修験サエキと意識と水分子
落合莞爾さんの國體ワンワールド史観に修験サエキ(実態はいまいち不明)という存在がでてきますが、大昔(数千年前?あるいはもっと)から、鉱脈をみつけたり、離れたところでも意思疎通ができたり、いわゆる特殊能力がある人々です。これをまともに解析するスベはありませんが、最近流行りの周波数、振動数ということばを使えば、それを「特別に感知する能力」と説明するととても分かりやすい気がします。
ダウジングで鉱脈を見つけられる人も修験サエキかもしれません。
人間は一般的に視覚、聴覚などで受信できるレンジが決まっています。それを超えれば、紫外線、赤外線、超音波などと呼ばれるわけですが、当然ながらそれ以外の波長は存在しないわけではなく受信できないだけなのですが、もしそのレンジが人と著しく異なる人がいるとしたら、まさに上記のようなことが可能なんじゃなかろうかと思ったりします。あるいは、受信できなくてもからだが自然と無意識のうちに感じて間接的に分かったりするのかもしれません。
そういう能力を得ようという人は当然ながらその感覚を日常からフルに活用しなければ発達しようもないと思いますが、仮に最大限修行したとしても到達できないような素地、あるいは、生まれ持ちの「器」というものもある気がします。歌手で何オクターブも出たりするのは修行だけではなんともならない気がしますが、それと同じようなイメージです。
その「器」というものはどうやって決まるのだろうと考えると、やはりDNAでしょうね。遺伝子に刻まれているプログラム。だから血統というものが重要視されるのも分かる気がします。おそらく特殊な能力というのは、代々血統で受け継がれたり、また、その儀式なども秘伝として受け継がれているのだろうと想像します。遺伝子配列が分かるようになった現在では、その秘密はもう分かる人には分かっているのかもしれません。
話は戻りますが、一体何を感知しているのでしょうね。すべての物質は波であるなどともいわれますが、ヒントとして意識は水分子の動態がつくるかもしれないというエキサイティングな仮説を聞いたことがあります。亡くなられていますが元新潟大学脳研究所教授の故・中田力さんです。医学的にもなぜ麻酔が効くのかというのが当時も解明されていなかったのですが、水分子の動態に影響するからではないか?という大変面白いお話です。一般向けの書籍も書いておられ、2000年初頭でしたが大変ハマりました。
これがもし本当だとしたら人間の記憶、意識状態というものは水分子のリズム、メロディーなどと言えるかもしれません。そして特殊能力がある人というのはそれを受信できる人ということになるんじゃないでしょうか。普通の人にはわからない地下水や鉱脈を読み取る能力にも通じているし、話が合います。故・中田力さんと修験サエキが私の中でここで繋がるとは思っていませんでした。
今後、科学がまたどこまで発達していくのかわかりませんが、いつの時代かこういう能力も科学的根拠をもって語られる日が来るかもしれません。とても楽しみですね。