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2021年6月26日の乾杯

2021年6月26日の乾杯、再び体調を崩したおねえさんも、コロナとは関わりがなく一安心。再復活を祝いつつ、おねえさんが観た映画『14歳の栞』のことやおじさんが観た神奈川芸術劇場プロデュース『虹む街』のこと、お芝居に関する情報収集についての話、さらにはコロナに対して緩みの出てきたことへの怖さなどについても語り合います。

=== === ===

👨演劇のおじさんと
👩おねえさんです。こんばんはー。
👨なんかちょっと体調をくずされたということで。 
👩そうですね。恥ずかしながら。今回はコロナとか風邪とかいう感じではなく、一応PCR検査も受けて陰性だったので大丈夫ではあるのですけれど。
👨それだけでもよかったですよね。
👩そうですね。あ、私体調を崩す少し前なのですけれど、1本映画を観てきまして。
👨なんという映画ですか。
👩『14歳の栞』という映画なのですけれど。
👨それは日本の映画?
👩そうです。ドキュメンタリー映画なんですよ。
👨へぇ。
👩とある中学校2年生の3学期、クラスの全員35人に密着したドキュメンタリー映画なんですよ。いやぁこれ、とっても良かったので、なんか…なんでしょうかね、本当にリアルな…昔々に大家族に密着みたいなドキュメンタリーがあったじゃないですか。なになにさん大家族みたいな。あれじゃないんだけれど、ああいう感じの本当に中学校の3学期の35人ひとりひとりを、簡単に自己紹介とかをしてもらったり、インタビューをしたりしながら、普段の生活とかに密着して,その中学校の時の考えとか人間関係とか、学校とか、家とか、遊びとか、そういうものに密着した映画なんですけれど。
👨ああ。
👩なんかこれ、誰しも、おそらく…全員とはいわないですけれど、いろんなことがあるから、この国にもいろんなことがあるから全員とは言えないですが。ほぼほぼの方は中学校に通っているじゃないですか。
👨はいはい。
👩中学生だったころが、
👨ありますね。
👩多くの人はあるじゃないですか。その時にいろんなことを考えたりとか、いろいろ楽しかったり苦しかったり大変だったり、こう嬉しくて泣いたり、悲しくて泣いたりとかしていたじゃないですか。
👨はいはい。
👩その、大人じゃない、でも子供だけど子供?っていうあいまいな時を、大人になってから見て思い出すというか、観る人によって全然感想が違う映画で、今のところ池袋の単館でしかやってなくて、もう終わっちゃったかとは思うんですけれど。
👨でも、そういう映画だったら。
👩ほかでもやるっぽいので。
👨うん、
👩是非おじさんにも観て頂きたい。どんな風に思うのか。
👨うん、分かりました、ちょっと気にかけて探してみますね。「14歳の栞」ね?
👩そうです、そうです。いやぁこれはね、観たことない方に是非観て頂きたい。本当に良い映画だったよ。うん。
👨はい。
👩私はなぜだか、中学校の時の自分が少し救われたような気がしましたね。
👨そうかぁ。ちょっと探してみますね、それ。
👩ぜひぜひ。
👨ええ、多分、おねえさんがそう言うくらいだから、きっといろんな人が良いと思っているはずで、そういう映画はきっとリバイバル上映とかするから。
👩下高井戸の高井戸シネマでも3日間くらいだったのですけれどやるみたいなので。
👨わかりました、ゲリラ的にあちこちでやるのだったら、気にとめてみておきますね。
👩はい。なんかいいんですよ。おとなから見たらかわいい恋愛模様だったり人間関係だったりというものが、彼ら彼女たちにとっては、本当に今の現実で本気だというのがね、凄くよかった。それだけじゃなくて、学校に行けなくなっている、不登校になっている子とかもいたりとか、
👨ああ、今そうだよね。でも不思議なものでさ、大学の時とか会社に入ってから暫くしてからのことってさ、中学の時よりずっと後のことなわけじゃない、当然に。でも中学の時の記憶ってある種のものがそのころよりも強く鮮明に残っているんだけれどね。あれはなんでだろうね。
👩うんうん。私は中学の時ってあまり覚えてはいないんだけれど、でもとあるワンシーンとかある場面って明確に覚えていますね。
👨うん、そうそう。
👩全部じゃないんだけど、その場面だけ切り取って覚えているみたいなのが、この映画でも、そういう場面を切り取っているから、どっかに自分に似た子がいるのよ。
