
2024年9月17日の乾杯
新しい乾杯。
暑い日もまだまだあるけれど、やっと秋の空気に満たされ始めた今日この頃。
木ノ下歌舞伎の余韻に浸りながら、お酒も美味しく飲みながら、おじさんとおねえさんは今日も楽しく語り合います。
👱演劇のおじさんと。
👩おねえさんです。よろしくお願いします。
👨よろしくお願いします。
👩本日は東京芸術劇場PLAYHOUSEで木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』を観て参りまして、その 帰りに池袋でご飯ということで。
👱はい。
👩大変久しぶりに見応えがあって。
👨えぇ。アフタートークも含めて6時間があっという間だったね。
👩正直、三幕目の最後あたりは腰が痛かったのですけれど。
👱あぁ、さすがに。さすがにちょっとね。
👩それでも通常長いもの、たとえば歌舞伎座なんかよりも腰が痛くならなかったのはなんでかな?
👱うふふふ
👩あのさ、歌舞伎座も良い椅子なのだけれど硬いのよ。
👱あと、あれね、私が思うには、少し小さい人ひとにも優しい座席なんだよ
👩ああ、なるほどね。でもさ、私もそんなに体が大きくないよ。
👨いや、もしかしたら歌舞伎座って日本人の平均的な体格をすこし老人の体格に寄せているのではないかと思って。身長150cm未満の方とかもいらっしゃるから。そういう人たちも座りやすいようにしているのではないかなぁと思って。
👩いや、こう言っちゃ悪いけどさ、歌舞伎は詰め詰めに詰めようとするからああいう風に小さくなるんだよ。
👱まあね。そのあたりが公共施設と松竹のような商業ベースの違いなのかもしれないけれどね。
👩あ、これ美味しい。お刺身も湯葉も。
👱いぶりがっこのポテトサラダも美味しいよ。
👩うんうん。👱
👨そういえば、三人吉三の話をするまえに、この間「焚びび」を観に行ったのね。
👩「焚びび」?。
👱そう。あの子供鉅人を主宰していた益山さんが、新たに立ち上げた団体。
👩ああ、はいはい。
👨JINNAN HOUSEでやっていたんだけれどね、とても面白かった。

👩JINNAN HOUSE?
👨うん、私も初めての場所だったのだけれどね、JR原宿駅から歩いて7~8分かなぁ。一番近いのは副都心線の北参道駅なのだけれど。
👩へぇ。
👨それが、めっちゃおしゃれなスペースなの。
👩そうなんだ。
👱で、いうても子供鉅人のころからの美学があるから、客席の作りなんかもすごく斬新で、なんか4段にそそり立つような感じに設えられていて、一番上は私の背より上で、の観客はそこをよじ登っていくような感じなの。
👩ええぇ?
👨そのあたりも攻めてるなぁって。
👩うふふ。
👨でさ、彼の世界っていうのは、まあ団体名は変わったけれど、子供鉅人の時からコアに変わらない部分があるなぁって思ったのね。
👩はい。
なんかね。彼が芝居って彼にしか紡ぎえないような独特のペーソスがあるのよ。
👩うんうん。
👨なんか、観終わって降りてくる感慨とかね。
👩なるほど。
👨それと、あの、俳優がね。益山兄弟のお二人の舞台はなんども観ているしその力も存じ上げているのだけれど、そのほかに女優がおふたり、男優がおひとりご出演なのだけれどそれぞれに違ったメリハリというかお芝居の個性や懐の深さがすごいあって。それでひとりずつの表現に見入ってしまうのだけれどその重なりには子供鉅人の時代に感じたペーソスのようなものがしっかりと残る。
👩はい。
👨まあ、29歳の女性が昔を回想する態の物語なのだけれど、その記憶の中で彼女は猫を演じていたりもしてね、彼女の小学生のころの記憶とか、そのころに抱いていたものが解ける中で彼女の今の居場所が残るみたいな。100分の尺だったのだけれど、その世界に完全にもっていかれてそれがあっという間だった。あの、先日浅草九劇でピンクリバティの公演を観た時にも思ったけれど、それは一人の女性が崩れていくことの顛末で、作り手の山西さんが紡ぐものにも言えることなのだけれど、子供鉅人の人たちが作る世界にはそういう時間の中に因果があり、そこから生まれ揺蕩っていくような感じがものが観る側の感慨を導いているように思えて。団体がなくなってもそういう質感というのはしっかりと続いているのだなぁと思った。
👩はい。なるほどね、そんな感じだったんだ。
👱お、お刺身だ。今呑んでいるひやおろしにぴったり。
👩わたしはもうひやおろし呑めない。うん、あのわたしさ、わさび いらない。 ら。 さびつけないでいただけます。とりわけるね。
👨あぁ、ありがとう。
👩おじさんの分はちゃんととりわけるけれど、私の分は適当でいいや。
👨それは友人ご夫婦の旦那さんが一番怒るパターンだね。
👩えぇ、そうなの?
