具体的で物理的な新規行動しか勝たん【おじさん小学生の譫言vol.17】
まあ自分に対する勝ち負けを気にするなら、という話
あれこれ考えてもあまりしょうがなかった
学びのあるコミュニティに属して、学びを蓄積した結果、その学びに基づいて、一人になって自分の問題を解決することに集中したほうがいいという段階に入った。大変ありがたいことである。
そして自分の抱えている問題を、生計の安定に集約させることができるのも、実はかなり幸福なことでもある。人間関係の問題や健康問題については、とりあえず思い当たる節がない。
その解決の方針も定まっていて、要は進捗をめっちゃ出すということに尽きるのだけど、じゃあそのために、何をどうしたらいいのか?
ということで色々試行錯誤した結果、何か考えを改めてみても大した成果は現れず、その代わり、PCを新調したり、中に着るダウンジャケットを買ったり、椅子を買い足したりしたほうが、明確に効果が出たのだった。
具体的な新規行動だけではダメだった
かねてから、「具体的に何か新しいことをする」ということが重要であるということは感じていた。しかし、ルーチン表を改正したり、習慣を改めたりしても、あんまり効果がないか、効果があっても継続しない。
そこに足りなかった要素は「物理的に」ということかもしれない。画面上で何事かを管理したり考えることは補助でしかなく、効果を求める場合は、自分の行動が物理的に変化しているかどうか?をチェックするのがよさそうだ。
もちろん厳密に言えば、画面上の変化も、タイプする文字や着席時間という物理的な行動に若干の変化をもたらしてはいる。しかしそれは、今回言うような物理的な変化には該当しない。つまりここで物理的にと言っている時は、「ある程度以上の」という語句を省略しているということになる。
その上で、思索や管理が活きる
目下、進捗のために取り組まなければいけない小問題は「脱線の防止」である。物理的に携帯を操作できなく(しづらく)するアプリを使い、作業と関係ないウィンドウを閉じ、それでも脱線した時、あるいは脱線したくなった時は、その脱線に至る感情と意識の動きを記録する。
そうした対応は、先述のような「物理的な」ものばかりではない。しかし、物理的な新規行動が要であるということを押さえた上であれば、それ以外の行為も、さほど空虚なものにならない。
考えてみれば、コミュニティから距離を置くということもまた、(ある程度以上の)物理的な新規行動である。
本当に自分が、これまでコミュニティで享受した知見を身につけることができたのか?それを使って具体的な問題解決を実現できるのか?
今たまたま、そういったことに興味関心が向いているだけではあるが、その意識の偏向が、やはり自分の物理的な行動を変化させることによって、外界に何らかの結果と影響を及ぼすことになるだろう。その程度の期待ならば抱いてみても構わない。