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でち日報2023/10/28
一番大変なところは過ぎた感じ(月初10日までの処理が待っているが)
感情に自傷して、活動を強制停止させようとしている傾向が出てきたな。ちゃんと休む時休めってか。でもコーヒー飲んだし今日締切の作業もあるんよ
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
月末だしもうちょっとがんばりとうござんす
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
現行ルーチンではじめて納得できるくらいキャッチアップはできたが、それだけで午前中が終わったのでうーん…迫っている締切だけ倒すか…という感じ
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
けっこう余裕がなかったことがわかる
色々重なりダメになったので仮眠
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
確かにすぐバテてサボるから病気にならないという側面はありそう
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
勤め人だとこういうわけにはいかないので、これからも職権?濫用でサボります
ツイレシピを実践。途中までいい感じだったのだが焦がしてしまった…😭鶏もももう一枚あるのでリベンジ予定 #でち自炊 pic.twitter.com/SsvS1OGazI
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
自分のコンディションが悪いことを自覚して、新しいパン屋に行ったり、Evernoteの整理で出てきたTwitterレシピを試したりした。有識者のアドバイスにしたがって、こんどは同じレシピで漬け汁を作ってリベンジ。うまくいってほしい
月例作業キリの良いところまで終わった…明日は休むぞ…
— でち (@dechi_sub) October 27, 2023
でも天気が優れないのでガッサータ(地元のドンキにまだあった)を飲んでいます
Evrenoteより
そもそもポジティブにしろネガティブにしろ、往来で感情を露わにし過ぎるのははしたないと思ってしまうSNSに向いてない加齢(過去ツイで叫んでなかったか?
そんな過去ツイしたっけ?と思い「感情 from:@dechi_sub」で検索かけたら、けっこう強めの主張が列挙されてて笑った
まあSNSを(≒社会を)どのように扱うのかには、好みと流派があるので、他の人のことにとやかく言ってもしょうがないし、自分のにも言われたくはない
その上で、それを見てくれる人が不快になる可能性があるものについては、トリムする程度の礼節はあってもバチはあたらないと思う
自分のレベルに合っていない目標を掲げることを、意識の高さだと思いがちだけど、それは蛮勇をもって現実逃避しているにすぎない
その代わりに、現状をアセスメントして、いかに快楽と興奮(という意味での「喜び」)を供給し続けて稼働できるかを考える。
工夫の余地があるということを信じる
短期的な価値と長期的な価値の取り扱いについて、具体的には環境の構築、ルーチンの設計、それらの評価ルール、そういった手回り品をメンテしているだけでよい
目標は協働において真価を発揮するという感じはする。周りになにかを宣言してみたところで、それが実現したことって人生のほとんどないんだよな。自分の外側に足がかりを作ろうとしてもしょうがないというか
話の通じない人、センスのない人、こちらの負担を考慮しない人
それはすなわち赤ちゃんなので、かわいいとバランスがとれる。あるいは可愛がると誓うことで
そういう人がいない場所で、自分が赤ちゃんになることも回避しなくてはいけない
儲かるということは、そういう意味では価値の創出がわかりやすい。つまり価値の創出について目を凝らすことを放棄している
多様な価値と、価値が多様であるということに「耐える」こと。耐えられる距離をとること
過去の自分も今の自分も、どうしようもない側の人間で有り続けるというグロさから再開し続けないと、すぐに術が逆流してしまうんだよな
能力による呼び出し、リアクションの引き出し、絵を描きたいと思った時に描けること、描きたいと思うクオリティで描けること、同様に文章もコードも書けること、からだが健康に動くこと、知らないことをただちに調べて知り、まとめること
そのために必要なことが、必要だというだけではできない。可能にすることの巨大な王国、組織だった構造を、いまどこまで用意できていて、どこに苦しみや欠陥があるか、そのアセスメント
「可能にすることの巨大な王国」、理想を現実世界に卸すことの、行政的な手続きの主体と客体において取り交わされる必要書類(および証明書)は、結果として発行されるものでしかない
その全機構を把握することなんて(実際の行政機関についても)人智を超えているのだから、アセスメントも限定された範囲に対して都度行われるものにしかなりえない
いつでも不十分な行為と評価があるだけで、賭けであることを免れず、意味自体がフェイクである以上、手段のための手段、経過のための経過であるところに、どのような解釈で無用の興奮を幻視するか。本当にくだらない
そうなると、信じられていることによってそうなる類のもの
ハウ
株価
有徳思想
自己成就的なものの取り扱いくらいは、できるようになっておきたい年頃ではある。有徳思想とあるので、「贈与の歴史学」の読書メモかもしれない
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