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あれから「またまた」父さんは自分の頭でこう考えた


 4月7日に「緊急事態宣言」が出されて2週間以上が経って、自粛要請が出ている最中、歯医者に歯を抜きに行った息子よ。
 授業がないので、仕方なく5年生の算数「分数の掛け算割り算」を父さんが教えた。説明を始めた途端あくびを始めた君に「教えてもらう時にあくびは我慢しなさい」と説諭したが、これと全く同じことを1973年の夏休みに君のお爺ちゃんに言われたのだよ。君と僕は人格が異なる別の個人なのに、なんてこった。
 さて、宣言が出される1週間前に父さんはこう書いた

 ”父さんは、3月の頭から約25日で、「すべてはお医者さんや病院がパンクしないでちゃんと機能するためにどうしたらいいか?」を最大の目標にして、それから逆算して全ての行動を考えること、これが一番大切なことだということを得心した(心から納得すること)。
 こういう風に修正する。”

 
これを書いてから約1ヶ月が過ぎたけれど、そしてこの間いろいろなことがあったけど、だいたいのところ「感染する人が増えて、芸能人や知り合いなど、比較的知っている人たちの中にもそういう人たちが増え、はっきりとは書かれないけれど、病院はもう機能しなくなっているところが出てきた」という状況になっている。
 ニューヨークやイタリアでは、万を超える人たちが亡くなり、ドイツやその他の国で「やや平常に戻そう」という動きは出ているけれども、南半球の国で医療制度が弱いアフリカなどの国では、この後また感染者が増えるから、少しも油断することはできない状況だ。

 日本でも、「とにかく高齢者や病気を抱えている人、免疫力が落ちている人たちの命を救うために、外出せずに家にいましょう」という呼びかけが強くなって、東京駅や浅草の仲見世、渋谷の交差点や新宿のバスターミナルといった都心の中心部では、本当に人が少なくなった。
 他方、「新宿とかは行かないけど、地元ちょーラブ」とか、「買い物はいつも通りするしかないから」と思って、夕方の商店街やスーパー少し大きめの公園などは、「え?」っとドン引きするほどの人出で心配になる。
 
 コロナ対策が意識されるようになってから、父さんの考えで一番変わったのは、「インフルエンザでも日本で毎年3000人亡くなるのに、社会を壊してまで過剰に警戒しても仕方がない」という部分だ。
 「社会を壊す」ことは絶対に避けなければならないけれど、そのために「今」何をしなければならないかについての判断は色々と変わる。これまでに優れた知見を持った専門家やジャーナリストの言葉に触れて、「するべきことの順番をどう考えるか」が変わったんだよ。

 これは「出口対策」と言われていることだけど、大切なことは「とにかく”死なせない”ためにできることを優先する」ということだ。それは「コロナではそこそこ健康なら死なないんだ」という気持ちを多くの人に持ってもらうというやり方だ。
 コロナは誰でもかかる可能性があって、この可能性をゼロにすることはできない。「とてつもなく小さなウィルスであること」、「症状が全くない場合もあること」という二つの特徴によって、もう僕たちはウィルスを100%避けることはできないから、それは受け入れる。心配は残る。
 1億人のうち、報道された数例に過ぎないものが「若いのに重篤化してあっという間に亡くなった」だと、もうみんな暗くなって「もうダメかもしれない」などと考えてしまう。落ち着けなくなってくる。
 でも、とにかく「こうすればそうそう簡単には死なないんだ」ということがわかり、伝わり、実践されれば、それだけでも僕たちは勇気を持ってこの事態に立ち向かえるし、弱い人を守ろうという気持ちもみなぎってくる。

 日々日々感染者が増えて、TV などで「本日の感染者数は」などとカウントがなされると、吉祥寺のモールや、駒沢公園の「なんでよ?」というくらいの人の姿が気になって、自粛要請に応じない30%のパチンコ屋さんなんかに、「何やってんだよ?俺たちが自粛して、我慢して、家にいて、人にも会えないで暮らしていても、あんたたちがそれが台無しにしてるじゃないか」と、イライラしてくる時もある。

 でも父さんは、そういう人のことを「悪く言わないようにする」ということを、自分の頭で考えて決めた。

 文句を言いたい気持ちはわかる。だんだん自分でも気がつかないくらいイライラが溜まってきているからだ。でも、人間がおしなべて例外なく、1億人、心を合わせて「家にじっとしている」ことなどできない。
 医療関係者や物資を運ぶ配送の人たちは、これまでの100倍のストレスの中で、文字通り命をかけて仕事をしてくれているし、そういう人たちに感謝するためにも「病気にならないように適度に運動する」ことは必要だし、子供たちの食べ物が心配になれば、誰だってスーパーに行って少し多めの買い物をしたくなるものだ。払い残しの税金のために郵便局に行かねばならない。

 イライラするけど、言わない。
 人のことは言わない。
 でも、自分では工夫してなるべく三密を作らないように暮らす。

 とても平凡だけど、やはりこれは「こうこうこういう流れでものを考えてきて、今、川の流れの目の前ではこう考えている」ことなので、ここに記録しておく。

  明日また優れた言葉に出会ったら、考え方を少し変えるかもしれない。

  そうなったら、また記録する。そして、その記録が本当に自分の頭で考えたことなのかを、丁寧に思い返す。スーッとするような言葉に安易に乗っからない。

 5年生になって髪型にこだわりが出てきたため、中途半端な髪の毛の長さを放置している息子よ。
 
 今日あたり、父さん床屋をやってあげよう。
 嫌がるなよ。結構うまいのだ。坊主にはしないから安心しろよ。
 人間には好きな髪型にするという基本的人権があるからな。ふふ。
 

 


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