『あのこは貴族』について
映画『あのこは貴族』は、主人公・榛原華子(門脇麦)がタクシーに乗って、2016年の元日の東京の街並みを眺めているところから始まる。開業医の箱入り娘として育った彼女は婚約者と別れ、彼を紹介するはずだった親族との集まりの場に一人で向かっているのだ。
親戚が集まるお正月の夜といっても、実家のテレビで『芸能人格付けチェック お正月スペシャル』が流れる中、鍋やおせち料理をつつきながら、各々の近況を報告するようなものではない。華子の親族はお金持ちらしく、ホテル内の料亭にて、小鉢の一つ一つにまで高級感が溢れる豪勢な料理に舌鼓を打っている。
婚約者と別れたことを告げる華子。彼女は失恋による自分の気持ちの整理よりも、婚約者の到着を期待していた親族から繰り出されるコメントに対してどう受け身をとるかを気にしているようだ。その後、身内からのプレッシャーや大学の同級生の大半が既に結婚している状況に後押しされ、周囲の紹介によって婚活に励むが、新たに出会う男性たちの無神経な挙動や発言にドン引きし、彼女は嫌な思いをすることになる。
華子が家族との食事の場から中座して、自宅の台所でジャム瓶の中身を指ですくい、子供のように舐める場面があるのだが、どこか親族の圧力や旧来の価値観に迎合することを内心では窮屈に感じているようであった。
ここまでで映画開始から15分前後だっただろうか。もうこの時点で、華子の物語の行く末が気になっていた。
この映画では、もう一人の主人公・時岡美紀(水原希子)が登場する。美紀は富山から上京し、慶應義塾大学に入学する。しかし、親の金銭援助が困難になり、学費が払えなくなる危機に陥る。美紀は水商売で生計を立て始めるが、稼ぐことができずに大学を中退し、田舎に戻らず東京で働いている。
この映画が美紀のパートに移ると、華子の生きる世界とは全く無縁の閉塞感のある田舎の描写から始まるため、「ん?違う映画始まった?」と一瞬錯覚するほどであった。
環境も生き方も異なる華子と美紀は、あまり嬉しくない共通項をきっかけに出会うことになる。このふたりの出会いのシーンには、緊張感をまといつつも、二つの異なる物語が一つに結合したような印象を抱いた。
男性:女性
貴族:庶民
東京:田舎
家族:個人
このような様々な断絶や差異が、この映画では登場する。その分かり合えなさに軽く絶望したりもするのだが、それぞれ違うレイヤーや価値観の中にいる者同士について「どうしたって分かり合えないけど、どうやったらうまいことできるんだろうね」という問いが投げられている。
この映画は旧来の価値観に縛られてきた二人が、ゆるやかに連帯することによって、自分達の呪縛をほどいていく姿を映し出している。自分の身体は一つだけだし、自分の心も一つだけであって、自分の意思でないものに自分という存在を押し込められるのは違うのだ、と。複雑な階層が織りなすこの世界の中で個の人間として模索しながら生きる二人の姿はとてもよかったし、持つべきものは友だというメッセージにも頷いた。
あの二人は、2021年の日本でどう生きているだろうか。