見出し画像

日本神話解説⑤ 荒ぶる神から大英雄へ スサノオの残した大いなる遺産とは


堕天使から大英雄へと躍進するスサノオ

天の岩戸開きによってアマテラスが出てこられ、長く闇に包まれていた世の中にようやく光が戻り戻りました。天上世界の秩序が取り戻され、いよいよ地上の国造りが始まります。

国土自体はイザナギとイザナミの国生みにより生み出されていましたが、インフラ整備などの国家の基盤となる事業はまだ出来ていません。イザナギが大海原を即ち地球全体を統治せよと、以前その任務を息子であるスサノオに命じていました。

ちなみに「命(みこと)」という名前がついているのは、命令を受けて使命に従う者という意味です。スサノオとは荒び(すさび)、や凄まじいという「スサの男」すなわち嵐のような凄まじい自然界のエネルギーを体現したような神様です。

その須佐之男命に地上の統治を命じるということは、自然と人類の共生を果たすこと示しているように思えます。人は自然の恩恵を受けて生かされる存在である一方、台風、地震、噴火、津波、洪水、干ばつといった、自然界の容赦なき力から身を守るといった関係です。生殺与奪の権限は大自然すなわち、神にあります。

「剣」がスサノオを象徴する物であるように、この人間の成せる業により生み出された「武器」によって自然界からわが身を守っていくことから国造りはスタートします。

天岩戸の一件が収集するとスサノオは全ての財産を没収され、さらにひげを切られ、手足の爪も抜かれて高天原から追放されました。まるで罪人のような扱いを受けて地上にやってきたスサノオ。途方に暮れて歩いていたらお腹が空いてきました。

「何か食べるものは無いかな?」そんなところに、大気都比売命(オオゲツヒメノミコト)という神様と出会い食べ物を求めます。すると彼女は鼻や口、またお尻から多くの食べ物を出してくれました。それに対し「そんな汚いもの食わす気か!」と激怒したスサノオは大気都比売命を殺してしまいます。

高天原で起こした数々の悪行に対して全く反省の色の見られないと思えるスサノオのこの所業ですが、この時にその女神の体から粟、小豆、大豆、麦といった食べ物が生まれ、天上の神産巣日神がこれをとって種としたそうです。これは食物を「採集」する方法から「生産」する方法へ移行したことを示しているのと考えられます。このようにして人類は農業をはじめたことで自然の猛威から身を守る術を見出しました。

八岐大蛇退治伝説― 荒ぶる自然の力を制御する 


次にスサノオは出雲の国(島根県)にやってきます。そこで八岐大蛇という怪物に娘を生け贄に出さねばならないと困っていた足名椎・手名椎(あしなづち・てなづち)という夫婦に出会い、娘をもらい受ける約束をした上で、八岐大蛇と戦うことになりました。

話はすこし脱線しますが、スサノオを見ていると、映画『男はつらいよ』の寅さんを思い出します。故郷の柴又と実家の寅屋で散々暴れまわって、家族と喧嘩して飛び出す。旅先で、苦しい辛い立場にある麗しい乙女に恋をする。寅さんはその乙女のために奮闘努力する。これはスサノオの神話がルーツとなる物語ではないかと思います。

さて話を戻します。八岐大蛇はかなりヤバイ相手です。ここは真っ向勝負を避け、知恵で挑むことにします。スサノオは垣根を巡るように築かせ、八つの門を設けてそこに強力な酒を入れた樽を用意させます。この作戦は成功し、八岐大蛇が酒に酔って眠っている隙に剣でズタズタに切り裂きました。

『日本略史 素戔嗚尊』に描かれたヤマタノオロチ(月岡芳年・画)

すると固いものに刃があたり、不思議に思い開いてみると、そこから天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)がでてきます。三種の神器の一つであり、その名は後にヤマトタケルが火の迫る草原で草をなぎ払ったこと草薙剣とも呼ばれます。まさに自然の力を制する力を象徴するものです。ある説では八岐大蛇とはクネクネと蛇行して、度々氾濫する川を指しており、大蛇退治は治水工事を施したことを例えているともいわれています。

