'Conscious Brand' ポストコロナとブランディングのこれから。
去年の6月に書きかけて、書き終わらないまま半年以上放置してしまった。。。
でもやっぱり書き終わりたいので、再開。
自己紹介に書いた通り、私は新卒で入社した大手化粧品会社を辞めて、英国ノーリッチという東の果てにあるイーストアングリア大学にて、ブランディングの修士コース MSc Brand leadershipに通いました。
そのMSc Brand Leadership のコースリーダーであり、ロンドンを拠点とするブランドコンサルティング会社、Wolff Olinsの現役ストラテジストでもあるRobert Jonesからメールが。(半年以上前にですね。ちょうど日本が最初の緊急事態宣言下のとき。)
「今回のパンデミックがもたらすブランディングへの影響はとても興味深くて、これからはConscious Brandだと思う!あなたにとって、Conscious Brand はどんなだと思う?そのブランドはどう感じて、どう行動すると思う?」
ざっくり言うとこんな内容で、大学のHPに掲載されたブログのリンクが送られてきました。
まあ要はメルマガでした。
Robertはオックスフォード大学出身の超インテリ&超シニカルで、哲学的で、概念的で、英語がとんでもなくPoshで、教えてもらっていた当時は正直苦手でした。が、彼に教えてもらったことはものすごく重要で、時が経てば経つほどRobertに教わってよかったと思えるスペシャルな恩師です。ブランディングに興味があったら是非彼のコース、MSc Brand Leadershipをオススメしたい。
今どうかは知らないけれど、当時はブランディングを学びたい場合、アメリカのMBAのクラスの1つとして学ぶか、イギリスのデザイン観点からのブランディング、またはブランドマネジメントのコース、というくらいしかなくて。
もちろんこれらもいいのだけど、内容が狭義でのブランディングに絞っているんですよね。
専門的に、かつ包括的&体系的にブランディングを学べる、しかもロンドンの有名コンサルティングファームの現役ブランディング・ストラテジストから学べるこのコースは結構センセーショナルだったと思います。
ちなみに今どんな感じかは知りません。
話が逸れました。
Conscious Brandとは
そんなRobertのブログなので、ありがたく読んでみたら面白かったので重要そうなところをざっくり訳して内容ご紹介と、彼の言うConscious Brandについて日本の場合どうか、私なりに思ったことをざっくばらんに書いておこうと思います。原文読みたい方は是非コチラで。
今回の危機は様々な変化をもたらした。テクノロジーを駆使した、学び方、働き方、買い物の仕方など。
より深いレベルの変化としては、個人主義的価値から集団への価値にシフトした。この危機の中で、私たちは助け合い、家族や小さなコミュニティの重要さを再認識した。
私たちがどう生きるか、なぜ生きるかを変えた。
この変化は、新しいブランドのあり方、Conscious Brand、を生じさせた。
Conscious Brand には、強い責任(responsible)が求められる。それは、CSRという臭い物に蓋をするような使い古された方法なんかよりも、もっと深いレベルでの責任である。
不道徳に法をかいくぐるのではなく、エシカルに。
単にただ社員を雇うのではなく、彼らの成長を促す。
単に彼らの個々の願望を満たすのではなく、連体感を築く。
Conscious Brand は責任感だけでなく、共鳴しやすく反応が良いこと(responsive)も求められる。Consciousであるということは、気づいて、自覚して、意識していること。
Conscious Brand は、口がうまくて機械的で組織的なブランドではなくて、情緒的に知的で、有機的で、ラフで、未完成で、継続的に変形できなければならない。
Conscious Brand では、共通の「目的」ではなく、「有機的スピリット」に貢献する。
Consciousは文字どおり、「共に知る」ということなのだ。
Conscious Brand について思うこと ①京都
Robertのブログを読んでまずはじめに思い浮かんだのは「京都」でした。
