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自分の仕事にするためには「ケツイ」が必要だ

「ケツイ」とは

UNDERTALEというゲームがある。
ドット絵のどこか懐かしいグラフィックで描かれる優しい気持ちになれるRPGだ。
私も良くプレイしたし、ラスボスが倒せないので時折起動しては勝負に挑んでいる。

そしてその都度負けている。
GameOverを告げる画面にはこのように表示されている。

ケツイを力にかえるんだ
UNDERTALE

ケツイが求められることなんて今まであったろうか。
多分沢山あったし、それを解決したものもあれば通りすぎて気にしなくなったものもあるだろう。日々なんとなく過ごしていたらそれは別にケツイではなく、ダセイだ。

働くことと「ケツイ」

何かをして生きていくというのを決めることは多かれ少なかれ「ケツイ」だ。
自分で決めて生きていく。

YouTuberだろうが公務員だろうがNGOだろうが総務部員だろうが販売店員だろうが、それはそう生きると決めた「ケツイ」だ。

最初は誰でもそうなのかもしれない。
自分の「ケツイ」を感じて新しい仕事に取り掛かる。

しかし、日々のしょうもない仕事、仕事とは思えない業務、多すぎて煩雑な業務ルール、上司の機嫌、取引先の無理難題などに頭のなかがごちゃごちゃになっていく。

そしてある日ふと思う。
「なにやってるんだ」と。

人によってはこうかもしれない。
「また、なにやってるんだ」と。

これこそ「ケツイ」ではなく「ダセイ」だ。

難しいことを避けても再度「ケツイ」を問われるだけ

自分でもこのままでは駄目なことがわかっている。
わかっているけど辞められない。

もしくは一度「ケツイ」した仕事でも辛くて辞めたくなったり、辛くないんだけどどこか退屈さを感じてここではないどこかで自分を生かせると思ってしまったりするかもしれない。

それこそフリーランスとして働こうとか、ネットビジネスして稼ごうとか思ってnoteやBrainといった情報商材を買ってそのままやってしまうこともあるかもしれない。

もしくは、もっと楽な仕事があるんじゃないか。
もっと楽な生き方があるんじゃないかと彷徨うこともあるかと思う。

自分が成功していないのは手段が間違っているとか、手段を教えてくれた人の教え方が悪いとか、外部に責任を求め出すということもあるかもしれない。

自分で分析をしても。
第三者に分析してもらっても。
それがわかってやり方が提示されても。
そういう人は変わらないんじゃないかと思う。

これからご紹介する動画では大愚和尚という方が
「頭でこれはやってはいけないとわかっていながらやってしまう方」へアドバイスする一問一答動画だ。

どれだけ避けても結局問われるのはこれなのだ、と思う。

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