2021年12月12日の乾杯
2021年12月12日の乾杯。師走に入り木々も一層色づく。コロナもずいぶんと落ち着いて、一気に息を吹き返した東京の舞台たち。その中で二人が共通してみたAmmo『太陽は飛び去って』のこと。また、おじさんが箍が外れたように観た舞台の中からムシラセ『「つやつやのやつ」と「ファンファンファンファーレ!」』キラリ☆ふじみでの芸術監督3人いる!企画『Are You Heroine?ん?』などについて語り合います。さらには観劇について思うことなども。
👨演劇のおじさんと
👩おねえさんです。よろしくお願いします。
👨いやぁ、12月ですね。
👩そうですね、あっという間ですね。
👨まあ、師走というかね。いろいろせわしなくて。
👩舞台ね、私観たんです。一本。
👨はい。
👩難しかった…
👨えーと、なにをごらんになったのですか?
👩Ammoさんの舞台ですね。
👨ああ、『太陽は飛び去って』ですね。私も観ました。難しかったとは?
👩うーん、なんだろう。会話が、掴みきれなかった?これは私の観る側としての小劇場観劇筋みたいなものが落ちているというのを感じました。
👨観る側の舞台を受け取る筋肉ということね。
👩そうそう、感じる。なんかね、会話がね、掴めなくてね。
👨ああ。
👩言葉はわかるし、しゃべり方とかでそうなっているわけではないのよ。そういうしゃべり方の映画とかもべつに観るし。そのしゃべり方自体ではなくて、なんかね、うーん、そういう時代だからなのかもしれない。というか、女性が感情を今みたいに顕わにして喋るということがあまりない、出来ないということの表現なのかもしれない。何を考えているのか、見えにくくしていたんだろうか。。
👨あの、私も、観ていてそのことは割合と感じていたかも。作演の方、南さんが書こうとしてことが、最初は女性解放の話だと思って観ていたのね。そういう、誰がなにをやってみたいな歴史的なことも含めてみていたのだけれど、なにか中盤過ぎまで観ているうちにそうでないような気もしてきたのね。それぞれがいろんな立場や背景をもって自分の正しさを主張する。で、その正しさを主張する人たちの演技ってすごく綺麗なのですよ。具体的には3人の女性解放運動のリーダーになろうとしている人たちがいるじゃない。
👩うん。
👨で、それを演じる俳優達それぞれってとてもしっかりと個性を作れていたし、
👩そうですね。
👨指の先までのびがある演技というかね。
👩うんうん。
👨個性を本当に紡げていたと思うんですよ。でも、主人公になるべき女性、そのリーダー候補たちから、私に力を貸して下さいというか組織の代表選挙で私に投票をして下さいといわれている側の女性、前園あかりさんがやられていたけれど、そのどれにも違和感を感じるというか、その政争をするだれにも考えられていないもっと大切ななにかがあるのではないかというものが漠然と心にひっかかり続けていて、最後にはそのどれもが違うのではと気付くというか、そのいずれもが考えていないことの存在に思いあたるというお話しだったじゃないですか。
👩そうですね。
👨そこのところを南さんは描きたくて、でも、それっていうのは舞台に描かれる如くにそれぞれバラバラに深い根を持っていて本来クリアに解決するようなものではないじゃない。
👩ふむふむ
👨選挙候補者の3人がそれぞれにこう考えてこう解決しますということだけで解決するようなことであればこの話は女性解放の雛形になるような話なのだけれど、それが見当たらず行き場を失っていたという話をしていたように思うのね、作り手は。
👩うーん。そうなのか?
