Twitterの毒抜き@でち日報2024/10/24

いやどうも、言われている通りな気がしてきましたね。つまり、Twitterは「一生懸命見ないようにする」のが良さそうだという。

しかし、Blueskyへの移住の過程だったとしても、Twitter上への発信によるプラスの効果もあるわけですよ。毒を食らわずに味だけを獲得したい。

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そういったやり方って人類は得意だったような気がします。色々な食べ物から毒だけを抜くというやり方。それをやらずにはいられない食欲あるいは飢餓が背景にあるんだけど、

いまここにある情報に対する飢餓は、情報によって体験を補おうとする飢餓で、さらには体験の糸口としてではなく、情報によって完結させる体験を求めるようになってしまう感じですよね。なんでだろう?

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(省略)

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でもなんか⋯マズイみたいですね。そっちに振れすぎてると、良くないみたいですね。

だから、いかにして堪えるか。フワッとしてて、キュキュッとした判断や情報取得というものをしない。言うて自律とか無いので、仕組みとして堪えることができるようにする。堪えていることになることにするわけだ。

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食べ物のね、毒を抜くという例えを使いましたけど、何が毒で⋯何が悪さをしていて、でも何がおいしいのか、ということを整理していこうと思うものの、

そんなことが考えて分かる人間だったら、まあ苦労しないわけですよ。なので、他愛ないやり方を試す。そしてそれを自分で眺める。

「世界に考えさせる」というやつですね。入力→脳→出力ではなくて、

入力→世界→出力、によって同様の成果を得ようとする。まあまあ、虫のいい態度であります。

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その一環として、口語でnoteを書いて、それも仕事のGASを走らせてる待ち時間で、そのリンクをTwitterに放流する。Twitterも悪しざまに言われますけど、むしろもっと大きな枠で

マイクロブログに、マイクロブログを書く。ということをいったんやめてみる。ノーマルブログ(そんな言い方あるかしら)にマイクロブログを書いてみる。これでどうなりますかね?

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