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「無駄なこと」にこそ価値がある

私はふだん「効率的に英語を身につけるためのトレーニングジム」を経営しています。

だからつねづね「勉強や仕事をもっと効率化しよう!」と言っていますし、Twitterでも日々、学習効率化のためのハックを発信しています。

そんな感じなので、よく「効率化の鬼」みたいに思われたりするんです。でも実は、私はかなりの「めんどくさがり屋」です。

できることなら1日じゅう、ボーッとYouTubeやNetflixを眺めていたいと思っています。

こんな私が、なぜ効率を大切にしているのか?

それは「無駄なこと」をたくさんするためです。仕事や勉強をがんばるのはもちろん大切ですが、本当はもっと「無駄なこと」にこそ、価値があると思っているんです。

高性能なカメラより、100万円の使いにくいカメラがいい

YouTubeでカメラのレビューをしている、ジェットダイスケさんという人がいます。彼は、最近「ライカ」のカメラをずっと使っているそうです。以前は「キヤノン」や「ソニー」のカメラを使っていたけど、いまはライカが気に入っていると。

その理由が、ちょっとおもしろかったんです。

そもそも、いまのカメラはものすごく「効率的」になっています。技術競争がすすんで、「1秒間に何枚撮れます」「これだけ手ぶれ補正がついてます」「こんなに明るいです」「性能がいいです」と。

いわば「プロ向け」の商品になっているんです。

確かに、プロが使うのなら、そういう性能面はとても大事です。

たとえば、高性能カメラには「瞳AF」といって、ファインダーを覗く瞳から、どこを見ているか判断してピントを合わせる機能がついています。その機能を使えば、絶対に撮りたいものにピントが合うんです。

つまり、失敗がなくなるわけです。

カメラマンにとっては、仕事の効率がとてもよくなる機能ですよね。

ただ、それはあくまで「効率軸」の考え方なんです。

ライカの「ライカM」というシリーズには、オートフォーカスすらついていません。手動でピントを合わせないといけない。まったく高性能ではありません。なんなら、100年前の技術みたいな使い勝手です。

じゃあ、なにが売りなのかというと「色味がライカっぽいよね」みたいなことなんです。謎ですよね。

それで値段は、一番高いやつで100万円ぐらいするんです。

それでも「なんかいいよね」といわれて売れ続けている。カメラに興味がない人にとっては、わけがわからないでしょう。機能はなにもよくないけれど、「使うことがたのしみ」だから、べつにいいんです。

趣味って、そういう「無駄」を楽しむものですよね。

仕事じゃなくて趣味だから、「コスパ」なんて考えなくていいわけです。

「非効率でもいい」と思えることこそ、価値ある趣味である

ふつう、無駄なことや非効率なことはイヤなものです。「非効率的で、ムダな仕事の多い職場が好き」なんて人は、あまりいないと思います。

でも、誰しも「このジャンルに関しては、非効率的でもいいな」と思うことがあると思うんです。「コーヒーはインスタントじゃなくて、豆から挽いて淹れる」とか。

そういう、非効率でもいいと思えることが「趣味」なわけです。

趣味は、むしろ非効率だから意味があります。

たとえば「SLの写真を撮りに行く」なんて、効率的な視点で考えたら意味不明です。ネットで写真を探して、ダウンロードすれば済む話です。それなのに、わざわざ足を運んで撮りに行くのはなぜでしょう?

それは、撮りに行くまでのプロセスや自分で撮影したという体験に価値があるからです。

機材を選んだり、いいタイミングを待ったり、同じ趣味の人と話して盛り上がったりする。それをやっても、べつに給料はあがらないし、なんの役にも立たないんだけど、ただ楽しいからやっているわけです。

なんの役にも立たないけど、楽しいからやる。

それってとても素敵なことですし、そういう「無駄なこと」にこそ価値があると思うのです。

伸びる会社は、「趣味」の会社

だからやっぱり、いま伸びている会社には「趣味」の会社が多いです。

任天堂なんかは言わずもがなですし、サイバーエージェントも「ウマ娘」がヒットして伸びています。電動キックボードの「LUUP(ループ)」なんかも、いま伸びていますよね。

電動キックボードのサービスが伸びているのは、ただ「便利で効率的な移動手段だから」ではないと思うんです。本当に効率だけを求めるなら、タクシーに乗ってもいいはずです。

それでもいちいちキックボードに乗るのは、「趣味性」があるからです。

私も一度利用してみたことがあるのですが、とても楽しかったです。でも、単に「移動」だけをしたいときには、キックボードは使わないと思います。絶対にタクシーのほうが楽ですから。

だからLUUPのサービスは「電動モビリティの未来」みたいなことよりも、「乗ったら楽しい」というところが本質的な価値だと、私は思います。

無駄なことをするためには、無駄じゃないこともしなくちゃいけない

無駄なことにこそ、本質的な価値があります。

そもそも、人生は無駄なことをするためにあるんじゃないか、と私は思います。

さらにいうと、無駄なことをするためには、ちょっとがんばって「無駄じゃないこと」もしなくちゃいけないんです。「ライカ」のカメラの無駄を楽しむには、やっぱりお金と時間に余裕がないといけません。

だったら「無駄じゃないこと」はできるだけ効率化して、「無駄なこと」をたくさんできたほうがいいですよね。

無駄なことを楽しむために、別軸で「努力」が必要なんです。

多くの人は「努力」というものを誤解しているように感じます。

「ひたすら死に物狂いでやること=努力」だと思っている人が多いんです。でも、その考え方だと「ゆっくりすることは悪いことだ」というふうになってしまいがちです。そんなの絶対、どこまでいってもハッピーになれません。