👨私が受け取ったのはね。だけど、それってとても曖昧で、本来それが形になった時点で形骸化して崩れるような話でもあるので、その女性の思索を担った前園さんのお芝居っていうのはとても難しかったのではとも思うのね、多分。
👩なんかね、前園あかりさんの最後のせりふとかも私はめちゃめちゃぐっときて、めっちゃ良かったし好きなのですけれど、舞台自体として、そのなんかね、題材が題材だからもちろんそうなのだけれど、めっちゃ疲れて。
👨ああ、それはわかる。
👩めちゃめちゃ疲れたんですよね。もちろん観る側のその観劇筋、観劇の筋肉というのは確実にあって、やっぱりそれが衰えているから、それを久しぶりに観ると、やっぱりね大変こう、うん、食べやすいご飯じゃないんですよね。力がある。
👨うん、どちらかといえば雑穀飯のようなね。
👩え?どうだろ、ちょっとそれはわからない(笑)それは私の感覚とはちょっと違うかもしれないっ!
👨うふふふ。しっかり噛まないと消化できないみたいな、まあ。なんかね、私が感じたのは、とういうか、なんかこの間の選挙のことも思っていて。
👩選挙の話をします?
👨いや、具体的な選挙自体の話はしないけれど、なんだろ、何か正しいということをそれぞれが主張するときというのは、必ずしもその中味の姿形だけでは判断できないのだなというのをこの舞台を観ていておもったのね。
👩うーん、そうねそうね
👨で、作演の南さんもそこのところの表現がしたくて、なんだろ、女性解放運動の顛末に加えてここ何年かの日本を見ていてそういうことを思ったのかなぁともちょっと感じたので。
👩うんうん。
👨だから、そのチャレンジとしては正しいのだけれど、ではそれがうまく機能していたかというと、ちょっと違う気がしたかなという感じもあったのね。
👩うーん、なるほどなぁ。まだちょっと整理がついてないというか、今の状況とか体調とか心具合みたいなのに…だからすごく胃が疲れているときにめちゃめちゃ重たい油っぽいものを食べると疲れるみたいな感じ
👨ああ。
👩観てさ、得られる物ってあって。観ることができてよかったなぁと思ったの。だけど、Ammoさんの感じがいつもとは違うようにも思えて、それは私の観劇筋が衰えているからなのか、実際問題としてAmmoさんが何か変わろうとしているのかちょっとわからないんだよね。どっちなのだろうと思って。元々私Ammoさんって好きだし。
👨あの、観劇後あちこちの劇評とかSNS、ツイッターとか観ていると女性解放の歴史を描いた物として絶賛されてる方もいらっしゃったんだよね。この作品について。
👩そういう方もいらっしゃるだろうと思う。
👨だけど、私はそのことに違和感があったのね。
👩ほうほう。
👨まあ、女性解放運動の歴史を描いた作品として、ただ素晴らしいというだけだと舞台の価値はその時点で終わってしまうのだろうなぁとも思って。で、作り手が本当にやりたかったことはそこだけではなくて、その先に現れてくるものなのだろうなとも感じていて。でも、それを描きつくすためには、この舞台にはまだ研がれるべき余地があるなとも思ったのね。そこまでがないから、なんか、私もおねえさんが抱いたのと同じ感覚かどうかは別にして、ある種の消化不良というか、まだ問える、もっと出来るでしょ、それが難しいことはわかるけれどみたいな想いは残ったのね。
👩ああ、それはあるかもなぁ。答えが出ているものでもないというか。現実問題の男女っていう問題もあるし、新たに出てきているその逆側の問題というのもあるわけで。まだ考え続けなければならないことだからというのが正直あるのかもね。今とこう…地続きだから、そこか。そこがあったから今がある、頑張ってくれたりとか闘って勝ち得た物があるから今があるという…女性でいえばね?みんなこう選挙権があるわけだから。だけどとても地続き。まだ続いているというか、まだずっと変化をしつづけなければいけないというか…その…探らなければいけない、まだわからないというところだからというのが実際にある気はしますね。でもそれでいうなら一番最後の台詞は本当に良かったなと思う。あと木とね。
