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外山恒一は思想がない

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外山恒一は無政府主義を掲げつつ、しばしば国家主義的な発言をし、またエリート主義を批判しながら、同時に大衆を愚弄するような態度を取ることがある。


このような自己矛盾は、彼の思想を単なるパフォーマンスと見なす根拠にもなり得る。果たして彼の言動を単なる矛盾として切り捨てることが妥当なのか。






自己矛盾


外山恒一の発言には、一見して整合性を欠くものが多い。例えば、彼は国家を否定するような発言をしながら、「自分が独裁者になればいい」と語ることがある。


無政府主義者でありながら、国家主義的な発言をすることもあり、また「革命」を標榜しつつ、現実の政治運動にはほとんど関与しないというスタンスもある。


彼の著作やインタビューでは、しばしば「大衆愚民論」的な視点が見られる。彼は民主主義を軽蔑し、「大衆の判断力には期待できない」と述べる一方で、エリート層に対しても厳しい言葉を投げかける。


これは、伝統的な知識人や思想家がしばしば取る「啓蒙的なスタンス」とも異なり、「大衆を導く気もないが、放っておく気もない」という曖昧な立場を示している。


このような矛盾は、彼の発言の信頼性を損なうものだろうか。それとも、むしろ彼のスタンスの本質を表しているのだろうか。




一貫性の問題


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