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kotobanohonnsitu

最近意識的に本を読むようにしている。いうてもまだそんなに読めてないんだけど。時間がないとか言い訳作って読めてない。そんな言い訳してる割にスマホいじったり漫画は読んじゃうんだから自分の弱いところよね。気をつけよ

そんななかで、最近読んだ本に自分の思考について考えさせられる本があったんだ。その本は自分にとって一つの目標となっている人から教えられたからすごく気になって読み始めて、しかも面白いからスマホ触る時間を全部読書に充ててた。

読む前は「就活真っ最中だから、終わってから読も」とか思ってたんだけど、フラッと寄った本屋にあったからすぐ買っちゃった。そんでその日の電車で読み始めたんだけど、就活の邪魔をするどころかむしろ多くの気づきを与えてくれたんだよね。

ちょうど面接とか控えてて焦ってたんだけど、読んだ内容をすごく活かせたからなおさら読んでよかったなって今すごく思う☺



その本を読んで気づかされたのは、

「今までの俺は意思疎通のほとんどを言葉ではなく感覚で行っていた」

ということ。

これはめちゃくちゃ思ったね。特に学生だからこそなんてしまう状態だと思う。読んだらみんなこう思うんじゃないかな。(面接のときこの壁は高かった)

簡単に説明すると、今俺(ほとんどの学生)がコミュニケーションを取っている相手っていうのはほとんどが同世代であったり、好きなものが似ている人であったり、同じ境遇で育ってきている人ーつまり自分と似てる人とばかりコミュニケーションを取っているんだ。そう言う人ってさ、1つの言葉で2以上を理解してくれるんだ。

例えば、「高校時代の部活はホントきつくてランニングの日なんて朝から憂鬱だったもん」

って言った時、高校時代真剣に部活動をやっていた人は、

・「ホント」がどの程度か

・「きつい」がどういうきついなのか

・「憂鬱」がこの場合どういう状況なのか

俺の考えているものとほぼ同じ理解ができるんだよね。

でもこれが部活をしたことがない40代の人からしたら漠然としすぎて自分の意図したコミュニケーションが全くできなくなる。

んで俺らの日常ってこの連続だから、自分の「言葉にする力」ってどんどん低下してると思う。


この例え読んだとき「そんなの誰だってわかる当たり前のことだろ」って思った?



多分その人、この文章読むまで改めて考えたことなかったでしょ。

確かに書いたことは当たり前のことを書いた。でも当たり前の事実だからこそみんな無意識になってその事実に理解がない。でも無意識下では触れている事実。だからわかっているような気がしているだけで本当はわかっていない。  んじゃないかなって思う。


伝えるって難しいね。

俺らの日常の中で、自分の思考を正確な言葉に変えて誰かに伝えられていることって無いんじゃないかな。

また例えばなんだけど、

ちょっといつもより高い都内の寿司を食べたとき と 地元にある汚い焼肉屋に行ってそこの焼肉がめちゃくちゃうまかったとき

「え これめっちゃうま!!」

って言ってみんないうよね。 多分うまいうまいばっか言ってない?

振り返ってみるとどっちの場合でも同じことしか言葉にしてないよね。違うものを違う場所で違う雰囲気で食べているのに、口にしているのはいつも同じ言葉。「うま」

これ俺もめちゃくちゃそう。美味しいものたべると 「うま これ」ばっかいって食べちゃう。


この例えで何が言いたいかっていうと、俺らは何か考えるとき/言葉にするとき、理解の一層目で止まっているということ。

これはうまいだけでなくて、「やば」 「すご」 「めっちゃいい」だったり全部そう。

じゃあなぜこうなるかっていうと 本質を理解できていないから。

例でいうと「うま」以上の理解をしようとしていない。 

本来高級すし店なら魚の産地にもこだわっているだろうし、鮮度を保つために特別なことをしてるかもしれない。サービスも他のお店よりも丁寧かもしれない。 

でも俺らは「うま」しか言わない (というか言えない)のはそういう本質的な部分を知らないからなんだろうね。

本質を知ったらもしかしたら、「うまい」という言葉ではなく他の言葉になるかもしれないね。そして今まで感じてた「うまい」以上のうまみを感じれるかもしれないね☺


ここでは食べ物を例に挙げちゃったから、あんま食に関心のない俺みたいな人は美味しいんだから美味しいでいいじゃんてなるよね。(書いてて俺も美味しいが全てじゃんて思っちゃった)

ではここでガラッと例を変えると、

例えばあなたの中で嫌いな人がいたとする。その人は「うざいから嫌い」と思っている。

でもその嫌いな理由の本質を探した時、うざいのではなく、自分がしないよなこともしてしまうその人が羨ましいのかもしれない。

もしそうならば、その人が「うざいから嫌い」なのではなく、「羨ましいから嫉妬している」だけなのである。


もしかしたら、その人と触れ合うことで自分に大きなメリットがあるかもしれない。 でも、うざい っていう第一層だけの理解で終わらせていたらその人のことを単純に嫌いなままになってしまい、触れることはない。

だから、言葉の一層目じゃなく、もう少し奥まで、最終的には本質まで見ることが大切なんだ





と この本を読んで気づかされた。

ということで、今から僕は「楽しかった」と書いてある月曜日の日記を なぜ楽しかったか、kotobamohonnsituを探す旅に行っていきます☀

もしなんの本か気になる人いたら仕方ないから教えてあげるよ❤︎

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あと、読んでくれてる人

リクエストとかあったら言ってね。 
就活とか面接ならいろんな人とか先輩にに教えてもらったし夏からやってたから何か手伝えるかもしれない☺

あと、読んてくれてる人

時間できたらnote書いてね。 
自分がこんな人だろうなって思ってる人の文章見てみたいんだ☺

あと、読んでくれてる人 

いつもありがとう❤︎





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