👨ああ、あの木もよかったですね。あの木に込められた寓意はわかるというか本当に描きたいことを感覚としてもらえた気がしたし、あの鳥の声もそうなのですけれどね。
👩うん、そうですね。実際そうやって考え始めるとやはり、やはり前園さんはいいね、やはり。
👨うん、前園さんはね。彼女はもう今の彼女ができる精一杯を演じきった気がするのよ。
👩前園さんの芝居をもっと観たいなって毎回思うんですよね。あの女優さんの。
👨それはそう。そうだし、もちろん彼女はものすごく良い女優だし良いお芝居でもあったけれど、ただね、そのうえであの戯曲に対して彼女はもっとできる。もっと突き詰める時間があればできるのではないかなという気もしたのね。
👩うーん、そうなのかなぁ。どうなのだろうね。いや、もちろん、うーん。なんだろうな、そういう役だからというのもある気もするの。その、なにか込めるじゃないけれど、みんなの話を聴いて、受けて、受けて、受けてという。なんかさ、ある種、途中でなんかめちゃ気分の悪いシーンだと思っていたのだけれど、良い意味でね、作品として良い意味でね、ただ物語としてもう最悪だと思うシーンがあったのだけれど。学校に行きたいという女性を後押しするよみたいな男性がいたのだけれど、それは結局妾になれっていう意味で…。
👨実質的にその女性を支配したいというね、教職の身でありながら。
👩うん。
👨うん。
👩代わりに体を差し出せっていう。口にするのもいやだけれど。あの、そういうところで、女性がね、それを受けた女性が「私は欲望の器だ」というのだけれど、主役の環さんもまた形は違うけれど、主役の環さんもまたなにかの器にはされている、なっているというところもあってというか。みんながみんな勝手なことを言うからさ。だけど、その中でもしっかりと、なんだろうな、考え続けるという役だったから。どうなのか、どうなのかと、どこが自分のこの理想だったりとか、こうでありたい、こうなのではないかと考えていることに対しての真摯な人だったから。いやぁーー…まだなんかね、まだあんまり整理がついていないから、しゃべれないというのが正直なところ!
👨私が一つ思ったのは、なんていうのだろう、そういう風に候補者たちが語る理想と現実の違和感がありながらも、そこのところで、主人公の思索が逡巡するというか、弱さみたいなものが途中暫らくあるじゃないですか、彼女の中に。
👩うん、そうですね。
👨その思索を表すところが、なんだろ、ほかの俳優たちが編む強さについていけてないという感じが少ししたのね。
👩うーん、そうかなぁ。
👨それは、そこを弱く演じて表すとなるとちょっと違うというか、核心がぼやける気がして。でも、彼女の中にそこのところで舞台全体の密度を少しだけ下げるようなお芝居の感触もあったのね、私の観た回では。そこはもちろん最後に向けての歩み的なことはあるのだろうけれど、その中でも、もうすこし鋭く強く研いだお芝居を編んでもよかったのではないかなという気がしたのだけれど。
👩私が観たときにはそれはあまり感じなかったかも。私が観た回はけっこう良かったのかなぁと思います。
👨ああ、なるほど。もちろんお芝居ってなまものだし、どの回を観たかということによっても印象が変わってくるとはおもうのですけれどね。
👩まあ、そうであってはいけないのだけれどね、ほんとうはね。でもなまものだから…
👨いやでも、観客からみると、そういうものだからと思ってしまうところもあるよね。
👩でもそれをさ、作る側が言ってはいけないよ。
👨ああ、そういうことか。でも、なんだろな、さっきも言いかけたけれど、すごく良く出来た舞台ではあるけれど、まだ戯曲に対して上があるかもしれないなというのが私の感想だね。もちろん不満というのとは違います。
👩うん。単純にああいう舞台を観るのはちょっと辛いのかも。
👨ああ。
👩もっとなんかどこか自分と離してというか、離れたものではないと舞台を観るということ自体が、特に小劇場を観るということ自体がちょっとしんどいんだなということがよくわかりました。
👨ああ。
👩うん、暫らく舞台を観るのは・・、一回休もうかなぁって思います。
