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ミスリードを誘う見出し:東京新聞の弱気

 少し前になるが、9/22の東京新聞に掲載された「れいわ山本太郎代表インタビュー」である。

 見出しには「憲法変えようとしようとする人 怪しいと思え」とある。

 しかし、本紙のインタビューを丁寧に読むと、山本氏は、あくまでも経済的困窮にある人を放置していて、憲法25条(健康で文化的な最低限どの生活)を守ることになっていないのだから、その意味でこの現行憲法をないがしろにする人たちを信用できない、という趣旨で発言している。私にはそのようにしか読めない。

 つまり、彼は憲法観としては比較的新しい、ワイマール憲法が盛り込んだ「社会権」(人としてまともな暮らしや人生を送るための生存権利)という人権規定的視座から、「そうしたものを軽視する人たちは、いかがわしいのだ」と言っているのである。

 ところが、東京新聞はこれに「憲法変えようとしようとする人 怪しいと思え」という見出しをつけて、「憲法問題=9条護憲」と膝蓋腱反射をする人たちの印象を忖度している。この見出しをとらえた条文死守派は安心し、そしていつの日か山本太郎を「裏切り者!」と誤解して打ち捨てるだろう。

 様々な場で山本氏は「立憲主義を堅守するために、憲法を一行も変えてはならないとは思わない」という態度を示しているし、国連憲章や国際人道法と憲法9条2項が齟齬をきたしている事を、論理的に認識している。

 東京新聞は、戦後憲法の持つ世界標準のスタンダードについて肯定的であるし、これを掘り崩そうとする者たちに対しては、厳しい姿勢で報道をしてきた、今や数少ない「まっとうな」新聞である。私は、個人的にそう評価している。「特報」の記事は、悪しき記者クラブの慣習に毒されない調査報道の心意気を示している。

 しかし、当紙の販売部数、紙メディア全体の凋落のトレンドが原因であるのかは正確にはわからないが、今日の「固定客」の嗜好に配慮をしないわけにはいかないため、このような「護憲堅持」的印象をもたらす見出しをつけざるを得ず、内容との乖離を生み出すような仕上がりになっているのは、実に残念である。

 いずれ僥倖を得られるなら、本人にもっとしっかりと確認してみたいが、れいわ新選組代表山本太郎氏は、おそらく「憲法規範を守るためには条文改正が必要である」と確信していると思う。

 もちろんそれをどういう状況で公言するかは、政治的なセンスを問われる。呪文のように唱えることもなければ、ポエムでごまかすこともしないだろう。まさに政治の言葉の「分節化(切り分け)」がなされねばならない。

 しかし、立憲主義擁護を唱えるメディアが、こんな忖度をいつまでもしていても、「護憲vs改憲」などという55年体制以前の「何の切り分けもなされていない虚無を誘う二分法図式」から一歩も出ることなく、実質的に憲法を守る論議のための成熟を有権者にもたらすことはできないのではないのか。

 もし東京新聞が「護憲的改憲」に舵を切って、それで、護憲の目的が「精神的な安寧(日本には軍隊などないことになっているからそれについては考えないことにしている)」である9条原理主義者たちが離反して、部数をなおも減らすなら、読売新聞を読んでいて「流石にもう耐えられない」、あるいは朝日を購読していても「虚しい両論併記ばかりするチキン新聞だ」と嫌気がさしている人たちをさらって、立て直しをはかったらいかがか?

「現実の経営を知らない学者風情の説教」と言われることは間違いないが(そうかもしれない)、政局を動かし、出鱈目政権を追い詰めるために勇気が必要なのは、野党と有権者だけではない。

 東京新聞である。

 貴方がたが見積もるよりも、それこそ「古色蒼然たる」原理主義者の数はもはやたくさんはないと思う。それよりも、「いつまでこんな忖度して議論の土俵をダメにしているのか?」という、フラストレーションを溜め込んでいる人たちの方が多いと思う。

 何度もいうが、憲法の法理を破壊する安倍改憲に、自民党は前のめりになっている。
 
 もうあまり時間がない。

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