「ゼミ&会議でうまくしゃべれないという悩みのために」:第二回 大丈夫、思い返せばみんな「大したこと」言っていませんよ。
<発言とは「ああでもないこうでもない」の全プロセス>
「発言するとは正解を言うことではない」ということを端的に示すために、議論の場で現れてくる大量のやり取りの中に、いったいどれだけの種類の”コメント”が含まれているかを示してみましょう。
ひと言で「コメントする」といっても、その具体的な行為は様々です。
・「事実を列挙する」(「あれとか、これとか、そういうのとか、色々ありますよね」)
・「意味付けをしてみる」(「それはだから〇○だということなんだと思うんですよ。確信はないですけど」)
・「話の納得度を比較してみる」(「こちらのほうが私には説得的に聞こえます」)
・「良し悪しを示してみる」(「これはすごく真っ当な考えですね」)
・「違う考えもあることを丁寧に言う」(「少数ですが〇○という評価もありますよね。迷うところですけど」)
・「事実かどうか確認する」(「それに関して確かに〇○という事実があるんですね?」)
・「考えを確認する」(「そうですか、そう考えていらっしゃるのですね?」)
・「他者の発言を「別の表現で言い換えて」あげる(パラフレーズする)」(「〇○さんは、つまりこうおっしゃりたいと思うんですよ」)
・「大事なところを浮き出させてあげる」(「ポイントを確認すると〇○ということですよね?」)
・「別の根拠をつけてみる」(「こういう別の理由もあると思います」)
・「わからなさ加減を説明する」(「おっしゃる事の理屈は分かるのですが意図がよくわかりませんね」)
・「他者の発言を促す」(「先ほどのお話に関連して〇○さんの意見も聞いてみたいですね」)
・「部分的同意を与える」(「前段部については大賛成です」)
・「立論そのものの妥当性の評価をする」(「そうした問題の設定で良いのかと思いますが」)etc。
いかがですか?これらはそれぞれどれを取って見ても、「立派なことを言っている」わけではありませんよね。
やや硬い言葉で説明されていますから何か高尚なことを言っているような印象を受けますが、高校生が使用する日常語に翻訳すれば、「意味付けを提供する」ということは「ぶっちゃけ○○っていうことじゃね?」だろうし、「立論そのものの妥当性の評価をする」と言うと仰々しいですが、要は「それもとからありえなくね?」でしょう。大した発言ではないのです。でしょ?立派なことなんて何も言ってませんよ。
しかも、これらは皆「自分」を主人公にしているわけではありません。「他者の発言を別の表現で言い換えてあげる」など、「それってこういうことを言いたいんですよね?」と、相手をステージに上げようとしています(それが唐突だと「それ無茶振りじゃね?」とリアクションされますよね)。
議論に集う者たちにとって、時として大変ありがたいのがこの「他者の発言のきっかけを与える」ような、参加者の発言です。ありがたい理由は、これを絶え間なく誰かがやってくれれば、その場にいる者たちのエンジンが自然に暖まってくるからです。気の利いた学生がたまに言ってくれるのが「ちょっと僕自身も判断に悩む部分があるんだけど、〇〇君なんかは先ほどの発言からすれば、このあたりにヒントをくれそうなんですけど、どうですか?」といった、ナイスなコメントです。
これは言わば「舞台回しコメント」とでも呼べる類の「つなぎコメント」であって、このコメントには実質的には新しい事実やそれの解釈や分析、価値付けや評価は含まれていません。
でもいいのです。それで十分なのです。
その場に流れというものが生れて来るからです。
まもなく隣にいる友人たちが、力を抜いて入ってきてくれます。
「俺がアホか頭いいかをあらわす場所」じゃなく、「みんなの言葉を引き出すための場所」。
そのためにする全ての発話行為を「発言」と呼ぶのです。
つづく。
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