【母の思い出】直行便がなかった頃のこと
1934年生まれの母。海外旅行自由化前の1950年代から海外に行っています。そんな母の思い出を記録したいと思っていたけれど、時すでに遅し。90歳を過ぎ記憶も薄れ、覚えていることも曖昧になってしまっている様子。でも、断片的ですが鮮やかに残っている思い出を話してくれる時もあります。
思い出話やアルバムの中の母の日記を書き残しておこうと思います。
母が初めてニューヨークに行ったのは1950年代の終わり頃です。
今は直行便で行くのが普通ですが、当時は給油のため経由に次ぐ経由だったそう。東京を出発し、ウェーク島、ハワイ、サンフランシスコと止まったと話してくれました。
ウェーク島なんて聞いたことがなくて、どこにあるのか調べてみたら、この地図の赤い印のところ、ちょうど日本とハワイの間にある小さな島でした。
海外旅行の話は何度も聞いたことがあったけど、飛行機の経由の話を聞いたのは初めてでした。それに、最近の事は何でも忘れちゃう母が詳細に話してくれたのも驚きました。
ちょっと調べてみるとこんな記事を見つけました。自分の母親だし、もちろん祖父母がどんな人だったか知っていますが、この金額を見てさらにびっくり。一体なぜ20代の母がこの当時に海外旅行することができたんだろう?
こちらはJALに関する記事です。母がJALで行ったのかどうかはわかりませんが、ウェーク島に寄ったのは間違いないので、きっと母もターミナルで食事をしたんじゃないのかなと想像すると何とも楽しい気分になってきました。
母によると、香港へ行くときも直行便ではなかったそうです。
香港へ行くときは、東京→沖縄→台湾と経由していたそう。母は経由で初めて沖縄に行ったそうですが、空港が本当に何もなくてジャングルみたいだったとか。
そういえば、私が1971年に香港へ行った時も飛行機は一旦、台湾に寄りました。台湾の空港で買ってもらったチャイナドレスを着た人形をCAさんがほめてくれたのが嬉しかったのをよく覚えています。
母のちょっとした話のおかげで昔の海外旅行を知るきっかけになりました。