👨たとえば、私の中学校には校舎から運動場に降りる大きな階段があったのだけれど、そこで話したこととかね、それを、そこだけをスポット的に覚えていたりするのよ。
👩うんうん、そういうのも感じることがあるかもしれないですよ。
👨いろんな記憶が引き出されるかも。
👩うん、いやぁいいと思う。多分・・どこだっけな、春日部かそのあたりっぽいのですよね、学校が。だからちょっとだけ都会というか、
👨本当のど田舎ではないっていうことね。
👩そうそうそう、それこそおねえさんの田舎は本当にど田舎なんですけれど、そうじゃなくて。でも都会とも言えないというか。
👨で、しかも生徒達は、関西弁は喋っていないわけね。
👩そうそうそう。
👨そうかぁ。
👩ドキュメンタリーの映画って、けっこう……私映画とか舞台とかを観る時って……おじさんにも今度こういういい映画とか舞台がありますよとかどうですかってお勧めしていただくじゃないですか。
👨はい。
👩何かを観るってパワーが要るじゃないですか。要るんですよね。もちろんおじさんが観るときもパワーを使っていないということではなく、ただ、そういうものを観る時に人よりも多くパワーがいるタイプって多分私だけではなくていっぱいいるとおもうんですよね。
👨ごめんなさい、私もパワーは物凄く使うよ。
👩うんうん。
👨一応ね。
👩パワーを使っていないということではもちろんなくて。そういうことではなくて、ただ、なんだろうな…パワーというか気持ちがね、気持ちがついていかないと行けないというか。喰らいやすい…そうっ、喰らいやすいんですよ。
👨ああ、なるほど。
👩喰らっちゃうから。いろんなものを受け取って、うん、なんだろうな、その…あれ…こうしか言えないのだけれど、喰らっちゃうんですよ。
👨あはは、喰らっちゃうのね。
👩そう、喰らっちゃうから、なかなかいけないのね、いろんなものを観に。
👨そもそもさぁ、芝居を観るとか、まあ映画でもそうなのかもしれないけれど、たとえば私なんかが会社で仕事をしていたときには、全部それはルーティンのなかでのことが多かったわけですよ。昨日もやったことを今日もやるみたいに。まあ、それは週とか月とか年とかの周期はあるのだけれど、そうするとそこには覚悟もへったくれもないわけよ。要は単純に仕事をする体力があるかないかだけだったのだけれど、
👩うんうん。
👨その、映画にしてもそうだしお芝居にしても、一個一個観るという行為はいっしょなのだけれど、対象物が違うじゃない。
👩はいはい。
👨そこにどういうことが描かれて、どういう風に牙をむいてくるかってわからないじゃない。
👩うんうん。
👨だから、とても綺麗な言葉で言えば「一期一会」ということでもあるのだけれど、でも、それは会社で仕事をして毎日のルーティンのなかで同じものが来るのとは緊張感が全然違うよね。
👩そうですね、うん、それがね、キツいときがあるんですよ。
👨来るのが大波で?
👩そうそう、なんていうの、それがほかの人にとって小波ということではまったくなくて、同じ波を受けているんだけれど、あのなんていうかな、こちらが受け取りすぎちゃって。
👨ああ、はいはい。
👩おじさんが受け取っていないということではまったくないですよ。受け取り過ぎちゃって、それをを想像して、行く前に疲れちゃうんですよ。
👨あははは。
👩疲れちゃったり、無理だ…ってなっちゃうのね。拒否反応が先に出ちゃうんですよ。想像でもうきついって。
👨なんか盾だとか鎧だとかそういうものを着け過ぎちゃって動けなくなっちゃうみたいな。
👩うふふふ。いや盾とかをね、つけていないんだと思う。つけられないんだと思う。
👨あはは。
👩つけられないから、余波で、観ていないのに、例えば映画だったら予告編でもう喰らい過ぎちゃって、予告編で号泣するんですけど、私。
👨あははは。あぁ、そう。
👩もう、喰らいすぎて、予告編でその映画を観たくらい疲れるんですよ。で、もう辛すぎるから本編観れないってなっちゃう。ふふふ。苦しいから観れない。その、特にね、ハリウッドの映画とかってそうなのだけれど、というかどの映画もあるんだけどさ、まあまあ、起承転結ってあるじゃないですか。
👨あ、はい。
👩でさ、「承」・「転」があるでしょ。その「承転」が辛いのね、私。特に「転」かな、えーと「起」は起こりだよね、はじまりだよね。で「承」、「承」ってなんだっけ。
👨「起」があって、それを受けて物語が「承」で進展していって、
👩で、「転」があるじゃん。
👨うん、ありますね。
