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鳥谷敬がチームメイトに遺したもの、その片鱗

 佐々木朗希を知った3年前から、ほとんど日課のように続けていることがある。Twitterの検索機能を使ったパブリックサーチ、略してパブサだ。対義語にあたるエゴサの方が有名かもしれない。ざっくりと説明すれば、エゴサは自分の名前で検索をかけること、パブサは第三者の名前で検索をかけること。推しがいる人なら、一度くらいは経験があるのではないだろうか。      
 暇が出来るとパブサをして、最新情報を入手する。3年前なんて、彼は幻のポケモンのような状態だったから、信ぴょう性の低いものでもとにかく情報が欲しかったのだ。そう思えば、ずいぶん遠くまで来たものだ。トレンド入りさえ何度も経験するほど知名度が上がったのだから。

 そうして続けてきた日課なので、スマホに「さ」と打ち込めば予測変換に「佐々木朗希」と候補が出てくるのはもはや当たり前である。日本列島を寒波が襲う12月18日の冷え込んだ朝も、私は起床してすぐ日課を熟した。
 スマホの画面をスクロールすれば、目に入ったのはこんなツイート。

 どうやら、鳥谷敬が出演したラジオ番組で、佐々木朗希について言及しているらしい。野球中継などでよく聴くABCラジオ、しかも以前から知っていた道上洋三アナウンサーの番組ということもあって、radikoのタイムフリー該当ページへはすぐに辿り着いた。再生すれば、療養中である道上洋三アナのお声はなく、もう一人のパーソナリティーである武田和香子アナによるインタビューが聞こえてくる。二回にわたる録音放送で、今回は後編だそうだ。
 健康について、トレーニングと食事面からどう取り組んでいたのか。大学時代から阪神、ロッテ時代までの興味深い話が続く。

 聞き進め、とうとう私がradikoアプリを開いたきっかけのシーンがやってくる。アナウンサーに訊かれてという形ではなく、他でもない鳥谷敬の口から佐々木朗希の名前が出た。
 以下に、要約に近い形でインタビューのやり取りを記す。

アナ)鳥谷さんと同じくらいに自分の身体と対話されているチームメイトは?

鳥谷)正直、トレーニングも食事もと全部を(同じくらいに)考えている人には会ったことない。訊かれて、話すという意味では、最近ではロッテの佐々木朗希投手。今年の二軍でそういう機会があった。トレーニングルームで食事の面とか、トレーニングの面について訊かれた。自分が30代になった頃プロ野球選手としての変化を感じたことを、これからの選手が感じている。知ろうとすることが考えることなので、この選手はすごいなと思った。

アナ)鳥谷さんから佐々木朗希選手へのアドバイスというのは?

鳥谷)筋力トレーニングとして身体を大きくするということに本人が多少違和感を持っていた。それに対してどう思いますかという質問。当然自分も若い頃は身体を大きくしたいといろいろやったが、自分の身体や身長というのも(それぞれ)あるし、身体を大きくするというのではなくて自分の身体をどう使うか。どう使うかに取り組むうちに身体が大きくなる分にはいいと思うが、身体を大きくする必要はないんじゃないか。身体を大きくして自分の思うように動かなくなったらどうしようという不安があったと思うので、大きくなることが悪いのではなくて身体を大きくしようと無理をするのがよくない。自分の身体を動かすためのトレーニングをやって、その中で勝手に身体が大きくなるという形にすればいい。そのためには食事面もしっかりやるのが必要、という話をした。

アナ)20歳にしてあれだけ恵まれた体格と才能だが、あれだけ考えてやっている。

鳥谷)メジャーが身近に、情報も自分たちの時代より得るものがたくさんある今、上を目指す選手というのは年齢ではなくこういう考え方や知ろうとする(姿勢を持っている)、と感じた。

 ここで鳥谷敬が語ったことが、私が今まで聞いてきた佐々木朗希の発言と、次々と繋がっていった。
 12月4日のファン感謝祭。佐々木朗希は石橋貴明との対談企画において、1年目には一時92キロまで増やした体重を今は85キロにまで落としたことを話し、体の大きさよりも強さや耐久性を大事にしていると発言していた。彼が語った方針の背景に、裏付けに、鳥谷敬の存在があったのではないか。そこまで推理して、勝手に感動した。
 佐々木朗希だけでなく、こうして鳥谷敬は多くの若手選手の指針になっていたのかもしれない。そうだとしたら……ちょっと想像だけで身震いしてしまう。鳥谷敬という人は、プロ野球界にどれだけの財産を遺していったのだろうか。
 佐々木朗希はかねてより、長く現役生活を続けることを目標の一つに挙げている。鳥谷敬は彼にとって身近に存在する生きた教材だったのだ、と。すべてが繋がった探偵のような気分になった。推理にすぎないけれど。

 鳥谷敬と聞けば、関西在住者のほとんど誰もが知っているのではないかと、私は思っている。野球に微塵も興味がなく、毎夏の甲子園中継を観る私に毎度毎度「ゲッツ―」の意味を問うてくる母でさえ、鳥谷敬のことは知っている。全盛期の阪神時代の記憶はないが、今年も京セラドームに足を運べば、背番号00のユニフォームが至るところに見られた。それだけでも、当時の偉大さが感じられる。心を奪われた人がこれだけいる、という実感を持って。

 現役生活最終盤、鳥谷敬は阪神を去り、ロッテに移籍した。阪神での引退を望んでいた阪神ファンが多くいた。年齢のこともあるが、全盛期には及ばぬ成績に、獲得を疑問視しているロッテファンが多くいた。一方で、球団に関わらず鳥谷敬を応援し続ける人がたくさんいた。
 功労者として華々しく引退を迎えられたであろう阪神タイガースを退団し、千葉ロッテマリーンズへと移籍したこと。限界まで現役生活を続ける道を模索したこと。それらの意味がここにあるのではないかと思う。
 鳥谷敬という人が次代の選手に遺したものの価値、その片鱗がここにあった。長く現役を続け多くの人を虜にしてきた選手だからこその、人間としての深みのようなものが、ほんの30分のラジオ番組からでさえ感じられた。

(了)

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