広く、人間に
休みの日は昼前に起きて、紅茶をいれて、とくに上手くもないギターを弾く。
学生時代に買った1万円のEpiphoneと、友人から譲ってもらったTaylorのミニギター。この2本をその日の気分で弾きわける。少し前までは、ジャガジャーン、と6弦をかき鳴らしていた。だけど、最近はフォークソングでしんみりと。
フォークソングを聴きはじめたのは、高田渡の「生活の柄」から。「歩き疲れては 夜空と陸との 隙間に潜り込んで」という歌詞が、とても綺麗で、何度も繰り返し聴いた。電車の中。散歩の途中。寝る前。どんなときでも聴いた。心地よい歌詞がスーッと耳へ伝わる。ロック音楽ばかりを聴いていた耳をやさしく包み込んでくれた。
フォークソングを聴きはじめてまだ4年。好きな曲を繰り返し聴くばかりで、知識は広がらない。だけど、同じ曲を聴きつづけて、気づくこともある。ああ、やっぱり歌は詩なんだな、と。
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加川良の「あした天気になあれ」という曲がある。
目覚めの紅茶は飲むが、一番電車を見送ったことはない。シャツのそでをまくり上げて、オンボロ車に乗ったこともない。そもそも車なんて持ってない。自分の生活とは重ならない歌詞。そんな歌詞が6弦のメロディーとともに奏でられる。どうしてか、共感できない歌詞に吸い寄せられる。そして、これが加川良なんだな、とか思ったりする。
曲を聴いたからといって、その人がわかることなんてない。わかるはずがない。だけど、なんだか、伝わるものがある。どうしてか、心にしみる。どうしてか、涙が流れる。たぶん、これが詩なんだと思う。フォークソングは共感を得るものではない。手紙のように私たちに語りかける。特定の人ではなく、広く、人間に。
ちょっと前に考えた詩がある。30歳にも満たない若造だけど、何かしら想うことはあって、どうしてか詩をつくりたくなった。とくに誰かに伝えたいとかはない。ただ、どうしたって、作りたくなった。その衝動を抑える理由もとくにない。だから、書いた。
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自分の中で考えて、自分の中で出す。
誰に伝えるわけでもない。
ただ、独り言のようにつぶやくだけ。
だけど、あなたがそこにいる。どうしてか、そこにいる。
あなたがそこにいるから独り言になった。
あなたは私の独り言を聞く。私はあなたの独り言を聞く。
怒るでもなく、笑うでもなく、さえぎることもなく。黙って聞く。
そんなあなたに敬意を払いたい。
私はあなたのような境地にはない。
だけど、他愛もなく冗談を交わすことができる。
皮肉だって利かせられる。
あなたの言葉を理解できないことだってある。
付け入る隙なんてない。そんな隙を見せなくたっていい。
私はその姿を知っているから。その心を知っているから。
話さなくてもいい。会わなくてもいい。
久しぶりに会ったとき、嫌みの一つ言えるような。
時間がたっても色褪せない。
そんな友であり続けようではないか。
そんなときを想う。
***
なんてはずかしい詩を書いてしまったのだろうか。だけど、書けるうちは書いておくのがいい。むしろ書きつづけたいとも思う。それは誰に宛てるでもなく、広く、人間に。
20代の理想でしかないこの詩も、ギターといっしょに奏でたらどうだろうか。自分に酔った売れないミュージシャンみたいだろうか。それでもいいか。もし、そんなときがきたら、ジャガジャーンとかき鳴らすのではなく、スリーフィンガーでしんみりと。
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暖房で温まった部屋でギターを弾く。気づいたら外は暗い。暖かい部屋で、かじかんだような3本の指。きょうもぎこちなくギターを弾く。
2020/12/08
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