👩その「転」が辛いの。で、「結」までもたないの、辛いってなって。早く、早く「結」になってくれってなるの。で、カタルシス…最後の「結」のカタルシスを得るために「転」は大きい方がいいじゃない。
👨うん、まあね。
👩辛ければ辛いほど「結」で救われた時のカタルシスは大きい。
👨大きい、まあそうだね。
👩それが、苦しくて。だから、比較的強弱の少ないもの、それこそ好みは分かれるけれど、北欧系と呼ばれる、ざっくりね、ざっくり北欧系って呼ばれる映画って、もちろん起承転結ががっつりあるのもあるのだけれど、こうなんかね、そういうのがあんまりなかったりするの。揺れが少ない。あっても流れに沿うというか、なだらかなんですよね、起承転結の流れが。
👨ああぁ、そうだね、言われてみれば。
👩そうそう、ないわけじゃなくて、起承転結が物凄くゆるやかな波形になっていて、ドン、ドン、ドンって変わらないのね。だからそういうのはよく観ているのですけれど。
👨うん。
👩だから、だからね、『14歳の栞』もね、観に行く前はすごくしんどかったの。もう絶対キツいのだろうなって思って。中学生のころとかをあまり私は思い出したくないので。だけど、だけどそんな私が観て良かったなぁと思えたので、もちろん人にはよるのだけれど、結構そういうふうになってドキュメンタリー映画はなあって思う人も、もしよければね、心が元気だったら観て欲しい。探して観に行って欲しいなぁって思います。
👨なるほど。そういう意味でというか、起承転結がわりと薄いという意味でいえば、つい先日までKAATでタニノクロウさんが『虹む街』というのをやっていたんですよ、お芝居。お芝居っていうか・・、要はセットが物凄くて、場所も中スタジオでね、タニノクロウさんってけっこう客を集められる人だから、何で中スタジオかなって思ったら、中スタジオの舞台面全体にセットが組んであって、
👩へぇ。
👨あれより大きい箱になってしまったら、予算上無理かもだなっていうようなセットなのよ。
👩ふんふん。
👨で、コインランドリーの本当に回る乾燥機が3台と洗濯機が舞台中央にあって。
👩本物??
👨本物、回るんだよ。
👩凄いねぇ。
👨でね、その横には、こじんまりとはしているんだけれど、上手に2軒、下手に2軒、お店がちゃんと作られていて、喫茶店とか中華料理屋とかね、でそこにも人が入ってお芝居ができるという。
👩ふんふん。
👨で、元々それって、桜木町のにぎわい座の近くに野毛っていう街があるじゃない。
👩うん。
👨あそこの一角をイメージにしたという街で、で、台詞なんかもあんまりないのよ。あっても外国語のことも多いし。ただひたすらにその日で閉店するというコインランドリーとかその周辺を切り出しているような舞台だったの。
👩うんうん。
👨だけどもう、あそこまで古くなると、コインランドリーの機械たちにも意思が芽生えているみたいで・・。普通乾燥機ってなになにの乾燥が終了しましたって言わないじゃない。
👩はあ。
👨それが、開演前から青とピンクのタオルが乾燥機の中でぐるぐるまわっていて、始まって暫くすると「青いタオルの乾燥が終わりました」とか乾燥機が喋るの。で、乾燥を待っている男がいて、順番に乾燥が終わるとひたすらタオルを綺麗な円筒形に畳み出したりするの。
👩うん。
👨で、片足のよくない女性のオーナーとおぼしき人が時々やって来てはお金を回収したり、こんこんと傘の柄で機械を叩いて調子を確かめたり、乾燥機の横に飲み物やチーズバーガーとかカップラーメンの自販機があって、そういうので食事をしたりもするの。さらには、言葉が全然違う人、中国とか中東系とかフィリピンなどの人たちもやってきて、ただそれぞれの時間が交差していくの。で、みんなそれぞれの時間を過ごしているのだけれど、でもある人が洗濯機にお金を入れて回し始めると、ほかの人が勝手にそこに自分の洗濯物をいれちゃったりもするの。で、なんか気がついた人が乾燥機に入れて回し始めたり。だからなんだろ、妙に親密な部分もありつつ独立した人々が出入りする時間がずっと続いていく感じで、でも、その乾燥が終わると乾燥機が、「これで最後の乾燥が終わりました。長い間ありがとうございました」とか言ったりもするの。
👩へぇー。想像するのはちょっと難しいけど、面白いなぁ。
👨だけど、観ていて、そこに流れる時間の肌触りというのは間違いなくあるの。毎日がばらんばらんに見えても、そのコインランドリーに流れる時間の質感というのはあって、そこでの人の距離もあって。
👩何が起こるんですか?