👨なるほど。
👩気になるものがあれば行きますけれど、この間の日本のラジオみたいに強烈に惹かれてとか、Ammoも見たかったのですけれど。ちょっと、想像はしていたの。多分しんどくなってしまうだろうって。あの、作品がとかあれがというよりは、舞台が。
👨うん。
👩食べ物でいうならお米のお食事だったから。ということはわかっていたから、難しいですね、ちょっと。
👨でも、コロナが今少し落ち着いてきたから、演劇の上演本数が凄いことになっているものね。
👩うーん、そうですね。めちゃめちゃやっているね。
👨うん。やっている側の人から狂い咲きという言葉がでてきたのにはさすがに驚いたけれど、みんななんか12月くらいになったらできるのではないかという気分になったみたいで。おかげで私はそれこそ2年ぶりくらいに観たい作品があってもコマがないという経験をしました。
👩へぇぇぇ
👨でね、Ammoみたいにいろんなことをがっつり考えさせる作品ももちろんあったのだけれど、別のところで心に感じたり喜ぶみたいな舞台もたんとあって、たとえばムシラセとかものすごくおもしろかったもの。「『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』」
👩ふむふむ
👨芸人さんの話とそれを推すひとたちの話で、芸人さんの方の話は『つやつやのやつ』といって、前に花まる学習会王子小劇場でやった佐藤辰海演劇祭で賞をとった作品なんだよね。それに新しく推しの女の子たちを描く『ファンファンファンファーレ!』という作品をつけてゆるくひとつにしたみたいな舞台だったのだけれど、これはもう抜群におもしろかったです。
👩ふんふん
👨なんというか、変な残り方をしないのよ。その、芸人さんやファンの話でタフな部分もあるのだけれど、だけどなんというかカラっと達観しているのね、世界が。作演の保坂萌さんにはある種の美学があるのだろうね。登場人物たちがそれぞれに自分の人生を考えて生きているよという部分をすごく感じられて、だから、登場人物たちのみんなが褒められたりうつくしかったり幸せだったり満たされた生き方をしているわけではないのだけれど、なんだろ、納得ができるのよ、観ていて。瀬戸ゆりかさんとか中野亜美さんとかのセリフの切っ先にも息をのんだりしてそういうのも眼福だったし、菊地美里さんの外連にこれはもう誰も勝てないと思ったし、見せ場もサービス精神もたっぷりでね、観終わって満たされて、ほんと小難しくなく薄っぺらくならず楽しく懐を持ったよい舞台だなぁと思った。なんか少し前にはコロナの軋轢とか暗さを引きずったお芝居もわりと多かったのだけれど、前にも第27班のことで話したのだけれど、コロナ前のお芝居というか、その勢いとか、価値観やバイタリティみたいなものを取り戻したお芝居を観るとなんかほっとするんだよね。
👩ほほう
👨忘れていたなにかが蘇ってきたような気がするのよ。もちろんそれだけのお芝居ではないのだけれど、そういう感覚を受け取れるのもありがたいことではあるので。こんな風にして、気が付けばいろんなことが救われていればいいなっていう風に思ったのね。
👩ほはぁ
👨まあね、もちろんこの後みんなが単純に良くなっていくという保証もないわけだし、
👩そうですね。
👨どこかそのことを信用していない部分もあるし、いろいろなことがよくなっていくということに対して。
👩そう、そうなんだよ。
👨だけど、世間を一時期支配したなにも見えなくなったという感覚とはまた違うから。それはそれで悪いことではないのかなという気はしているのだけれどね。やっぱり一時期みたいにずっと身を潜めているみたいに生きているのは疲れますよ。
👩ほんと、疲れる。
👨まあ、そういう中でお芝居というのは、たとえば今日芝居を観に行ったとして、良かったなと思う気持ちは普通に生きていることからすると素敵な非日常からね。舞台上、そこで救われることもたくさんあるし。それはストレートプレイだけに限らなくて、たとえばダンスでも。そうそうこの間久しぶりにモモンガ・コンプレックスの舞台を観てね。
👩モモンガ・コンプレックスさんっ!!!
