生後42年8カ月〇〇を知る
「やだぁ~幸ちゃん、ぶりっこ~」
生後42年8カ月、初めて参加した合コンで(40歳オーバーの男女の飲み会でも『合コン』と言っていいのならば)で、また女を敵に回してしまった。
ぶりっ子でもなんでもなく、本当に知らなかったのさ。
私の母は、浅香光代とデビィ夫人と野村沙知代を足して数百倍したような女だ。母が「黒」と言えばまぶしいくらいの白い「白」も黒と言わされていた私だ。世の中の理不尽など、私の母の私に対する言動からしたら屁でもない。「あんたなんか生まなきゃよかった」と言われて不良になったという話がドラマにもなったけど・・・私なんぞ「死ぬなら車にひかれて死ね。保険金貰えるからね。電車はやめてね。賠償金取られるから。」と言われていた。死ぬときは電車に飛び込もうと決めていたわ!
20歳で私を生んで、(子供のために)離婚して(子供のために)私と2歳下の弟を連れて再婚したと言う母。父は初婚で、しかも小さいながらも会社の2代目。父方の親せきは、そりゃあ大反対でしょ。そのストレスやら世間体やら色々抱えていたのはわかるけど(ここ、理解してあげちゃダメって児童養護の専門家は言う。どんな事情でも虐待は許されないって)それはそれは厳しくしつけ?られた。
朝1番に起きて会社の掃除。学校から帰ると掃除、洗濯、妹の世話。夕飯の準備、片付け。就寝は8時。視聴を許されてる番組は世界名作劇場?フランダースの犬とかアルプスの少女ハイジとかね。漫画も雑誌も厳禁。これ18歳まで守ってましたわ。
何度か家出して、母方の祖母の家に逃げ込むのだけど、すぐ連れ戻された。祖母が「ばあちゃんが生んだ娘なのに何も言ってあげられなくてごめんね」と泣くから、どんなに辛くても私が自殺なんかしたら、ばぁちゃん悲しませるな、と思ったり。(死ぬ勇気も無かったけども)
本当のお母さんが迎えに来てくれるのを待ちながら・・(残念なことに、中年になった私の顔は母に似ているのでおそらく本当の母は母である)どうやったら母から逃げられるのかばかり考えていた。(これは50歳をこえた今も、もしかしたら逃げきれてはいない説)結婚すれば家を出られるのは間違いなかったし、実際、元旦那のプロポーズは「僕と結婚したら、飲み会にも行かせてあげるよ。」だった。社会人になっても職場の飲み会すら禁止だったので。事実、結婚してから飲み会でデビューを果たし、私は意外とモテる事と、お酒の力を借りて無礼講な振る舞いをするという喜びを知る。
あぁ、話がそれた。私が40過ぎで「ぶりっ子」呼ばわりされる理由を何から伝えればいいのかとなると、この母とのエピソードは避けては通れないのだけど、キョーレツ過ぎる母との関係はそう簡単に伝えきれない。
生後42年8カ月で初めて知ったこと。「尺八」と言う「大人の隠語」だっちゅう話なんですけどね。そして「こんなの初めて!」な体験と挑戦の始まりなんですけどね。