👨何も起こらない。
👩マジで何も起こらないんですか。
👨たとえば、雨が降ってきた態で、隣の喫茶店の女性がコインランドリーの忘れ物箱から雨合羽をとりだして看板持ちの男に貸したり、フィリピンパブの人たちが唄を歌をうたったりとか、そのパブの社長的な男が中東系の人とポーカーの勝負をしたりとか、中華料理店の親子がコインランドリーにおいてあるインチキくさい占い機で手相占いをしたりとか、その場所の情景は描かれるし、男もコインランドリーの雨漏りに対応したり最後にはタオルを全て畳み終わったりもするんだけれど、
👩ほう。
👨概ねそれは、日々に起こるみたいな単発のエピソードみたいな感じで、コインランドリーの最後の一夜が終わるというか、淡々と上演時間の90分が過ぎちゃうの。でも、その場所に流れている、なんだろ血液みたいなものはちゃんと感じるんですよ。
👩あの、観終わった後の率直な感想はどういう気持ちなんですか。感想というか、どういう感覚なのですか。なんかいい物をみたっていう感じですか。それとも、。
👨なんだろ、そこに揺蕩い満ちた時間とか距離を感じたみたいな。
👩その距離みたいなものを感じてどう思ったんですか?その、ほっとしたとか満たされたとか。懐かしいとかあるじゃないですか。そういう言葉にするとどんな感じなのですか?
👨淡々と切ない。
👩切なさ。
👨でも、淡々と深い切なさだね。
👩ああ、確かにそれはなだらかな時間、眺める舞台だね、それは。
👨そう。
👩体感というか。
👨で、多分ずっと続いていた時間が最後にその日で終わってしまうわけじゃない。そこの場所っていうのが。だから、みんなに少しずつその寂しさとか感慨っていうのは残るんですよ。
👩うんうん。
👨だけど、じゃあなにが変わるかっていうと、きっと何も変わらないんだよね。そこは、その街の時間は。
👩うん、そういうの、良いのかもしれないな。なんか、実際に観てみないとわからないけれど、どうなんだろうね、興味は物凄くあるなぁ。観てみたい。
👨でね、お芝居って戯曲とかをよく売るじゃない。
👩はい。
👨終演後、物販で作演のタニノクロウさんが白水社から出した本を売っていたんですよ。同じ『虹む街』というタイトルで。で、それがね、普通戯曲っていったら舞台の台本みたいな感じじゃない。
👩うん。
👨それがけっこう変わった本で、作家の立場と作品を演出する観点と観客が観て感じる物とその観客を見ている演出家の立場までがごっちゃになって書かれているのよ。
👩へぇぇーーー!!
👨だから、空間があってそれを構成している、まあ俳優は別なのだけれど、台詞やト書きはもちろん構成している物とか構成している人たち全部が入り乱れて書かれているの。そこに。
👩ほうほう。
👨で、最初はなんだこれはと思ったんだけれど、読んでいて。でも読み終わってみるとちゃんと自分が舞台から貰った世界と同じなのよ、割合と。だって、ひどいんだよ、隣に座ったおっさんは途中から最後まで寝ていやがったなとか平気で書いてあるしさ。
👩うふふふ。おもしろい。
👨演劇って元々1対1じゃない。舞台があって客席があって、その間に空気みたいな物があってね。でもあの世界って多分そうではなくて、街全体がぐるっと切り取られていてね、だからそこに何かを描こうとする方も受け取る方もその空気の中でまるごと掬われちゃって本になってしまった感じ。
👩全体が?