八岐大蛇を退治したスサノオは約束通り足名椎・手名椎の娘である櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚して出雲の須賀という地に宮殿を築きます。この時に雲が立ちのぼるのを見たスサノオは和歌を詠みます。

八雲立つ出雲八重垣妻籠みに 八重垣作るその八重垣を

古事記

「八雲立つ」は出雲の掛かる枕言葉です。雲が盛んに立ちのぼっており、この雲のように見事な八重垣を作る。妻を籠(こも)らせる為の八重垣を。このような意味ではないかと思います。

これが日本ではじめに作られた和歌です。和歌には大変な力があります。和歌には言霊と数霊のチカラが込められており、強力な呪力を持っていると言います。日本人は古くから和歌を愛し、四季折々移り変わりゆく自然環境の中から、美しい風景とそれを楽しむ人間の暮らしを表現してきました。

現在でもそうですが、歌は生きる喜びを見出し、生きる苦しみを忘れさせてくれる。人間に力を与えてくれるものです。このような文学を創造されたのも、このスサノオという神様でした。

偉大な神であるスサノオのご神徳を授かる日本国民


スサノオは櫛名田比売との間に八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)という神を生み、さらに神大市比売(かみおおいちひめ)との間に大年神(おおとしのかみ)宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)という穀物の神様を生みます。宇迦之御魂神は稲荷神社の神様で、稲魂の神、すなわち農耕の神様です。ですが次第にお米を作る仕事からお金を稼ぐ仕事に世の中が変化したために今では商売の神様として崇敬されています。

スサノオが築いた宮殿は稲田宮(いなだのみや)といいます。大気都比売命の一件といい、スサノオは穀物やお酒といった食べ物に非常に関わりの深い神様です。

その有り余る力を制御出来ずに暴走して神々を困らせてきたスサノオは、しだいに自身の力を制御し、最終的には食べ物や、歌といった文化までも地上にもたらし、地上で暮らす人々の生活を豊かにする礎を築いてくださった偉大な神様なのでした。

スサノオのその神様としてのご利益は、その凄まじい力を持つことから。この世のあらゆる災難を退ける厄難除けや、農耕の守護、櫛名田比売と結ばれたことから良縁・縁結び、さらに文学・学問の上達というように、実に多岐にわたります。

話は少し逸れますが、私は「ご利益」という言葉があまり好きではありません。先の章でも触れましたが、神社に行って神様にお願い事をしていいことには一応はなっていますが、神社とは本来神様に感謝と祈りを捧げる公的な場所です。

では何故お願い事をしていいのかと申しますと、神様の御用をして世ため人のために役に立っているからです。天皇陛下は日本国民のことを「おおみたから」と呼びます。国民は天皇と国家にとって大きな宝なのです。神社の神々様は我々国民を守って下さる役割をされています。だから神社に行くと只々感謝の祈りを捧げるだけでも良いのです。

「ご利益」というと、自分だけが得をしようという考えに傾きがちです。「ごりやく」と呼んでいますがこれは単なる「りえき」に他なりません。我々国民は神社にお参りした際、ご祭神のご経歴を知り、そこから多くを学んで神様からご神徳を授かるべきなのです。

大切なのはご利益を戴くのではなく、「ご神徳を授かる」ことなのです。我が日本国は、神々から受け継いできた高い徳を持ってして、世の中に正しい心の在り方、正しい行いを広めてよい国を作るという目的で建国されました。初代神武天皇はさらにこれを世界中に広め、争いのない平和な世界の実現を目指されました。

そして今日もその目的を果たすべく、日本国家が存在しているのです。

最後まで読んでくださりありがとうございます。
出版のためのクラウドファンディングに挑戦中!
覗いてみて下さい!
よろしくお願いします。
↓↓↓

いいなと思ったら応援しよう!