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おばあちゃんと私。

怒ると都度、
幼い私に馬乗りになり、
「お灸するぞ」
と言ってきた父方の祖母と、

言いたいことは、はっきり言うが
優しい母方の祖母。


自身の実家で働いていた人(おじいちゃん)と
両親の反対を押し切り
駆け落ちした父方の祖母と、

忙しい夫が家にいない間、
ひとりで2人の子を育てあげた母方の祖母。


破天荒な父方の祖母と、
穏やかな母方の祖母。

一見、真逆に見えるが、
共通するのは、
両方愛情深い人だということ。



先週わたしは、
18時からの会社の夜部会に参加するため
会場最寄りの駅にて
18時まである別のリモート会議に参加していた。


そのリモート会議中、
母からの着信が鳴り止まない。

スマホで会議に参加していたため、
着信を何度も拒否した。

あまりにもかかってくるので
「ごめん今会議中。どうした?」
とLINEしたところ、

「おばあちゃんが危篤です」
「今夜が山」だ、と。



結論から言ってしまえば、
山を超えた。
まだ、山脈であることに変わりはない。

しかしながら、
一度は下山してきたので、
「今夜が山」のセリフすら
ガキ使の「今夜が山田〜」に聞こえてしまうぐらいには
メンタルが回復した。


母方の祖母。

毎年、おばあちゃんちに行く度、
私のために1年間貯め続けてくれていた500円玉貯金を
嬉しそうに出してくる。

「今年はいくら入ってる?」

ゲンキンな私はそれを楽しみにしており、
近くの温泉に連れて行ってもらったとき
そこのこじんまりとしたゲームセンターで無計画に使い切った。


高校生のときは3年間、祖父母宅にて下宿した。

親元を離れた私の保護者代わりになってくれたのは
祖父母と、近所に住む母のイトコ。

前回の記事に書いたような
「授業中アーモンドチョコを食べる」
「帰り道に買い食いする」
程度の女子高生ではなかったため、

それはもう心配をかけた。


まず、新入生オリエンテーションの日から、
乗るバスを間違え電車に間に合わないと騒ぎ
祖父母に連絡をするも
見知らぬ土地で自分の位置を正しく伝えられない。

必死で探し回る祖父母をよそに、
私はたまたま信号待ちをしていたパトカーを拾い
タクシーのように使って、
駅まで辿り着いた。

駅で先に待っていた祖父母は、
パトカーから降りてくる孫を見て驚いたことだろう。


高校生になり、
人並みのオシャレに目覚めたときは、
高校の最寄り駅まで祖母を頻繁に呼び出して、

「これとこれとこれとこれ」
と、洋服だけ渡し、会計を任せた。


終電まで誰にも連絡せずに
友達と遊んでいた日は、
駅に電話を掛けたようで、
駅員さんに呼び出された。


帰宅時間がいつも遅いので、
祖父母は先にご飯を食べ終わっている。

やっと帰ってきた私が
ひとりでご飯を食べるのを
おばあちゃんはジッと見つめていた。


その頃の私は絶賛反抗期中で
人に観察されるのが好きではなかった。

だから、ムッとした顔で食事をしていたのだが
今思うと
「口に合うだろうか」など、
色々考えてくれていたんだと想像する。


私の顔を無言で見つめる祖母の手が
開いた新聞に当たり、
カサカサと音が鳴るのも耳障りだった。

それはパーキンソン病の症状だったのだが、
当時は、怒りで手が震えているんだろうと思っていた。


おばあちゃんは毎朝お弁当を作ってくれた。

私が好きだと言ったものが
毎日入っている。

ピーマンとエリンギの塩胡椒炒めと
チーズの乗ったハンバーグ。

でも、全体的に茶色くて、
友達からあまり見られないように食べていた。


私が大学生のとき、
母親代わりをしてくれていた
母のイトコが亡くなった。

子宮頸がんだった。

小さな頃からいつも遊んでくれていた人。
高校生になってからは、
文化祭や体育祭に
祖父母と一緒に来てくれた。


最後にお見舞いに行ったときは、
やつれた顔を直視できず、
わたしはその病室で自分の爪を切り始めた。

爪を切りながら、
笑い話をした。


お葬式の日、泣き崩れる私の横で、
おばあちゃんは1滴の涙も流さなかった。


辛くないわけがない。
近所に住み、
我が子のように可愛がっていた人だから。

「おばあちゃんは今まで、辛い経験をたくさんしてきたんだな」

そう思った。



そのおばあちゃんが、
今は病室で泣いている。

パーキンソン病の症状で、
「せん妄」があるから余計に悲しくなるのだとは思うが、

いつも泣く時は
「じいちゃんに会いたい」
「じいちゃん帰らないで」
と言う。


自宅にいた頃は
「せん妄」の症状で幻が見え、
おじいちゃんと別の女性の浮気を疑った。

「また田中さんと浮気してたでしょ」
「おれ、もう92だぞ」
「現役だって聞いた」
「ばあさんしかいないから安心して」

田中さんというのは
近所の麻雀仲間らしい。


「じいちゃん、会いたい」
と言うわりに、
いざおじいちゃんがお見舞いにいくと
心拍が200に上がるので
それはそれで困りものだ。



わたしのおばあちゃんは
2人とも、愛情深い人。

一度大切に想った人のことを
全力で愛することができる人。


だから、
もう少しだけ、
おじいちゃんと一緒にいさせてあげてほしい。











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