👨全体がまるごと、劇場まるごとがそのままわっと掬い上げられてそのまま本になってしまったような感じ。
👩えぇ、面白い。おもしろい、どっちがどっちかわからなくなるような。
👨うん。でも混沌とはしてないのよ、全然。そこのところ、実は場のハプニングに思えるようなところも全部きれいに定められてはいて、すごく細かく作られているというのは分かったのだけれど、だけど台詞的には90分のそういう舞台としては圧倒的に少ないよね。しかも日本語も半分だし。
👩そういう舞台、もっとあって欲しいなぁ。舞台ってさぁ…映画はそうなのだけれど、キツいの逃げられるんですよね、予告を観るから。これは自分にはきつそうだ、喰らいそうだ、良い意味ではない吸い込まれてしまいそうだって、その作品がどうだとか、内容がとか、出来がとかではまったくなくて、個人的な理由で逃げたい作品っていうのがあるんですよ。観ない方が幸せって。あの、そうかもしれないと私が思うから逃げるんだけれど。そうじゃないのもあると思う、それでも観た方が良いかも知れないと思って頑張ってみてめちゃくちゃ良かった、これは観て良かった、出会いだって思った舞台もあったし、やっぱり観るべきではなかったっていう舞台もあったのですけれど。
👨あはは、予想通りだったみたいなね。
👩あのさ、でもさ、それはしょうがない、しょうがないのだけれど、これ、舞台の作り方の話になってもいいですか?ちょっとだけ。
👨はい、どうぞ。
👩しょうがないのはわかっているの。私も舞台に出るからね、わかるんだ。そのー…チラシの段階とか、情報上の段階であまりどういう話かっていうのが出せなかったりする時はある。特にチラシだとかだとそうだし、でも今はツイッターとかもあるから、SNSとかも発達しているから、もちろん情報を拾うことはできる。昔よりもどういう話なのかっていうのを探りやすくはなった。でもやっぱり、わかんないというか、あらすじがさ、全然あらすじじゃないというか、あらすじがないやつがほとんどじゃないですか、どういう話なのか観る前にわからないという。
👨まあ、観ても分からないってやつもあるしね。
👩そうだね。でも観た後ではなくて宣伝の状態で、どういう流れかというのが明確に表示されている舞台って…
👨古典のお芝居は別だけれどね。
👩うん、古典は別。古典はもう話がわかっていてなので、そうじゃない。そうじゃなくて、新作で、チラシの段階で、という話。ざっくりね、ほんとに、あらすじ。
👨うん。
👩たとえばさ、私には観たくないジャンルの物ってあるんですよ。
👨あぁ、はい。
👩ざっくり言えば、
👨うん
👩私は暴力の物はみることができないと言っているわけではないです.全然観ます。観たこともあるし。あの、そうじゃなくて、暴力の一種、ある分野のというか、あるジャンルの暴力のことをとても許せなくて、観ると本当に辛くなるから、舞台どころではなくて辛くなってしまうから、そういうシーンのあるものは観たくないんですよ。うん、で、知り合いとかだと今回ちょっとそういうシーンがあるかもとか言ってくれたりするんですね。
👨ああ、おねえさんのことを知っていてね。
👩そうそう、でもそれは個人的なつきあいだからね。ていうくらいの物があるの。でもさ、予想ができないんですよねぇ。舞台は、ほんとうに。
👨うんうん。
👩今は違うのかも知れない。今は私がちゃんとあんまり観れていないから。おねえさん、それは情報が違うよというのがあるのかもしれないし、私は多分これから少し調べてみるんだろうと思うけれど、最近はもしかしたらもう少しは調べられているのかもしれないけど。
👨うん。
👩ありません?ちょっとでいいから、ちょっとでいいから、たとえばさ、たとえばよ?恋愛物、任侠もの、ホームコメディみたいなのとか。いや、それくらいはわかるか。それくらいはわかるよね、うん。
👨いや、そうでもないよ。だって作家本人は明るいホームコメディだと思って書いていても、その中のさっきでいうと「転」のところ、「転」のところにはある種の人にとってはとてもビターな話が含まれていて、たとえばもう子供とわかれて一生会えないみたいな話があるとそれが駄目な人を私は何人か知っているのね、たとえばね。そういうこともあるからジャンルでもなかなか区別はつきにくいと思うよ。
👩そうか。そうだね、そうだよね。あのー、自分が苦手なのが、なんていうの、そのピンポイントで全部分かるなんてことは絶対ありえないし、そこまでは全然望んではいないのですよ。ただ、取捨選択がもっと出来たらいいなとは思うの。そしたら、もっと私…うーん、そうね、ひとりだからね、今私が。ただ、でも、選んで、もう少し舞台に行きやすくはなるだけどなとは思うの。
