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おじょーと沈黙

おじょーは雑談が苦手だと言う。
いや、雑談が苦手とは言うが、恐らくは違う。
おじょーのコミュニケーション能力はすごく高い。
友達も豊富で、仕事での信頼も存分にあることだろう。
初めておじょーと会った時も、この私がすぐに打ち解けてしまった程だ。

私は人見知りで、それこそ雑談が苦手だ。初対面の人と上手く会話をする能力はものすごく低い。友達の数も右手で足りてしまう。店員さんに質問することも物怖じするし、水のおかわりも貰えない。仮に注文を間違えて出されても何も言えないタイプだ。
そんな私がおじょーとは屈託なく話せたのだから、おじょーのコミュニケーション能力が低いわけない。

おじょーが苦手なのは、沈黙なのだろうと予想する。
なにをしていいかわからなくなる、と言っているのを良く聞くからだ。
会話のネタが尽きて、ふと訪れる沈黙。
確かに気ごころを知らない人と長い間沈黙するのは気まずい。
なにをしていいかわからなくなる気持ちはわかる。

私の場合、沈黙が気まずいというよりも、他人といる空間がすでに居心地が悪いので、会話がない状態だけにとどまらず、お互い好きなことをしていても、気を使ってしまう傾向にある。
コミュニケーションは場数なんていうが、とんでもない。どんなに繰り返してもこれだけは慣れない気がする。

ただ、おじょーとの沈黙は好きだ。
むしろとても心地よく感じる。
居場所という言い方が正しいかはわからないが、おじょーの隣は不思議と安心する。
特によそ行きでないオフおじょーがいい。
私はよくオフおじょーを見つめる。ただ見つめているだけだ。
何かをしてほしいとか、伝えたいこととか要求があるわけではない。
おじょーが目の前にいる。そばにいる。
そのことを、その状況を、かみしめているのだろう。
私にとっては有意義なとても幸せな時間だ。

見つめていると、おじょーは未だに、どうしていいのかわからないと戸惑うが、そんなおじょーを見るのも好きだ。
近くにいると実感することは、とても安心する。
本当は写真を撮って、後々こっそり見て安らぎを得たいのだが、もっぱら連敗中。
隠し撮りをした数枚で我慢している。

もっともっと夕木くんのフォトフォルダがおじょーで埋め尽くされればいいと思う。
それはきっと幸せの数だろう。
夕木くんはいつだっておじょーが大好きだ。

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