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自分史について

こんにちは。お嬢です。

今日は自分史について書いていこうと思います。


1.自分史ってそもそも何

なんだかみんな自分史ってものを書いてるじゃないですか。おそらくnoteで自己紹介に次ぐ大人気トピックなんでしょうね。

なので私も書くか……と思って色んな人の自分史を読み漁りました。

どんなもんなかな〜って読んでたんですけど、あの……言いづらいんですけど……みんな暗くね❓

いやいや自分史ってそういうものなんですよね?自分の暗い過去に向き合う方法の1つとしてこういうのがあるんですもんね?

頭ではそうだって分かってるんですけど色んな人の自分史noteを読んで中々自分ではこれはできなさそうということが分かりました。

これだと書いてて気が滅入ると思ったので、ここでは楽しく自分史noteを書いていきます。あくまで自分が楽しく、ですが……



2.誕生から保育園まで

私は21年前の梅雨の時期に静岡県東部で誕生しました。静岡県では珍しくめちゃくちゃな雷が鳴る大嵐の日の深夜に産まれたそうです。

魔王の復活かの如く天から誕生を祝福され、2426gの私が産まれてきました。演出の割には身体が小さすぎる。

今考えても小さい小さいエケチェンとして産まれてきたかわいい私にはちょっと過剰演出すぎるよな〜。どう考えても小さくてかわいいエケチェンな私には優しいそよ風が吹くよく晴れた日とかが似合うでしょ。

そんな過剰演出で産まれてきた私は共働きで忙しい両親に代わって母方の祖母に育てられました。
また機会があれば母方の祖母についても書こうとは思っていますが、一言で言うなら"荒れ地の魔女と湯婆婆を足した"ような人です。

3歳あたりから保育園にいれられました。あんまりごはんを食べない子どもだったらしく、色んな大人の手を煩わしてきたみたいです。(他人事)

3.小学校〜中学校

保育園を卒業し、私は隣町の市立小学校へ入学しました。もともと隣町へ引っ越して歩いて小学校へ通うつもりだったのですが、引っ越しが4月には間に合わず、2ヶ月ほど隣町から車で送り迎えをしてもらっていました。

通ってた小学校はまぁ……アリよりのナシって感じでした。周りでいじめとかいやなこともあったり、ろくでもない先生もいたりしましたね。
まあ公立の小学校なんてどこもそうっぽいし、まともな先生は頑張ってくれてたので仕方ない気はしますけど。

中学校はもっとひどかったですね〜。もともとの嫌な面子から他の小学校出身のイカれチンピラが入ってきたので。最悪‼️

さてそんないや〜な環境で小さくてかわいい私は小学生から中学生時代を過ごしてきました。
そのまま嫌な目に遭うかと思いきや、よく吠える小型犬のように嫌なことは嫌‼️とデカい声で主張して跳ね除けていく子どもでした。

友だちが嫌なやつに意地悪をされたことも多くあったので、そういうやつと喧嘩して嫌なことを言う嫌なガキでしたね〜。
今思うと嫌なやつも何かしら問題を抱えてて、それを理解せずに喧嘩してたのは良くなかったなとは思います。いや〜悪いことをした。

まあ流石荒れ地の湯婆婆に育てられただけはあるなと自分でも思います。魔女の孫。

4.高校〜大学

高校へ入るとそんな変なことをしてくる人もいなくなり、平和な高校生活でした。陽キャがいっぱいいる高校だったので色んな人が色んなイベントに誘ってくれて楽しかったことが多かったです。

唯一失敗したな〜と思うのは音楽系の部活に入ったことですね。ちょっと楽器はじめてはじめて気がついたんですけど、私音楽向いてない‼️

楽譜読めない、手先は不器用、頭も悪くてセンスもない。部活ではダメダメちゃんでした。

部活を引退したあとはのんびり受験勉強をし、無事に地方の国立大学に入学することができました。ありがとう‼️‼️

ほんとになんてこんな自分が大学に入学させていただくことができたのか今でも分かりません。もしかしたら学務のミスだったのかも。

でも一度入学の許可をもらったわけですから、学務を後悔させる勢いで大学で勉強しようと思い、今でも頑張っています。

今特に頑張ってるのは言語の学習かな。古代ギリシア語とサンスクリットのお勉強を頑張っています。

あと車の免許も取りました。仮免2回落ちたけど。

そのくらいですかね、私の人生は。
そんなもんです。



5.最後に

そんなこんなで自分史をまとめてきましたがいかがだったでしょうか。なんだか自分の人生そんなに面白くないな〜って自分では思いますけど。

でも周りの人に恵まれた人生ではあったな〜。仲良くしてくれる人はみんな良い人ばかりでしたしそのおかげで今もやっていけてます。

まぁ今後も自分の歴史を積み重ねていこうと思うのでよろしくおねがいします。

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