👨まあ、舞台はねぇ。
👩凄く前から準備をしないといけないじゃないですか。役者とか宣伝とかって凄く前だから、もちろん台本がある団体もあるし、既存の物をやるんだったらできるかもしれないけど…新作だったらチラシの段階でまだ台本出来ていない可能性もあるから。それくらい前じゃないですか。1年くらい前から劇場を取ったりするわけだから。1年、2年、3年後とかね、しょうがないところもあるんだけれどさ。
👨でも、不思議なのは、それだけ前なのにもかかわらず、何であれなんだろうね、実際に稽古を始めるとさ、そんなに前からちゃんと計画をされていることなのにも関わらず、俳優の人たちのツイートを見ていると今日も人狼をたくさんやりましたみたいな呟きが多くなるんだろうね。
👩そうねぇ、それはもう、私もそうねとしか言えない。多くは語れない。そうねぇとは思う、でもなんかさぁ、擁護はしないよ、台本もあるべきだと私も思っている。擁護はしない。まあねぇ、たださぁ、その、いろんな人がいて良いというか、このコロナのせいで、コロナのおかげで、どっちかわからないけれど、篩いにかけられた感じはあるじゃないですか。
👨ああ、それは感じますね、たしかに。
👩ね、誰でもできるものではなくなって。でも、皆出たいと思った人が舞台に出られる。だからこそ出られた人もいて、だからこそ目指せた人がいて。どれだけ小さい舞台でも人の心を動かす物はあるから大きさではないのだけれど、でも選ばれる、篩いにかけられるというのは、必要なことだと思うんですよね。
👨うん。そうだね。
👩だから、うーん。遅くておもしろいものもある。それはそれで、それがきちんとやらなければいけなかったらその舞台は多分世に出ていなくて、もう追い立てられて、追い立てられて、苦しんで、苦しんで、あの昔の文豪たちのようにさ。うふふ。そう、苦しんで苦しんだから出せたやっとのものみたいな。
👨徳俵に足がかかったからおもしろいって話は本当にあるからね。
👩うん、あるある。あるんだよね、
👨最後のそのひねりこそがおもしろかったみたいなね。
👩ただそれが許されていいかというとちょっと違うんだけれどね。許されていいかというと論外なのだけれどね。台本はあれ!!と思うんだけれど。
👨いや、問題なのは、観る方からすると徳俵にかかっていようが最後のうっちゃりのそれも手がつくかつかないかみたいな話になっていようが、観る方ってそこのところはどうでもよくて、結局面白いか面白くないかだけなので。
👩そうだよね、そうなんだよ。意見が変わっちゃうところもあるよね、内側から観るか外側から観るかでさ。
👨そうそう、
👩変わるのよな。おもしろければいいのがまたねぇ。まあでも、残るのはちゃんとしてる人なんだけれどね。
👨そうそうそう。
👩それかとんでもなくても天才ね。努力の天才とか。しっかりと努力ができる天才か、マジの天才、とか鬼才なのだと思うけど。でも、間口ももっと広く欲しいなぁと思う。観る側に寄っているからこそ観にいけないなぁと思うのが悲しくて。調べるから、一生懸命調べるから、いろんなところに情報を出してって思う。けっこうさ、観ようと思っている舞台でツイッターに全然情報が載ってなくて、サイトにいったらサイトがめっちゃ分かりづらくて、もうどこから見たら良いのですかってなってさ、ツイッターに全部のせてくれって思ったり。おねえさんはね、ちょっとツイッターが住処なのでツイッターが良いのですけれど、でもさ、主要なSNSには全部上げて欲しいって思ってる。
👨一斉公開みたいな?
👩そう。上げたらいいじゃん。分母増やさなと思うもの。
👨まあやっぱりツイッターのそういう意味での発言力は強いからね。
👩そうねぇ。気をつけなければいけないこともありますからね、ツイッターはね。なんの精査もされていないことがぽんっとでちゃうからさ。
👨でも良いところも悪いところも両方あってね、それは。ぽんど出ちゃうからこそ真実が見えることもあるし。
👩あるねぇ。
👨でも、なんか、オリンピックが近くなってきて、それに合わせてなんか世間もちょっと緩んできているから。お芝居なんかはほんと、やりたい物をやっている感じになってきたものね。だから、7月を見てみると、6月に比べて観たいものの本数ってだいぶ増えてるものね、現実に。
👩ほう。やっぱりそうなんだなぁ。対応力…国民の対応力はさ、日本にいる人ってけっこう高めだと思うんだよね。その、社畜気質というかさぁ。
👨えぇ、なに気質?
