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沖縄から「滞空時間」を考える。

滞空時間の5枚目のアルバム「鳥」を聞いている。
気づけば8年住んだ沖縄で聞いている。

タイトルの「鳥」(トリ)は、「島」(シマ)と空目した。
沖縄では、とにかく「島」とつくものが多い。

東京から沖縄へ移り住み、初めての年越しを迎えようとしたとき、行きつけの民謡酒場で、粟国島から来ていた、いつもいいあんべぇなおじさんが突然言った。

「あんた、正月にはシマに帰るのかね?」

それまでまったく別の話をしていたのに、ふと黙り込み空を見つめたかと思うと、酒で真っ赤に染まった顔をこちらに向けて言った。

「自分のシマに、帰るのかね?」
「え、あぁ、ちょっとまだ決めていなくて」
「シマは大事だよ、シマには帰りなさい」

沖縄で、シマとは自分の地元のことである。
数回しか会ったことのないおじさんが、騒がしい酒場の端で、ふっと言うことが「シマに帰りなさい」であることに驚いた。

東京に住んでいた頃は、島は島でしかなかった。
日本は島国で、そこに住んでいる私は島の人であるのだが、なんとなく、島はどこか遠くにあるものであり、憧れの象徴であり、訪ねて行く場所だった。

そうか、私のシマは、東京なのか。
「うん、正月はシマに帰ろうと思います」
私が言うと、おじさんは赤ら顔をくしゃくしゃにして笑い、グラスをぐぃっと傾け、「シマー」(泡盛)を飲み干した。

滞空時間は、ガムランをベースに、自由闊達な解釈で飄々と「架空の島の民謡」を奏でる楽団だ。
バリ島でガムラン音楽と影絵芝居を学んだ川村亘平斎が主宰している。

私は、取材で二度バリ島を訪ねたことがある。一度目は2012年、滞空時間のインドネシアツアーのとき、二度目は2017年、川村亘平斎が影絵芝居の修行をしているとき。

島で出会った川村亘平斎の師匠たちは、ふだんは近所のどこにでもいるようなおじさんだったが、いざガムランや影絵を始めると、宇宙のように無限の世界を見せてくれる巨人だった。

生まれた島で身につけた、いわゆる古典芸能を、島に住み、島で奏で演じる。
繰り返し、繰り返し。

そこで放たれるものは、幾多の層が重ねられ、誰にも壊されることのない強度を獲得した、シマの誇りだと感じた。沖縄と似ていると思った。

滞空時間の「鳥」を考えてみる。
本作は、”ジャンルやカテゴリー、国や土地から自由に羽ばたく「鳥」がコンセプト”だと言う。

どうしようもなく「シマ」を感じるのがバリ島だとすると、そこから飛び立つのが「鳥」だろうか。

「鳥」は、「シマ」を知る人のバネである。土着にシマを吸収した人たちにとって、飛び立つことへの憧れはバネになり、帰る場所があることは技芸の柱となり、だからどこへでも羽ばたける。現在、総勢9名になった滞空時間のメンバーの音楽ルーツや活動軌跡から、そんなことを感じた。

実は、「鳥」と「島」は、空目するほどに密接なのかもしれない。

本作のブックレットには、川村亘平斎が執筆した各曲の物語「新たな鳥の神話集」が添えられている。滞空時間の音楽で歌われるのは、「架空の島の民謡」ということもあり、どこの島のものでもなく、ほとんどがあべこべの言葉だ。ゆえに、何をどう受け取るかは、聞き手に委ねられているとも言える。

しかし、前作「majo」から、このような“物語を添える”という試みがされてきた。
川村亘平斎はここ数年、影絵師として日本各地を訪ね、フィールドワークし、その土地に根付く民話や伝説を拾い上げ、現地の人たちと影絵芝居を製作する活動を重ねてきた。

知らない土地で、よもすれば通り過ぎてしまう何かに気づけること――その鍛え上げられた感性によって、滞空時間の物語も拡張していったのではないかと思う。

「新たな鳥の神話集」で語られる話は、現実と幻想の合間を心地よく移動しながら、深遠な世界を見せてくれる。音楽の中にある可能性をあぶり出す。

本作には「Bard」という曲がある。「鳥」を英語で綴るなら「Bird」なのだが……と思い、調べると「Bard」は、“吟遊詩人”だと言う。なるほど、まるで川村亘平斎を表しているようである。

沖縄で車を走らせながら、「鳥」を爆音で聞いた。「なにこれ、どうなってんの」「やべーやべー」「とんでもねー」などと独り言ち、ニマニマしながら聞いた。

中でも、今日現在のわたしのナンバーワン・フェイバリット・ソングは、「Wechikeppe」である。

高速道路を運転しながら流れゆく景色がこの曲の波長にマッチしたのかもしれないが、トランス感に満ちたリズムのループと、女たちの鳥のハミングのようなコーラスと、男のテンション高いあべこべな言葉の叫びと、右往左往に絡み合って押し寄せてくる感じがたまらない。

それぞれが自由気ままにそっぽを向いて演じているようであり、その実、誰かが誰かの喜びを邪魔しない道を見つけたり、不足している部分を支え合っているような、人と人の共同体のかたちを感じさせるような曲である。バリ島のガムランは、そんなふうに暮らしと共にあるものだそうだ。で、たぶん、これが滞空時間ならではの、グルーヴなのだと思う。

それを生で体感したくて、神奈川県で行われるリリースライブへ出かけることにした。

沖縄という島の土着な芸能を、言葉でどのように羽立たせることができるのか。わたしは、いつもそんなことを考えてきた。

島は鳥をゆるすだろうか。

那覇空港から羽田空港へ向かう飛行機の空の上にて。



滞空時間 Photo by. Hayato Watanabe


滞空時間 5th Album「鳥」

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