👨『Are You Heroine?ん?』というのが公演のタイトルだったのだけれど。あそこの主宰をしている白神ももこさんって、田上豊さんと共にキラリ☆ふじみの芸術監督をやっていて、せっかくだからと前の芸術監督の多田淳之介も加えて芸術監督x3とダンサーたちでなにかを作るみたいな舞台になって。そこにはガッツリのコンテンポラリーダンスがあったり、思わず見入ってしまうようなショーレビューのようなダンスがあったり、コントっぽいものがあったり、徹子の部屋に乗っかったようなものがあったり、映像も作られていたりで、浮世の憂さを忘れるというと大げさだけれど、楽しい。観ていてとてもわくわくするし、やっぱり身体でダンサーの方が紡ぐものって理屈ではなく凄くてね。
👩そうですね、それはそうだ。
👨そういう圧倒ももらえるし。
👩うん。
👨少なくとも私のようにずっとそういうものを見続けた観客にとっては、それってなんだろ心豊かであり続けるために必要な肥やし、いや肥やしっていうとちょっとばばっちいけれど、栄養だなとは思ったのね。
👩うんうん
👨もちろん、そういう風に栄養を取って元気になったからと言って、別にマスクがはずれるわけではないのだけれどね。
👩まあそうね、うふふ。難しいところだよ。
👨まあ、でも。マスクは慣れるし、不細工なおじちゃんでも素敵なマスクはないかなとか探したりもするような世の中に変わってきているけれど、心の栄養の必要さっていうのはそういうのとはまたちょっと違うんだよね。
👩うん。
👨お芝居とかダンスとかっていうのは、絶対不可欠だとは思われにくいのだけれど、どこかで生きる養分やリズムになっているものがあるというのは良いことだし糧だなぁっておもって。
👩うーん、そうねぇ。
👨あのさ、人はどこかで満ちないと萎んでいってしまうのですよ。
👩そうなんよ。
👨まあ、それは例えばお酒とかいうことでもよいのだろうけれどね。おねえさんもお酒は嫌いではないでしょうし。
👩お酒は好きですよ。んふふ。
👨自信をもっておっしゃっていただきましたけれど。
👩はい、ふふ。
👨まあ、私はね、昔はお酒を沢山飲む人はそれで体を壊したりしやすいとか、雑でネガティブなイメージも持っていたりもしたのだけれど、でも、最近はお酒を楽しく飲めるというのはそれも立派な才能だなと思っていて。
👩ああ、そうですか?
👨お酒を飲みたいというのが憂さを晴らすためではなくて、楽しくなりたいからというお酒ってあるじゃないですか。
👩うん、ありますね。
👨自分が楽しく過ごすためのお酒の飲み方を知っているひとっていうのは、それだけで人生での幸せをいくつか神様からもらっているような気がする。
👩うん。
👨悪いお酒っていうのもあってね、なんかの憂さを埋め合わせるようなお酒っていうのは、そういう飲み方をされる方も昔の上司や先輩にはいらっしゃって、若いうちは断り切れずそういう人から誘われるとそれだけで夕方からブルーになることもあったけれどね。だけどほら、楽しく飲んでいるお酒って本人はもちろんなのだけれど周りからみていてもわかるじゃないですか。
👩うん、そうですね。
👨たとえ愚痴をいうにしても明るい愚痴を言える人とかね、そういうことができるのってとても大事じゃないかなあって思って。おねえさんもそういう意味では楽しくお酒を飲めているので、私が見知る限りでは。
👩まあそうですね。それはそうかも。ちゃんと楽しんで呑めている気はする。
👨で、なによりも、見ているとお酒を美味しいとおもえているじゃない、きっと。
👩うん、うん。
👨それってもう神様に感謝なのですよ、きっと。お酒を美味しく飲めるという才能を神様からいただいたのだろうなっていう。なんか宗教臭い言い回しになってしまうけれど。
👩うふふふ。
👨変な意味ではなくて。だからなにかを信じろとかそういうことではないので。
👩いやいや、大丈夫ですよ。そのへんは。
👨おねえさんと呑ませてもらっているとストレスがなくて楽しいものね、私も。
👩ほへ、それはよかった!
