別れと出会いの春が過ぎて①卒園


こんにちは。

6月に入り、自分の誕生日を迎えて31歳になりました。
昨年11月に始まったワーママライフもあっという間に半年が経ち、
今の生活もだいぶ馴染んできて最近は心のゆとりも出てきました。

少し前の話になりますが、

4月、保育ママの卒園と認可保育園への転園という一大イベントがあり、
別れと出会い、二度目の慣らし保育、新生活のスタートと心も体も忙しくなかなか大変な時間を過ごしました。

それを書き溜めて下書き保存したまま、投稿せずあっという間に初夏になってしまいました。

忘れたくない感情にたくさん出会ったので、今更ですが書き残しておきます。



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涙のお別れ



2024年3月29日、息子は約5か月通った保育ママを卒園しました。

1歳1か月で保育ママに入園した息子。

保育ママに入園した理由は、
秋の途中入園で認可保育園の0歳児クラスは一切空きが無く、
春まで育休を延長したところで私達の住む保活激戦区で1歳4月入園はフルタイム共働きでも入れる見込みが薄かったから。

なので、秋の時点で空きがある保育ママに途中入園させ、そうすると1歳4月入園に向けて保育指数が2点加点されるので4月に希望度の高い認可保育園へ転園出来る、という狙いでした。

それ以外にも、
息子は1歳1か月時点で発達遅め+母乳以外受け付けない子だったので
いきなり保育園の集団生活に馴染める気がしなかったので

保育ママでの小集団の中でまず社会生活に慣らしてから保育園へ段階的に進むほうがいいだろう、
という考えもありました。

その読み通り、保育ママで11~3月までの5か月間、
少しずつ母子分離に慣れてご飯も食べられるようになり、
園児5人という小集団の中でそれはそれはのびのびと楽しそうに過ごしてくれ、
「既に保育ママへ通っていて母も復職している」ということで保活の加点を獲得したので
1歳4月に第二希望の保育園への転園チケットを手に入れたのでした。

保育ママは家からはなかなか遠く、
自宅~最寄駅へ向かう方向とは反対方向に自転車で15分。
息子を送ったあと母は一人自転車を爆走して10分かけて駅へ行き、電車で通勤する日々。
送迎が本当に大変だったけど、

「4月までの辛抱だから!」と頑張りました。

立地こそ母にとっては辛い保育ママ生活ではありましたが、
本当に本当に息子の個性に合った素晴らしい保育環境でありました。

2歳と3歳のお姉ちゃん+息子+同学年の男の子ベビー2人という園児5人と、先生は常時3人体制。

お家で遊んだり、公園や児童館、他の保育園のイベントへ行ったりお散歩へ行ったり。

まったりのんびり、保育園というよりも
「近所の子育て上手なおばちゃんに預かってもらっている」ぐらいのアットホーム感でした。

LINEで送られてくる息子の写真や動画からも無邪気に笑う息子の姿と優しい先生方の声掛けがあり、
「遠いけど本当にここに入れて良かった」と思える場所でした。

そんな最高の保育ママも、3月29日でお別れになりました。

どのみち通っていた保育ママは3月いっぱいで廃業の予定だったので、
このまま通い続けるという選択肢は無かったのですが寂しくて寂しくて…

「まだここに通いたかった(遠いのは大変だけど)」という未練と、
「まだまだこの優しい先生達に息子の成長を見ていて欲しかった」という思い。

息子、人生で初めての卒業。

ああ、こうやって人生は出会いと別れをこれからも繰り返していくんだった、

私もそうしてきたのに、なんだか自分のことより寂しくなってしまったなぁ、

保育ママの慣らし保育初日、
初めて息子を他人に預けたのが寂しくて寂しくて、
大泣きしながら先生に抱えられていく息子の姿を見るのが悲しくて、
私一人になってからお迎えまでずっと泣いたなぁ。

息子が給食を食べてくれなくて水分補給も出来なくて、
慣らし保育が延長してしまって、「このままクビになったらどうしよう」なんて焦ったなぁ。

でも先生達はあれやこれや色んな方法を試してくれて、
「こうしたら今日食べてくれました」「次はこれで水分補給させてみましょう」と嫌な顔せずやってくれて、

ああ、もう私一人で悩まなくていいんだ、一緒に考えてくれる大人がいたんだ、と心強かったなぁ。

息子が保育ママで毎日楽しく笑顔で過ごしてくれているということが、
私にとって本当に心の支えで、日中仕事で離れていたって大丈夫、息子は息子で楽しんでくれているんだから、
とポジティブでいられた要因はこの保育環境にありました。

3月29日(最終日)のお迎え、先生達と涙のお別れをして(息子はもちろん分かっていないので泣かないけど)、保育ママを卒業しました。

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