嵐の日

思い出話。
といっえもすーーごーく昔
ふと思い出したので書き残そうと思う。
私が小学生低学年の時、ほぼ毎日友達を迎えに行って学校に行っていた。
ある日とても風が強かったけど家を出て友達の家に行った。
パジャマ姿の友達が出てきて目をこすって出てきた。なぜその場所にとどまったのかは忘れてしまったのだけど…友達が警報が出ているし雨風が強くなってきたからいようという。
また、家は友達と弟以外しかいなくてあれれ?となったように思う。
私は友達の家でぼーっとテレビを見ながら雨が止むのを待っていた。

彼女の家はおばあちゃんちで
家族の家は別にあるようだったけど
お母さんが夜仕事に出ていたりしたていたみたいでおばあちゃんちにいるような感じだった。
そのアパートはものすごく古くて多分
上と下で2つしか部屋が埋まっていないのと
部屋が一応ふた部屋あるもののとても狭かった。お風呂がなくてトイレも和式。
電話も黒電話だった。
おじいちゃんのお店にも少し前まで
ピンク色のダイヤル式の電話があったけど
家で使っているのは初めてだった。
資料集とかで昔の道具コーナーで出てくるイメージが強くなんだか不思議だった。

断片的な記憶なのだけどなぜかその日の
子どもたちしかいなかった空間が少し不安だったことを思い出した。
今日…じゃなかった昨日。3.11だった。
だからだらうか…?
私の地域はとくに被害もなく地震もほぼ感じない程度だった。
携帯電話の持ち込みが禁止されていたので
情報も家に帰らないとわからなかったから
私はその日の夜に知ったような気がする。
私の地域は私が生まれて数ヶ月で地震があったのでそっちの地震の方が色濃く残っているような気がする。
また、テレビでしかわからない、日本といえどとても遠くてどこか実感がなかった。
友達の反応もとても薄かった。
その話で持ちきりになるかと思っていたので
そうでもないんだな…と思った。

東京にくると地震にあった地域の友達も多いからそのことが身近に感じる。
東京に行くとに周りの親戚などに原爆のことを心配されたし
友達でわかってはいるものの食べ物のことも心配してしまったりしたようだった。
地震が増えると不安にはなったし
東北の友達に話しを聞いたり
東京にいるとよくその地震のことについて言っているなと思う
でもその前にも色んなところで起こっているし熊本でも少し前に地震あったからそれはそれで1つだけにスポットがあたってしまっているようでうーん…となったりもした。でも放射能の方がひどいほうも確かかもしれない…
どっちが上だ下だとか言ってしまうと
よくないな…
被害があれば大小ないな…っと

身近にあったり自身に衝撃が起きない限りやはり人の記憶からは消えていってしまうのかなと思う…
私自身も他で衝撃なことがあったので、
今年の誕生日近くは穏やかでいられないかもしれない。
色々考えてはみるけれど難しいなと思う。

話がこんがらがってきてしまった。。。
きっかけは震災の日だけども
誰かにとっては今日も悲しい日なのかもしれないなと、人それぞれの心に嵐の日が刻まれているのかなと
平和な日が続くといいなと思います。

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