生活のメタファーを(雑に)刷新する【おじさん小学生の譫言vol.36】
自分の「鍵開け道具」をアップグレードすべく、解説なしでカードゲームの喩えを振り回していく、とても不親切な回です。
これまでに考えたこと
このアイデアを、実際に自分の生活における問題解決につなげることで、はじめて精査できたものとみなしたい。コーヒーをあおって考える。
ゲームにおける可動域
絵の練習においては、課題と仮説と実験の言語化が、明確に効果を発揮している。これを他の、滞っている分野にも応用したい。
そのためには、絵に関する言語化を単純に移植するのではなく、言語化そのものを様式化する必要を感じる。「課題と仮説と実験」という表現は、その様式の一部を表している(たぶん)
それはカードゲームでいうと、デッキ構成の段階で、環境に対してどのように想定し、実際にプレイしてどうだったかを評価する。という一連の作業に該当する。
ということは、「課題と仮説と実験」の言語化は、そのゲームの全体を言い表しているわけではない。
それは自分が働きかけることのできる、極めて限られた領域、いわば可動域に限定されたものである。「言葉→行為⇆構造」においては行為までに留まる(あらかじめ構造を評価した上で、という前提はある)
脳死麻雀を完成された無限ループの型とみなす
ある種のカードゲームでは、特定の「型」が完成することで、そのまま勝利条件まで終わらない無限ループが発生することがある。
この喩えを、生活における「脳死麻雀(意志も気力も思考も伴わず行為する理想状態)」について、適用できないか?
まず、鍵開け道具としての言葉を使うこと自体は、脳死麻雀ではない。そこにはデッキ構築と、実際の「プレイ」との隔絶がある。
もし、デッキ構築そのものがプレイに含まれるカードゲームがあるのだとしたら、限定されたリソース(エナジー)を、真っ先に構築に割り当て、そのあとは自動的にプレイ(場に対して作用する。行為する)のが定石となろう。
デッキの傾向が定まっている
毎回、毎日鍵を開けることに時間を割いているようでは、デッキは回らない。ある時期から思考操作は終了し、あるいは数日ごとのメンテナンスのみを残して、あとはプレイを回していくのでなければいけない。
…というか、その方法だと速度が出ない(重い)ので、そこを十分補うだけの火力や圧力がなければ、デッキの傾向として採用するメリットがない。
自分の生活にはそのような単騎での火力がない。ウィニー(小さくて弱い大量の火力)デッキか、良くてコントロール(場を支配して優位を保つ)デッキだし、好みでもある。
キツいミューテーションのせいで選択肢がない
手書きでも自分専用slackワークスペースでもなんでもいいので、「課題・仮説・実験・評価」(まあPDCAサイクルですわな)に言語化の操作を添えて回していく。
一般的にはこれだけでうまくいきそうなものだけど、個人特性の縛りが強く、それについても別途対応しなくては、サイクルの完成は机上の空論に終わる(終わってきた)
自分で決めたことを忘れる(ランダムディスカード)と、気力が毎日乱高下すること(ランダムエナジー)のミューテーションがある。
これがあるので、高火力の単騎をデッキに採用できないのだった。大抵捨てられたり、エナジー不足で出せない。
忘却は、タスク管理によってだいぶ無効化できたが、気力の上振れはともかく、基本は下振れしてばかりなのを、うまく対策できていない。
今ここで、何か大言壮語を繰り広げたとて、起き抜け数秒以降はもう「全てのことを一切何もしたくない」想定でいないと、単発でうまくいっても継続できない(デッキが回らない、無限ループにならない)
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今この瞬間、溜まっているやらなくてはいけないことに着手できないのはなぜか?こんなことを考えている時間自体が無駄ではないのか?という疑問があると、考えることも、やるべきことに着手することも、どちらもできないのではないか?
それなら、喜んで間違える。つまり考えている場合じゃないのに考えることを率先して選択する。
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各分野における言語化自体とその制約について、ここに書き留めておいた上で、今から就寝までの時間は全部実践に回す。
読書、仕事、絵の練習、語学、その他生活の諸事において、言語化によってその総コストを下げて、意志の力を使わずに滞りなく回すことを目指す。
うまくはいかないので、エラーメッセージをもとに、次はどのような軌道で走らせるかを、また明日の午前中を使って構築していこう。