めんどくさいことは、最小化する努力をする。そして、ダラダラNetflixをみたり、好きな本を読んだりする「無駄な時間」を最大化する。

それはべつに怠けているわけではなくて、「努力がきちんと報われている」ということだと思います。

「楽しく勉強する」がいちばんしんどい

無駄を楽しむためには、「無駄じゃないこと」つまり「人の役に立つこと」をして、お金を稼がないといけません。お金を稼ぐには、どうしても「勉強」が必要です。

勉強というのは、必ずしも受験勉強のようなものではありません。起業するなら経営や会計の勉強が必要でしょうし、転職や昇給を目指すなら、資格や新しいスキルの勉強が必要でしょう。株やFXで稼ぐにしても、やはり勉強は必要です。

勉強するのはめんどくさいものです。特に社会人で、ふつうに働きながら新しい勉強もするなんて、ものすごく大変です。

だから、勉強にかかる時間はできるだけ短くしたほうがいいわけです。

ときどき「楽しく勉強がしたいんですけど、どうしたらいいですか?」と聞かれることがあります。

でも、何かができるようになるためのプロセス自体は、基本的に楽しくないんです。

考えてみてください。たとえば英語の勉強で、「関係代名詞を覚えるという行為が楽しい」という人はちょっと特殊ですよね。それはもはや、英語の勉強が「趣味」の人です。それが趣味だったら楽しいかもしれないけれど、ここではいったんおいておきましょう。

趣味ではなく仕事のために勉強している人が、「プロセスそのもの」を楽しもうとすると、なかなか結果が出ないまま、めんどくさいことをズルズルと続けることになってしまいます。

「仕事のスキルアップのための勉強を、楽しみながらやりたい」というのは、実はいちばんしんどいのです。

基本的に、楽しいのは「できるようになった後」です。英語なら「海外の会社と仕事ができる」「外国人と仲良くなれる」「そのおかげで昇級した」などの結果がでれば、おのずと楽しくなるでしょう。

プロセスを楽しもうとするより、さっさと結果を出したほうが楽しいはずです。

それは「旅行」なのか? 「移動」なのか?

もちろん「プロセスを楽しむ」ことのすべてが悪いわけではありません。

プロセスを楽しむべきか、結果に向かって最短距離でいくべきか。これは「旅行」と「通勤」にたとえて考えると、わかりやすいと思います。

旅行では、道中を楽しみます。移動そのものが目的で、プロセスを楽しむわけです。だから、予定にない店に寄り道したり、あえて電車を使わずに街歩きをしたりします。

それを「なるべく効率的に移動して、早く終わらせて帰ろう」とは思いませんよね。旅行は楽しいものなのだから、ずっと続くほうがうれしいわけです。

でも「通勤」だったらどうでしょうか。

通勤は、職場にいくことが目的です。それを「プロセスを楽しみたいから」といって電車を使わずに歩いたり、寄り道しまくっていたら、遅刻の常習犯になるだけです。

なにかを始めるときには、こうやって「プロセス自体が目的」なのか、「結果を出すことが目的」なのか、しっかり見極めることが大切です。そうすれば、趣味はちゃんと楽しみつつ、仕事や勉強は最短距離で成果を出すことに集中できます。

先人がつくってくれた高速道路を、ちゃんと使おう

私が運営する英語学習サービスでは「第二言語習得研究」を活用しています。それは「通勤時間をなるべく縮めるため」です。

第二言語習得研究は「人間がどのように言語を習得するのか」のメカニズムを研究したもの。メカニズムに沿って学習をすすめれば、最短距離で英語を習得できます。

いわば、先人たちがつくってくれた「高速道路」みたいなものです。それをあえて使わずに「楽しいから」と下道を歩いていくなんて、意味がわかりませんよね。

英語に限らず、先人たちはさまざまな場面で、めんどくさいことを効率化してくれています。

たとえば、洗濯したり服を乾かしたりするのがめんどくさいから、乾燥機付き洗濯機が開発されたわけです。

洗濯機によってめんどくさい時間がなくなったら、みんななにをするかというと、いつもより長く寝るとか、テレビをみてダラダラするとか。たいていは、しょうもないことをするわけですよね。

でも、それでいいと思うんです。「空いた時間でもっと有意義なことをしなきゃダメだ」とは、私は思いません。

無駄を楽しむために、めんどくさいことを効率化したい

無駄なことができるのは、人類が豊かになっている証です。

あらゆることが便利になったいま、世の中は「無駄の時代」になってきています。めんどくさいことを便利にしつくして、今度は無駄を楽しめる時代になってきているんです。

だからいまは「人の生活を直接的に便利にしないサービス」もたくさん生まれています。

たとえば「ライブ配信」なんて、かわいい子がご飯を食べているのを見て「いらっしゃい」と言ってもらえるだけです。私にはよくわからないですが、それが楽しい人もいる。楽しいんだから、価値はあるんです。

なにが楽しいかは、人によってまったく違うので、他人に理解される必要もないわけです。とてもいい時代だと思います。

せっかく現代に生まれたのだから、みんなもっと無駄を楽しんでほしい。「仕事を効率化してできた時間で、さらに仕事をする」みたいな、終わりの見えない努力をして苦しむのは、もったいないことです。

効率化の先に、ちゃんと幸せを得られているか? そこがいちばん大切だと思うのです。

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