未遂だった件
20代前半の頃、私はとある地方で教員をしていました。担任をしていたクラスで問題があり、解決することができず苦しんでいました。100%納得できる形ではありませんでしたが、取り敢えずひと段落したところで、週末、郊外の温泉施設に行くため車を30分走らせました。
ゆっくり温泉に浸かって着替えた後、二階にあるレストランに入りました。健康に良さそうなサラダやメインのお肉などと一緒にハーフボトルのワインを頼み、全部飲みました。会計をして、車に乗り出発しました。頭がグラングランして、たまらず途中で停車。自販機で缶コーヒーを買って飲み、少しでも酔いが覚めるかなと思いましたが、そんなすぐには覚めるはずもなく、下道で行くのを断念して、高速に乗ることにしました。無事に帰宅して、寝ました。
これが自殺未遂だと気づいたのはしばらく経ってからでした。
一歩間違えれば死ぬ行為。もし事故を起こしてしまえば、他人を傷つけ、自分の家族や友人を悲しませるだけでなく、仕事は一発クビ。生徒や保護者、同僚にも迷惑をかける行為。しかし、あの時の私の頭の中には彼らの顔は出てこず、自分のしていることが招く最悪の結果も一切思い浮かびませんでした。
あの当時、仕事で問題を抱えて苦しんでいて、将来も不安でしかありませんでしたが、死にたいとかまったく思っていませんでした。社会に出て仕事をしていれば、誰もが苦しい思いをするものだと。苦しいのは自分だけではないと。しかしながら、自殺行為をしてしまっていました。まったくの無意識のうちに。
ふわーっとやっちゃうことってあるんですね。遺書をしたため、家族や友人、関係者に謝罪と感謝とお別れ、なんて用意周到にいかないんですね。
私は今、生きています。あの時に死ななかったからです。生き残ったのは、自分にまだ使命があるからではなく、単なる偶然です。うっかり生きてるんです。
なんであの人が?と思うような方が亡くなったというニュースを目にするたびに、彼、あるいは彼女は私でもあり得たと感じます。交通事故で誰かを傷つけてしまった人のことを思うたび、どんなに苦しいだろうかと。事故を起こしたい人なんていないのに、と。
あの時、私は自分の中にたまった苦しみにまったく気づきませんでした。無意識の自殺行為だったと気づいて初めて自分の苦しみを自覚しました。あの時、私が死んでいたら「なんであの人が?」と周りは思ったでしょうし、私自身も「あれ?」という感じだったかもしれません。
「うっかり」の行為が分ける生死の差は薄い皮一枚で隔たれただけです。