👩社畜気質、というかくそ真面目気質がさぁ、
👨あぁ。
👩馴染んでいくかぁみたいな。どういう風に対応していくか、じゃあこうするかみたいな。あの、発想力でもあるし。あるなぁって思って見てる。クリエイティブなことで言えばいい事かもだしね。苦しまないで欲しいとは思うけどね。そういうのに慣れていくことで抱え込んでいる人もいるだろうから。
👨そうだねぇ。まあね、私もなんか、これでワクチンが打ててね。
👩ああ、よかったですね。
👨まだもう一回があるんですけれど。これでちゃんとリスクが減れば少しは安心して観にもいけるし、そうしたらもう少し本数を増やそうとは思いますけれど。まだちょっと押さえているからね。
👩どんどん、面白い物が。今コロナと言うことでハードルが上がっているからなかなかですけど。
👨でも、アゴラも今やっている奴から各席がキャパの5割から7割に変わったみたいだしね。
👩そうなんだ!
👨でも、不安感って、劇場ってあまりないのね、割合と。
👩ああ、そうかぁ。いやぁ私先日さぁ、知り合いの流れなんだけれどさ、エチュードの舞台を観にいったのよ。エチュードの戦いをやっているみたいな舞台。
👨あぁ、はい。
👩そこさぁ…一回目を観たときにも、少し気にはなったんだけれど、いやぁ滅茶滅茶さぁ、これちょっとだけ、ちょっとだけあれになっちゃかもしれない。あの、こう、ポジティブではない、ネガティブな内容になってしまうんですけれど。内容は置いといて!即興面白かったよ!!でもね…二回目に行った時、客席がもうびっちびちだったわけ。
👨ああ、はい。
👩一ヶ月に一回やっているのかな??
👨うん。
👩一回目はそうでもなかったけれど、二回目がもうみっちみちだったわけ。やっているのはいいのよ。エチュード自体はとても好意的に観ていて、始まったらよかったのけどね。その、まず、観客みっちみち、そして舞台上に一応申し訳程度のビニールがあって、そこで写真、チェキをやっていてね、
👨えっなにを
👩チェキ。
👨ああ、チェキね。はい。
👩気をつけている子も少ないけどいるのよ。ちゃんとマスクして、ビニールの後ろで写真撮るときだけちょっと外してという子もいるんだけれどさ。まず、そのビニールが小さいわけ。で、一応スタッフさんもそのビニールのところで喋ってくださいとは言っているんだけれど、全然聞いていない人もいて、その人たちは舞台上からマスクなしで大声でしゃべっているわけ。もうねぇ…やめてくれーーーって思って。
👨それはあれでしょう。コロナウイルスさん大喜びでしょ。
👩そうそうそう。でさぁ、それがどういう風に影響を与えるのかもわからないのか!!?と思ってしまって、それだけでその人を、その俳優さんをちょっといやになっちゃうわけよ。エチュードなのに。気をつけてくれよと思うの。チェキをやるなとは言わないよ、大変なのだろうからね。だけど、守ろうよ。守ってちゃんと静かにマスクをしている人たちの前で、客席もけっこうざわざわしていてお静かにって思っていたけれど。マスクをしている人たちの前で、舞台の上で、けっこう上がっている舞台だったから、舞台の上から客席に向かって大声で喋るなって思って。もうね、はぁ?って思った。観る前から嫌んなっちゃった。
👨それってさ、話を聞いている自体で思うのは、2mルールなんて完全にとんでいるよね。きっと。
👩とんでる。めっちゃ近いというか私の目の前だったから。本当に嫌だったから、態度の悪いお客さんだったかも知れない…あっ、でも睨んだりはしていないよ。もう唯々静かに時が過ぎるのを待っていたんだけれど。早く終わらないかなぁこの時間って。いやぁ、でも、その俳優さんのことは、もうだって、嫌って思っちゃったから。その辺り気にできない人は嫌だもの…。
👨それはやっぱり酷いとはおもうけれどね。
👩ひどかった。知り合いが出ているし、知り合いは凄い頑張っているし、滅茶滅茶気をつけているんですよ。で、そう、そのなんかね、頑張っているの、みんな。舞台やるときは外しますとか、いいよ、それは。でも舞台以外のチェキとかのところでそれをやられるのは違うだろう。と。
👨うふふふ。
👩2~3人そういう人がいてさ、私の前に。ほんと久しぶりに。深く深く嫌な気持ちになりました。