👨はい。
👩恐縮です。
👨そうやって、一緒にお酒を飲むとか、あとお芝居の時なんかでもそうなのだけれど、一緒に観てああよかったねって言えるとか、あと、今は出来なくなってしまっているけれど、演じたり作ったりしている人と観る人がお互いにそれぞれの作品に関わっている立場からのものを交わしたり悦びを共有したりとかも、以前はあったいわゆる役者面会というのもそういう部分があったじゃないですか。
👩そうですね。ありました。
👨そういうことができる機会に巡り合ったり出来たりする運や才能って大事で、それは生きていくことの楽しさに恵まれていることでもあるような気がするのね。
👩うん、なるほど。いやまあ、でも、人と話す限りね、ご機嫌ではいたいですよ。内面がどうあれ。そのなんていうの、相手に対して何を思っているとかじゃなくてですね、自分のコンディションがどうであれ、なんとでも受けられる。いろいろと考えることはありますよ、今は特に。
👨やっぱり人間って生身だからね、
👩そうですね。
👨常にそうあり続けるだけではいられないというのはもう間違いなくあるし。
👩はい。
👨あのさ、とても昔からの聖なるかなというかものすごく生真面目な知り合いの方がいて、その方がおっしゃって凄く印象に残っていることがあってね。まあ私はね、そうやって自分を律し続けている彼をみるたびに、内心では正直楽しいのかなって若いころは思っていたのだけれど。でもあるとき珍しく酔っぱらった彼が言ったの。自分も苦しい時間というのを感じていないわけではなくて、でも、そういう苦しい時間をたくさん見ていた方が楽しい一瞬がより楽しく思えることもあるんだよって。で、それって確かにそうかもしれないなって思ったのね。
👩うんうん。
👨たとえばプリンを一個食べるにしても、毎日プリンを食べる人が感じる美味しさと一週間に一度だけプリンを食べる人が感じる美味しさは違うみたいな話ってあるじゃないですか。
👩そうね
👨なんか全然良いたとえ話ではないかもだけれど。でも、そういうことって別にどちらが悪いということではなくて、むしろ選択したどちらにとっても素敵なことでもあるから。人間いつも楽しくなくてもいいんだなとも思っているのね、実は。
👩うんうん。
👨たとえば舞台にしても、観ていていろんな意味で辛いお芝居や苦しいお芝居があり、良いお芝居も楽しいお芝居もあるじゃないですか。
👩そうですね。
👨それが全部なんか均一化されて、楽しいお芝居やいいお芝居だけでそれ以外のものには恵まれないとなると、それはそれで一見悪いことではないのかもしれないけれど、人が芝居を見続けることの深さということでは何かを失っているようにも思うのね。ちっとわかりにくいし誤解を招く言い方で申し訳ないのだけれど、そんな風にも思ったりもしている。きっと、いろんなことを考えたり、違和感があったり、拙く感じたり、わからなかったりするお芝居も何かの意味があって観ているのだろうなという感覚を持つようにはなりましたけれどね。
👩ああぁ、それはあれですね。私には、いっぱい観ているからというのはあるなぁと思います。それこそね、観劇のプロやから。
👨あはは、そんな。観劇のプロっていうのはさ、本当に評論をきちんと書けてその世界を分析できる人であって・・。
👩いや違う。違うよ。観るのが得意な人はいるよ。別にどこに出さなくても。
👨ああ、受け取るのが得意という意味だけであれば、もしかしたらプロにもなれるかもしれない、うふふ。
👩自分で言ったらそれがもうプロだから。だれにもあれにもならんけれどね。