👱あの、そこは4人家族なのだけれど、取り分けるときに子供と旦那の分だけちゃんと盛り付けて自分だけいい加減にすると旦那さんがすごく怒るんだって。
👩うふふ、かわいい。自分を大事にしろって?
👨俺の家庭をなんだと思ってるって。
👩えぇ。
👨俺の家庭では全員が同じように大切にされていなければいやだよって。
👩ふーん。それは奥さんが大好きなんだ。
👨まあね。それはそうかもしれないけれど。
👩素敵じゃない。
👨まあ、奥様は昔ミスなんたらかんたらだったそうだからね
👩うふふ、そうなんだ。
👨旦那さんのあだ名はゴリラだったけれどね。
👩ゴリラ!
👨本当にゴリラっぽかったからね。
👩ガタイはいい?
👨あぁ、無茶苦茶よかった。
👩なんか話が脱線してしまったね・・
👨あははは、本当だね。
👩オンラインで話しているとあまりこういうことはないのだけれど、まあそれも楽しんで頂こう。
👨まあ、ある程度だけれどね。ゴリラの話をされても聴いている方は困るだろうしね。
👱まあ、そういうことで話は戻すけど、まあ、この間話したあやめ十八番なんかにしてもそうなのだけれど、やっぱり良い作品を作るキャリアをもった作り手の作品を積み重ねでみるのはおもしろいよ。
👩そうだね。
👨またそういうところって進化を止めないしね、今日の木ノ下歌舞伎にしてもそうなのだけれど、今回の公演は以前に観た「三人吉三」を思い出しつつ、でも初演の印象とはかなり違ったりもしたのだけれど。
👩うん、だいぶ違った。

👱なんか、すっきりしたよね。
👩うん、そうかもね。あの、客席の年代がね、普段歌舞伎をみていらっしゃるのかなぁくらいの方も多く手さ、もうぐあんぐあん泣いていて大丈夫かなって心配になったし。
👨私たちも最近は歌舞伎を観に行くようになったじゃない。木ノ下さんは歌舞伎の面白さというのをそれはもうよく知ってらっしゃる方だから、それが生かされているんだなと感じるようにもなったよね。
👩それは思うけれど、でもさ、爆音が流れていたじゃない。ラップとか。うるさいじゃない、単純に。
👨ノイジーな感じはしたよね。
👩大丈夫かなぁとおもって。私はけっこうぎりぎりだったよ。もう不愉快の一歩手前というか、けっこう音に過敏だからいやだなぁというところに掛かってはいたね。義理という感じではなく掛かっていた。いやだな、不安になるな、怖いなくらいの感じにはなったけれど、だけどその音量を下げてしまうとまた違うのかなぁとも思うから、音楽のシーンは我慢だったね。うん、我慢だったよ。あれを下げると足りないなっておもってしまうかもしれないからしょうがないのだけれど、なにか手立ては欲しいよなって。耳を塞ぐといかいうのもちょっとねぇ。
👨演出の杉原邦夫さんって好きだよね、ああいう形でのインパクトの作り方って。
👩そうねぇ。
👨前にやった『勧進帳』でも同じような演出があって。そういうインパクトの作り方は得意技だから。
👩あと、ラップが好きなのかなって思った。確かに古典って言葉遊びが使われるから親和性が高いとは思うんだけれど。
👨うん。
👩ラップって、今回のラップはそこまであれだったけれど、でも、なんか私はあんまり。ラップ自体が嫌いという訳ではないのだけれど、歌舞伎とラップというのは、合わせたりする人がいろのはわかるけれど、好みとして私はあんまり好きじゃないんだな。
