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【SHOGUN 将軍】を見たあなたに贈る。織田信長に仕えた、黒人『弥助』とは。
こんにちは。
今年は『SHOGUN』の年でしたね。
2024年9月15日にロサンゼルスで授賞式が行われる第76回プライムタイム・エミー賞では、作品賞や主演男優賞など、25の部門にノミネートされ業界を驚かせました。
また、エミー賞では11人の日本人がノミネートされ、過去最多。フレデリック・E・O・トーイが監督賞、アンナ・サワイが主演女優賞、真田が主演男優賞、本作品が作品賞をそれぞれ受賞しました。
第1シーズンは2024年2月27日にアメリカではFX on HuluとFXで、日本ではDisney+で公開され、既にシーズン2、3が決まってます。(楽しみ)
『SHOGUN』では、徳川家康に仕えた「ウィリアム・アダムス(日本名は三浦 按針 みうら あんじん)」の物語となっていますが、織田信長に仕えた黒人侍がいたのをご存じですか?
名は弥介。
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安土桃山時代の日本に渡来した黒人男性。1550年代後半を生きた。モザンビークの出身、巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日する際にインドから連れてこられた。
宣教師から織田信長へと進呈され、信長が死去するまでの約15か月間、彼に仕えた。
信長からみた黒人。
「二月廿三日、きりしたん国より黒坊主参り候。年の齢廿六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛の如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも、強力十の人に勝たり」
信長はその肌が墨を塗ったものでなく自然のものであると信じずに、帯から上の着物を脱がせ、さらに信長が体を洗わせたところ、白くなるどころか一層黒くなったとされる。
本能寺の変。
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1582年6月21日、織田信長を明智光秀の軍勢が襲う本能寺の変が起きた。
変の際の弥助について、信長の死後、その嫡男である信忠のもとへと駆け付け、そこで戦った末、明智方に降伏。家臣に弥助をどう処分すべきか聞かれた光秀は、「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として、「インドのパードレの聖堂に置け」と命じたという。
その後の弥助の消息については一切不明である。
出身地、モザンピークとは。
アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家。現在人口は約3036万人で増加傾向にある。
ヨーロッパが大航海時代を迎えていた1498年、ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を越えてこの地に到達したのをきっかけに、16世紀初頭からポルトガルによる植民が始まり、17世紀半ばにはポルトガルの植民地支配が確立。モザンビークからは遥か遠くのブラジルにまで黒人奴隷が連行された。
まとめ
按針だけではない、戦国時代を生きた異国の民。深堀していくと面白い発見がたくさんあります。残念ながら弥助については謎が多く、記録が少ないため深堀が難しくなってます。
今後も筆者の気になる歴史を共有できればと思います!
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