子が「神の子」であるという根拠にはなっていないということで、現在の民俗学では否定されているようです。

 それでも「七歳までは神の内」というフレーズは、七歳までの子供には、何か「神性」や「聖性」を備えているかのようなものとして、古来からの諺のような言い方をされ続けています。

柳田国男の「神に代りて来る」の該当部分を読み直してみます。

 七歳になる迄は子供は神様だと謂って居る地方があります。
 是は必ずしも俗界の塵に汚れぬからと云う詩人風の讃歎からでは無かったのです。
 亡霊に対する畏怖最も強く、あらゆる方法を以て死人の再現を防ごうとするような未開人でも、子供の霊だけには何等の戒慎も必要とせず、寧ろ再び速やかに生まれ直して来ることを願いました。
 之とよく似た考えが精神生活の他の部面にもあったと見えまして、日本でも神祭に伴う古来の儀式にも、童兒でなければ勤められぬ色々の任務がありました。
 前に申した道祖神の祭の他にも、村の祭礼に必ず小兒を馬に乗せて、行列に加わらしむる例が多く、しかも是を祭の忠臣として居たようであります。

『定本柳田國男 第二十卷』筑摩書房 1970年
「神に代りて來る」
※旧漢字は新漢字に、旧仮名遣いは現代仮名遣いに変えています。


    この文の中で気になるのは「子供の霊は、再び生まれ直して来る」という部分です。(太字後段部分)
 子供は、その霊が神の世界と行ったり来たりすることができる存在である、あるいはそう願う存在であると言っているようです。
 これとて、根拠となる具体的な民族学的な事例はないのかもしれません。事例があったとしても、それは科学的に証明もできないし否定もできない領域のものです。
 それでも、なんとなく納得できる感覚はあります。
では、そのなんとなく納得できる感覚の正体は何なのでしょうか。
(続く)

(岡田 耕)

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