父親はそんなに凄い人ではなかったのかもしれない
僕の父は警察官だった。
広島の片田舎で働く町のお巡りさん。
もう今は定年を迎え、実家で兄と二人暮らし。
無職の老後を満喫している。
父は警察組織の中では、"地域課"に所属していることが多かった。所謂、町のお巡りさん。
そして配属先は田舎の"駐在所(交番と住居が一緒になったやつ)"が多く、そのため僕は中学生になるまで、制服を着て働く父の姿を見ながら育った。
紺色の制服に紺の帽子、そして腰にはピストルと手錠を据えられている姿が、僕達が見ていたいつもの父親の姿だった。
そして、自慢の父親だった。
何度か転校を経験したが、1番長く過ごした学校は全校生徒が100人も満たない、小さな田舎の学校だった。そこでは、入学式や卒業式等に来賓として、お巡りさんである父が来賓として招かれる事があった。
また学校の特別授業の特別講師として呼ばれ、父の教える防犯の授業を受けたこともあった。
同級生やその親御さん、そして通学てすれ違う地元の人、僕の生活で関わる人達皆が父の事を知っていて、そして僕は"お巡りさんの息子さん"として町の皆から顔を覚えてもらっていた。
町の人から感謝され、尊敬されていたお巡りさんの父、そしてそんな父の息子であることが誇らしかった。
町の皆から尊敬されている父だが、決して社交的なタイプの人ではなかった。
仕事が終わればそのほとんどを家族と過ごしていたし、友人と連絡を取ってる様子もほとんど見たことがなかった。
いつもテレビでカープの試合を見ながらお酒を楽しんでいた。
ただ酔っぱらって暴れたり暴言を吐くこともなく、真面目で穏やか、そして人当たりのいい人。
家族が凄く仲がいいという訳ではなかったが、当たり障りのない家庭、その良き父親をしていた。
僕が朝起きると、いつも新聞を読みながら、イチローの試合を見ていたのを覚えている。
冬になると毎年スキーに連れていってくれた。時間があるときは、参加していた地域のクラブ活動の送り迎えや、試合の引率も行ってくれた。
中学に上がるタイミングで家を買い、単身赴任で離れて暮らした時期もあったが、学生時代の僕にとっては、立派な尊敬できる父親だった。
周りからも信頼されている、立派な人であると思っていた。
けれども時間が経ち、僕ももう社会人になった。
そんな今、改めて父を見つめ直してみると、子供の僕が想像していたような"立派な人"ではなかったのかもしれない。
僕は学生時代、自分の事を"出来る人間"だと思っていた。
小学生の時は進研ゼミ、中学は塾に通っており、そのお陰で学校の授業で躓く事はほとんどなかった。
背は小さかったが、運動も苦手ではなく、体育の授業はいつも楽しみにしていた。
特に長距離は得意で、学校対抗の駅伝メンバーには必ず選ばれていた。
イタズラや忘れ物もほとんどなく、真面目で大人しく、そしてやることはきちんとする。
先生からクラスや班をまとめることを任されることが多く、"信頼できる子供"として学生時代を過ごした。
そして自分は将来、"立派な人"になると思いながら過ごしていた。
"周囲から期待され、それにきちんと応える人"になると、自分の将来を想像していた。
そして父親は、僕が今感じている"周囲の期待"を叶えながら生きてきたのだと思っていた。
父親は僕が3歳の頃、胃ガンになった。当時、30代も後半の頃だと思う。
幸い胃の3/4を摘出する手術は成功し、入院の後、継続して警察官として働き続ける事は出来た。
だが当時の職場は多忙で、ガンから復帰して暫くして過労で倒れてしまった。
1/4しかない胃では、食べる量も大きく減ってしまい、外でも仕事も多く、体力も必要となる警察官の仕事をすぐに行うのは難しかった。
そういった経緯があり、その後父は比較的忙しくなく、また家族のすぐ側で働ける田舎の駐在所勤務を行うこととなった。
暫く駐在所勤務を行った後も、父は田舎での勤務を希望し、駐在所や交番でも勤務を続け、定年退職するまでずっとお巡りさんとして働いていた。
父はエリートではなかった。
実家は田舎の町工場の長男。
地元の大学を卒業し、公務員試験に合格し警察官になった。
"親は自営業だったから、公務員になって喜んでくれた"
父がそんな話をしていたのは覚えている。
でも警察官をしている父が、出世に拘っているようには見えなかった。
野心を持って仕事をしてるようには見えなかった。
"使命感で仕事をしている"
就活前に実家に帰った時「仕事って楽しい?」って聞いたとき、そんな風に口にしていた。
きっと父は警察官では期待される側ではなかった。
何かを叶えようとしている人ではなかった。
"元警察官"という肩書きで、定年後も様々な仕事がある中で、父は無職を選択した。
今は1日中テレビを見て過ごしている。
田舎の実家で、誰とも会わす、兄と過ごすだけの毎日。
でも、そんな風に過ごす父の姿は、何も変わっていない。
子供の頃見上げていた、制服姿の父も今ときっと変わらない。
いつも父は淡々と毎日を過ごしていただけだった。
僕が勝手に美化していただけだった。
自分が感じている期待を、父に投影して見ていただけ。
僕は期待されているずなんた、僕は立派な人間なんだ、だから僕の父も期待される人なんだ、立派な人なんだ
自分が見たいように見ていただけだった。
父は周囲の期待を叶える為には生きてはいなかった。
でも、僕は父のおかげて今ここまで過ごすことができた。
僕が生まれてタバコを辞めた。部活の試合は、ビデオカメラ片手に応援してくれた。そのビデを見ながら、楽しそうにお酒を飲んでいた。
母がセルフネグレクトになったときは、代わりに弁当を作り続けてくれた。
高校で引きこもったときは、よくドライブに誘ってくれた。
大学でも引きこもり、留年しても学費と生活費を払い続けてくれた。
就職先が決まらず実家に帰ったときも、何も言わず迎えてくれた。その後仕事が決まり、東京に出てくるためのお金も用意してくれた。
淡々と毎日を過ごした父のおかげて、僕は回り道しながら、人よりも時間をかけながら人生を歩んでこれた。
僕ももう"期待される人"ではなくなった。
子供の頃抱いていた"立派な人"にはなれなかった。
ずっと諦めきれず、もがいては傷付いて立ち止まり、そして今もまだ苦しみ続けている。
でも僕も父のように生きる時が来たのかもしれない。
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