はじめまして。年増のオネエです。
毎年、酉の市が来ると
もう熊手買うんかい
と、ハッとする。年を重ねる度に、スピードを増す一年一年に戸惑いを感じつつ、新宿二丁目で毎年開催するうちの周年パーティーのことで頭いっぱいで、どっぷりとナーバスになる11月。
それもなんとか今年も越えることができた。
三の酉で熊手を購入し、お次は
クリスマスツリーか…出すのめんどくせぇなぁ…
とか考えながら営業していたある夜。うちの常連のリンコと飲みながら喋っていたら、ジャスミン割りを飲みながらふと彼が言った。
SNS見てると、あんたの書く文章ってすごく入りやすくていいのよ。だから何か書いたほうが絶対にいいわよ。
今までいろんなところを褒められた。容姿、性格、店、歌。(逆に貶されたことも同じくらい)
けど45年生きてきて、今更ながら気付いた。
文章褒められるのが、私、一番嬉しいかも。
昔、音楽の仕事をしてた時に作詞したり、コラム書いたり。「文章」というものに人より少しだけ執着はあったし、過去にも、これまた常連の筋肉ゆうじさんにも、リンコと同じく
何か書いたほうがいいよ
と言われたこともあった。しかし、新宿二丁目で酒と共に過ごす毎日。二日酔いを背負いながら支度をし、二丁目のゲイバーに繰り出す毎日を
「忙しい」と片付けていた私が、なぜ今、コレを書いているのか。
スーパーで買い物の帰り道、
なにか買い忘れてないかしら…
旅行の前日、
バッグに何か入れ忘れてないかしら…
来年で46歳。人生の折り返し地点を通ってみると、
なにかやり残したことはないかしら…
と、考えることがちょこっとずつ増えるのは私だけではないはずだ。
私の人生、これでいいだろうか?これでいいと、できるだけ思えるようにしなければ。
人生のゴールが見え始めると、そういうことを、実は胸に秘め始めるのはきっとみんな年をとれば同じだと思う。ライトに言えば
食い放題でモトはとれたか
だ。
サボることは素敵なことだと思う。「なにもしない贅沢」というのも時には必要だし、私も実際、週末の営業が終わった日曜は、顔も洗わなければ家から一歩も出ずに
私という私ではないただの置物
と、化す。
人はバランスが必要なのだ。どちらにも過度に重みを置けば心がズレてしまう。自分をサボったり、自分を頑張ったりを繰り返して、自分に合ったバランスを保つのだ。それにリンコの一撃が加わり、「折り返し地点」という、私なりの拍車がかかったのだろう。
聞いて驚け。私は、今も口にするのは嫌いだが
人とコミュニケーションをとるのが大の苦手だ。
ゲイバーのママが何を言ってるんだ
と思われるのは仕方ないが、実際そうだったし、今も実はそうだったりする。
お店と経験の力で、そうとは思われない最低限の所作はできるようになったが、幼少期に大人の顔色を伺いながら生きてきたというのもあり(これはまた別の機会に書きます)他人が好きで、その分、今も怖い。
思ったことは口にするようなキャラで、ベラベラと喉が枯れるくらい喚いたり、喋り続けてはきたが、営業が終わった帰り道での"ひとり反省会"は欠かさずしてるし、舌がどんだけよく回っても、心を開いてるか閉じてるかでコミュニケーションという濃さと意味は大きく変わってくると思う。
私にできてるのかはわからない。できるなら心を開きたいが、ただその反面、自虐的な私が、私の心にいつも「?」を投げてくるのは事実だ。
だから私は文字に託すのが好きになった。
自分の思いの丈を文章にするというのは、吐き出すことだ。コレを読んでくれるあなたにちゃんと入ってくれるかを考え、自分に嘘をついてないかを考えるという、吐き出す苦しみももちろん備わるが、他人の目線はそこにはなく、気を使うこともしなくていい。
吐き出したそこには正直な私がいるのだ。
だからこそ、それを褒めてもらえると「素」の私を認めてもらえたような安心感で胸が一杯になる。
結婚披露宴の空気が読めないクソ部長のスピーチのように、づらづらと長い理由を書いてしまったが、そんな理由でこの「note」私なりに始めてみようと思う。
始めてはみようと思うが
現在AM6:23。こんな風に寝れない夜にこっそり書いて更新してみるので皆様、どうぞよろしくお願い致します。
きっかけをくれたうちの常連さんのリンコと筋肉ゆうじさん。そしてここまで辛抱強く読んでくださったあなたに感謝のチューを💋
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