おじさん小学生の読書メモ18回目
やっと躁転したぞ〜
前回のnoteに書いた贈与論の内容紹介企画は、休み休みではあるけど続いている。
資本論(佐々木隆治)も週一の発表があるのでなんとか読んでいる。読書はそれくらいだな。
本が読めると嬉しい。人生において、たびたび「匂いを嗅ぎ分ける」ことができない場面がある。人の書いたものに心を動かされた経験は、その手がかりになることが多い。
行動することを後押しするものは、行動ではない。行動ではないもののうち、どの行為を選ぶのか?という時に、読書を選ぶ。そのために余計な金と時間をかけてでも選ぶ。
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自分の考えていることを、必ずしも誰にでも見えるようにしない。ということが、ここ5年くらいの大きな学びであり、躁転した時には、人に知られていない複数のアカウントに、自分に向かって言いたいことを吐き出しているし、そのうちのいくつかは本当に、仕組みとして自分にしか見えない。
やめろと言われても止められないことを使って生活できればそれに越したことはないが、延々継続できるかということはまた別で、じゃあ継続ができない人は、それぞれに継続しているかのようにアーカイブしておく仕組みを固辞しておくくらいしかない。
新しいことを始める時の興奮に魂を奪われた人間が、一つのことを完遂できるはずがないのだ。それでもそういうことが可能なのだとしたら、何度でも帰ってくる場所を構えることは一つの方法になりえる。