京都のコミュニティはナチュラルにConscious Brandなのではないか。
鹿児島の岸良を訪れる時に必ず立ち寄るステキなコーヒー屋さんAraheamで雑誌 Standart Japan 10号を読みながらコーヒーを待っていました。
そこで中村圭太さんの記事「京都が未来である理由 -ポスト資本主義への道標-」を読んだことを思い出しました。
この記事が衝撃的に面白かった!ので要所要所コーヒー待ちながらケータイにメモ取ってました。(そして検索したらnote書いてらっしゃった!わーい!この方の書くものが、気軽に読めてしまうnoteって素晴らしいと改めて実感。)
・京都のコーヒー屋さんは横のつながりが強くて「競争」よりも「共存」している。
・小さなお商売が多く、1000年以上続く茶店があって、規模を拡大せず、ほぼ身内で手作りしている。
・この京都の小さなお商売は、「競争と成長を強いる」「生産手段からの労働者の分離」という資本主義の本質と反する。
・資本主義社会となった明治時代以降、都は東京に移り、京都は物理的にも思想的にも距離があったので独自のカルチャーが残りやすかった。
自分のケータイに残してあったことで、一言一句の引用でなくて申し訳ないです。Standart Japanの記事、ぜひ読んでください。本当に素晴らしい記事。
もちろん私は商売の実体験として京都の共存共栄を知っているわけではありませんが、EUDITIONの撮影地の1つが京都だったり、写真家さんもモデルさんも京都にいらしたり、建築家の友人が京都に拠点を移したり、今年イベントをする予定で京都には何度か打ち合わせに行っていたりする中で、「あ、この人とこの人も知り合いなんですね!」「こういう面白い人いるから紹介しますね。」「ああ、あの人のご紹介なら間違いないですね。」と京都に小さな輪が広がっていく体験をして、横のつながりの強さと、何て心地の良い規模感なんだろうと漠然と思っていました。
京都には「責任」と「共鳴」があるのではないか。定められた「目的」ではなく有機的な「京都魂」のようなものを共有しているのではないか、と思いました。
Conscious Brand について思うこと ②企業のアライアンス
日本において、このパンデミック後の世の中はどうなるだろうかと考えると、また大企業志向・安定志向が強くなるのではないかと一瞬思ってしまいました。
私自身も、小さな会社で大打撃を受けて、先の見えない不安を抱えました。そして知り合いから、「今まで人が足りなかったのに、パートさんの応募が急増している。社会保障あるからね。」と聞いて、あ〜なるほどと思いました。
平時には、大企業に疑問を抱きフリーランスなど自由な働き方に憧れても、このような危機に助けてくれる人がいない、保障がない不安というのは非常に大きい。こんな時に、毎月決まったお給料が振り込まれる威力というのは大きい。
やっと、コワーキングスペースが増えたり、法が整備され始めたり、フリーランスやマイクロビジネスがこれから少し増えるのでは、という流れの中で、働き方の多様性については、このパンデミックによって大きくブレーキがかかるかもしれない。と思ってしまいました。
その一方で、リモートしやすい流れになって都心から地方への移住が増えているなんて話もあり(日経に確か40万人がすでに東京を出たとありましたね。)、副業しやすくなったり(古巣の資生堂も副業OKになったそうで。企業文化を知っている私としては結構衝撃でした。)フリーランスとか大企業とかとらわれない、もっと曖昧な働き方にもなっていきそうな気もしなくもない。
もっと出たり入ったり、ゆるくつながったりして、大きな企業とフリーランスやマイクロビジネスが上手にアライアンスを組めるような。まさにコミュニティですよね。
ロバートのいう「個人主義的価値から集団への価値にシフト」は大企業という意味の集団ではなく、会社においてもまさしくコミュニテイのようなことを言っていると思いました。
希望的観測ですけど、ポストコロナがそんな世の中になったらいいな〜
なんか本当にただのロバートのメールへの感想文になってしまった。
綺麗に締めくくろうとすると頑張ると、また挫折して下書きのままこの文章眠りそうなので、これでおしまい!笑