申し訳ない気持ちを、しかし『そん待ち』にならないように伝える方法はあるか?【おじさん小学生の譫言vol.19】
俺が「俺はダメだ」と言う時は、誰かに「そんなことないよ」と言われたいわけではないんですよ。
事実なので
「こいつは何ができないのか」を、自分に関わりのある人たちと明確に共有することが、(現状よりさらに)悲しい未来を回避するために重要だからであり、あるいは漠然と全てがダメですと意思表示する時は、維持できなかったコンディションの失墜をせめて周知する義務があるからで、慰めていただくようなお手間は誰にもかけたくない。
だが、この世の全ての人がそう考えているではない。ということは、この自分でさえ、必ずしも今後死ぬまでこうした考えを変えないでいるとも言い切れない。
だから、本人の意図はどうあれ「そん待ち(「そんなことないよ」と言われるのを待つこと)」の型・フォーマットになってしまうこと自体を回避しなくてはならない。
したがって、自分ダメです。みんな済まない。本当に申し訳ない。と強く感じた時には、むしろ単にそれを言葉にするだけでは足りないからこそ、「そん待ち」のような誤判定を引き起きているのではないか?
感謝の三条件を応用する
かつて、口先だけでありがとうと言い続けながら、反面、その相手を蔑ろにした振る舞いをし続ける人間を目の当たりにしたことがある。
それに気づいてはじめて、感謝とは「心で思うこと・相手に伝えること・行動に反映させること」の3つが揃って初めて成立するのだと知った。
いくら心の底から感謝の念を抱いて、その旨を相手に伝えたところで、実際の行動がそれに反していれば、その「感謝」は疑わしいもの(とされる型・フォーマット)である。
いくら相手に感謝を伝えて、その相手の望むように行動できていても、裏で舌を出していれば、それは「感謝」ではなく、人を欺くもの(とされる型・フォーマット)である。
いくら心で感謝して、行動に反映させたとて、それがあなたへの感謝に基づいたものだと伝えなければ、それは「感謝」ではなく、単なる変化(とされる型・フォーマット)である。
このような仕組みを、もう少し拡大解釈して、「俺はダメだ」を「そん待ち」にしないことに応用できないだろうか?
行動と発言のチューニングが合っていなかった
そのために、「感謝」をいったん「人に伝えたいこと」という変数に拡大して、そこに「俺はダメだ」を代入する。
続いて、「感謝」と同様に、「俺はダメだ」を三つの条件において精査する
つまり、この三条件が揃ったことによって、「俺はダメだ」ということが伝わっているのだ…えっと、いや、あの、伝わってはいるんだよ。
伝わっているからこそ「そん待ち」だと思われる。そう思われるだけの説得力を持った「俺はダメだ」が十分に伝わってしまっているのが問題なんだった。
だから…この3つの条件のどこかをチューニングし直すことで、「俺はダメだ」が伝わるにしても、その伝わり方を変える。言い換えれば、「俺はダメだ」から、周りの人たちが引き出せるものの種類を変えることを考えたほうがいい。
となると、おそらく③の行動を変えることが有効なのではないか?
調子が良くなったらリカバリ行動を取ろう
そもそも「俺はダメだ」という表現の、極端な解像度の低さよ!
それはおそらく現時点でコンディションが最悪になっていることの証左なのだろうけど、ではそこから立ち直った後、「俺はダメ」だったことを、綺麗さっぱり忘れていないか?
ダメになって、余裕も語彙もなくなってしまったとして、しばらく後で、調子が上がってきて回復した後、気を取り直してやっていこうとするタイミングで、あの時の「俺はダメだ」とはつまり何だったのか?ということを精査したか?
それさえ判明すれば、「何ができないのか」は単なる属人情報としていつでも提示できるし、そうなればもはや、いざ破滅した時にも「ハイ!体調不良です!休みます!」という連絡だけをして、ことさら他人に見えるように自分を責めてみせる必要はないのではないか?
つまり「俺はダメだ」には要らない情報が含まれているということだ。「そん待ち」は、「俺はダメ」に含まれた「俺は俺がダメと思っている(責めている)」というメタメッセージに呼応して発生しているのだ。それは、本来他人には必要ない情報だ。
ここまで分かっていれば、逆説的に「そん待ち」の発生を回避しようと思うまでもない。
もう何も考えられない最悪な状況と心情の中で、おおげさに自分を責めてみせて他人を心配させること、その行動自体が、既にもっと大きな枠での失敗の結果であり、その手前にあったはずのコンディション調整や健康管理、自分のキャパシティの正確な見積もりをこそ追求し、また問題にするべき領域なのだった。
ということが、書いているうちに分かってきた…ということは、今の俺のコンディションは良いのか?それとも悪いのか?
そういうことすら分からないうちは、また意図せずに「そん待ち」してしまうかもしれない。しかし、次にそういう機会があった時は「なんかnoteでこんなこと言ってたな」と、あんまり気にしないでもらえれば幸いです。