匿名性の怖さ〜書かれた立場として思うこと〜
こんばんは。
おかちもんこです。
最初に言っておきますね。
私、このテーマについては明確な答えなんて持ち合わせてません。
タイムリーすぎるし、私がなにか書く事で嫌な思いをする人を増やしたくないのでこのテーマでは書きたくないと思っていました。
しかし
実体験を通して感じた事なら書けると思ったので書きますね。
つい先日、驚くような事がありましたね。
身近な人ではないけれど、ショックでした。
何よりも驚いたのは加担していた人の数。
本当に彼女が憎くて書き込んでいたというよりストレス発散の為だったんでしょう。
ほんの小さな事が始まりだったんだと思います。
でも、ほんの小さな事から大きい事になってしまうなんて誰も思わなかったでしょう
彼女以外は
実はその昔、私自身も書かれた事があります。
Twitterではなく掲示板に。
それをたまたま見てしまって「あ、なんで見ちゃったんだ」って気落ちしました。
私は他人からの評価は殆ど気にしない人間なので大丈夫なつもりでしたが
やはりあの文面を思い出すと・・
なんで書かれなきゃいけないの?という腹立たしさと悔しさ、怖さなども湧き上がってなんとも言えない気持ちになりました。
これは書かれてみて分かった事ですが
いつも私を心配してくれる人や
仲良くしてくれてる人が
書き込んでいるかもしれない
といらぬ心配までしてしまう、疑心暗鬼に陥る事が何よりも怖い事なのだと気付きました。
疑いだしたらキリがなく、本当に大事に思ってくれる人の事まで信用できなくなってしまい関係も壊してしまう可能性もある。
関わりの薄い人達、会った事もない人達になら何言われても書かれても平気!
という人でも
自分が信用している人に書かれたとしたら・・
平気でいられる人はどこにも居ないでしょう。
きっと亡くなった彼女もそういう思いもあったのかもしれない…本当に孤独な気持ちで旅立ってしまったのかもしれませんよね。
胸の内は誰にもわかりません。
言論の自由とは言ったものの今のこの状態は自由というより放埒。
自由には責任が伴うので秩序がありますが、放埒には秩序なんてないじゃないですか。
とはいえ
あまりにも厳しく取り締まったら楽しかった場所が楽しくなくなるリスクは大いにあります。
以前はテレビがそういう場所でした。
際どい事も危ない事もバンバン流して刺激的な番組もそれなりにありましたが、それが面白かった。
今はかなり規制が厳しくなって平和な場所になりました。その分、面白さには欠けるのかもしれませんが。
テレビが面白さを失った分、刺激ある楽しい場所になり得たのがTwitterだったのだと思います。
私は思います。
もし、Twitterが規制が厳しくなったらどうなるのか?
Twitterに売って変わるコンテンツをまた誰かが作ったり見つけてくるのだろうと私はふんでいます。
人々の捌け口となる場所は、未来永劫絶対になくならない。
不満がない人なんていないから。
SNSでも1人1人のモラルが問われていますが、どのように変わっていくのでしょうか。
今はただ見守るしかできません。
答えがなくてごめんなさい。
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。