👨本当に気をつけろだよね。
👩うん。
👨でもね、そういうピントのずれている人っているんですよ。世の中には。この間ね、電車に乗っていたのだけれど、なんかお客さんどおしの喧嘩が始まったのよ。
👩ほう。
👨ちょっと雨が降っていたのね。で、ほんとにいい歳したおじさんどおしなんだけれど、ひとりが窓を閉めたのよ、雨が降り込んでくるから。
👩なるほどなるほど。
👨で、もうひとりのおじさんが、コロナが怖いからもうちょっと窓を開けてろっていって、いや濡れるからみたいなことで、お互いに激昂してけんかみたいになったんだけれど、ふたりともマスクを顎まで下げてるのよ。
👩どっちもだめじゃん。周りの人は絶対思ってるよ、同じ穴の狢黙ってくれって。
👨ふたりまとめて窓から放りだしてやろうかと思いましたけれどね。
👩あなたたちの言い合う飛沫が一番嫌なんだが。
👨そう。
👩ずれてるわぁ、本当にずれてる。
👨あれは酷かったね。
👩でもさ、私たちもさ、人の振り見て我が振り直せじゃないけれどさ、なにか自分のことしか見えてないとそうなっちゃうんだろうから、気をつけましょうね、お互いに。
👨はい。
👩私たちもそうならないように、私も気をつけているしおじさんも滅茶滅茶気をつけていらっしゃると思っているんですよ。私たちは歌舞伎を観に行ったりとか、ちょっと前にしたけれど、
👨まあ、いろいろありましたよね。
👩ご飯を食べているときに喋らない!電車でもお静かに!!みたいなね。
👨ちゃんとルールを守っていれば、みんなマスクをしていれば、真正面を向いてしゃべらなければ、席がもう少し詰まっても安全なのですよ。だけど、そこが崩れ始めると、みんなが崩し始めるとどんどん崩壊していくのだろうなぁと。
👩マスクも。…ショックだったよねぇ、チェキはでもしょうがない。やるのも仕方ないって思っていた。応援の気持ち。一回目もちょっとマスクを外してるなっておもって嫌だったけれど、大声で喋ったりする人はいなかったから。だけど完全に…客席の人数が前より増えたから、客席もちょっとざわざわしてたし、だから多分テンションもあがっちゃったんだろうね。そういう時こそ、守ってくれよって思った。応援したいから、純粋に応援したくて来てるから、それは裏切らないで欲しいっていう気持ち。
👨わかる。
👩それを裏切られ続けたから、もう黙って耐えるしかなくて。観る前からがっかりしてしまった。
👨それがね、結局演劇業界全体の迷惑にもなることだから。
👩そうそう、そうなんだよ。今私がこれを言うことも本当は良くないと思うんだ。だって、気をつけている人の方が多いのだから。気をつけている団体はほんと、本当に気をつけているから、劇団は。これは大前提だから。PCR検査とかめっちゃ受けてるよ、舞台関係者。毎現場でPCRを受けていますみたいなことも聞きますから。良く聞きますから。やめて!!みんなのために。演劇業界のために、そういうことするのやめて!!思 思われるじゃん。みんなそういうことやっているんだって思われるじゃん。
👨なんだろ、そういうところはちゃんとみんなでコントロールするような形にはしていきたいですよね。本当のことを言ってしまうとね。
👩ほんとそうですね。ちょっと衝撃だったので、熱くなってしまいました。
👨まあ、そんなこんなで、でもちょっとずつ解放もされてきたし、次はどうなっていくのかは、日を改めてお話しをしましょうか?
👩そうですね。今度は舞台を観た感想戦なとがしたいなぁと思っております。
👨では、また次回ということで。
👩はい。
👨今日もお付き合い頂きましてありがとうございました。演劇のおじさんと、
👩おねえさんでした。ありがとうございました。演劇業界は気をつけているよ。それを一部の人で潰すことのないように。みんなもう一度気をつけていこう。緩んでいるところ、頼む。
👨観客も気を引き締めて参りましょう。
👩参りましょう。
👨ではでは、おやすみなさい。
👩おやすみなさいませ。
=== ===。

よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは我々の会話をより多岐に豊かにするために使用いたします。よろしくお願いいたします。