👨うん。今、自分でそう思って自分でそういう矜持を持つっていうことは、大切なことかもしれないし。
👩大切、たいせつ、とても大切。
👨やっぱりね、俳優の方だってそうじゃないですか。自分はこの部分だけは絶対うまく演じられるっていう風なものを持っている人ってやっぱり魅力的だし強いと思うのね。
👩うんうん。
👨なにもかもすべてをうまく演じるということは、そんなにすべての俳優ができることではないと思うけれど、だけど、その中で秀でたなにかを持っているという人の存在はそれだけで観客にとってとても大切だとおもうしね。
👩今は余計大事かもしれませんね。そういう風なものを大切にしていかないと、矜持を持たないと生きていくのが大変になる気がする、とっても。
👨ああ、そういうのはあるかもしれないね。
👩ただでさえ大変なのに。自分で自分の大切にすべきものを、心を立てるために、守るためにも、ちゃんと立たなければいけないなぁと。
👨まあ、そういう時代なのだろうね、きっと。
👩そうなんですよ、きっと。
👨そうか。なんかそれは、大事な悟りなのかもしれないね、実は。
👩うん。がんばるとかあれは、うーん、自分の心をちゃんと見つめなおすようにして生きていかなければいけない気はしますね。
👨そうだね。
👩はい、そんな風に思いました。
👨はい。
👩そんな時期に、まあちょっとバタバタしているのでね、日々を過ごしていて。
👨いや、ゆうても、ほら、先生も走る時期だしね。
👩そうですね、師走ね。
👨ましてやね、女優も走れば観客も走るわけですよ。
👩今はもう。みんなこれまでにできなかった舞台がいっぱいあるからなぁ。
👨なんかそれはとても幸せなことだとも思うし。
👩うん、できればやる方も見る方も、舞台を楽しめたら良いなと思います。
👨そうですね。
👩はい。
👨あの、あれですか、今月はもうお芝居を観る予定などはないのですか?
👩ないですね。観ないです。
👨そうか。
👩そうですね。
👨じゃあ、まあそれはそれとして、またなにか気分が変わるころを見計らってお誘いしますね。
👩ああ、恐れ入ります。んふふ、ありがとうございます。
👨ということで、またいろいろとお話しましょうね。
👩はい。
👨では、演劇のおじさんと
👩おねえさんでした。おやすみなさいませ。
👨おやすみなさい。
(ご参考)
・Ammo『太陽は飛び去って』
2021年12月02 (木) ~ 12月08日 (水)@サンモールスタジオ
脚本・演出 : 南慎介
出演 : 前園あかり(Ammo)、津田修平(Ammo)、井上実莉(Ammo)、
吉村公佑(劇団B級遊撃隊/Ammo)、奥野亮子、
田中千佳子(チタキヨ)、堤千穂、トヨザワトモコ、
福永理未、松本寛子、日下部そう、大原研二(DULL-COLOREDPOP)
・ムシラセ『つやつやのやつ』と『ファンファンファンファーレ!』
2021年12月02日(水) ~ 12月08日(日)@オメガ東京
脚本・演出 : 保坂萌
出演 : 山崎丸光、辻響平、菊池美里、山森信太郎、
瀬戸ゆりか、つかてつお、永田紗茅、柴奏花、
鈴木研、中野亜美、谷川清夏、土橋銘菓
・キラリンクプログラムvol.1 芸術監督3人いる!企画
『Are You Heroine?ん?』
2021年12月04日 (土) ~ 12月07日 (火)@富士見市民会館キラリ☆ふじみ
演出など : 白神ももこ、田上豊、多田淳之介
出演 : 加藤典子、北川結、仁科幸、塙睦美、夕田智恵、白神ももこ