👨はい。
👩でも、今日の人が歌っている、俳優が歌っているラップは落とし込まれている感じがしてあれは好きだったの。あの、マイクからスピーカーへ流れてるラップはあんまり好きじゃなくて嫌だなって思ったんだよな。この感覚ってなんなのだろうね。
👨というか、元々歌舞伎の言葉って七五調が多いじゃないですか。
👩うん。
👨で、アフタートークでのお話にもあったとおり、年嵩の人の言葉はその古語、古語というか歌舞伎の言葉を重視したわけでしょ。
👩はいはい。
👨一方で若い人の言葉っていうのは現代口語にして、その代わりにいろんなものを付け加えたというお話で。でも、やっぱり、ああいう昔、の歌舞伎で使われている七五調とか体言止めというのはきれいだものね、言葉や響きが。
👩マイクとか使わないで人が歌っている方のラップは凄く良かった。でもマイクを使ってスピーカーから流れてくる奴はなんだかなぁって。凄く嫌だったなぁ。普通に歌ってくれるラップは受け入れ態勢が絶対できているし違和感をあまり感じていないと思うのだけれど、また私はラップが嫌いなわけではないが、違和感を感じるひともいるだろうし、まだ一部のひとたちのものだとも思うんだ。だから私がスピーカーからのラップの音が聞こえた時には、ラップが好きなんだなぁ、演出家の人がって思ったの。そういうのが多いから。ラップが、もちろんそれはそうなるのだけれど、演出だったり、演出家がラップを好きだと、で、意味もわかるの。言葉遊びっていう意味はわかるの。わかっているの、わかっているつもりなの。
👨うん。
👩それで違和感をあたえたいなら成功なのかもしれないけれど、じゃあ、ほかになにをすると言われた時に困ってしまうのかもしれないけれど、せめて、肉声で実際に歌って欲しかったのかも。歌ってくれたら話は違ったかも。
👨なんかさ、声が通る俳優の方が多かったじゃない。
👩うん。
👨もちろんセリフをひろうマイクはつけていたのだろうけれど、肉声的な部分がよく伝わってきたから。あれをさらに別のマイクを通しての音というのは違和感があるんだよね。
👩マイクを通すとその時々の空気感が感じられないから。一辺倒になるから。それをするにはちょっとまだ違和感が。わたしだけかなぁ。
👨いや、私もやっぱりギャップは凄く感じたのね、あれには。
👩悲しいシーンだからこそとか、効果的に作っていないかというと、そんなことはなくて、効果的だなとはおもったのだけれど。でも一回強烈な違和感を無視しなければいけないという作業がはいるから、正直私は、観てはいたのだけれど、なんか気がそがれて、集中ができなくなったの。
👨はいはい。
👩だからせめて、あそこでラップを使うのは良いと思うから、肉声で歌ってくれって思った。
👨その、語り口の中で七五調とかと同じ扱いでラップの口調があるのは良いと思うのよ。
👩うん。
👨でもそれが全く異質なものとして伝わってくるとちょっと聴いていて辛いというのはあるよね。
👩うん。あの、俳優さんが歌っていたのはめっちゃよかったよ。あれは落とし込まれていた。ちゃんとラップと歌舞伎が、その木ノ下歌舞伎がしっかりと馴染んでいて、聴きやすくて、もっと聴いていたいと思うくらいよかった。
👨そうだね。
👩だから安心したのだけれど、後半にスピーカーからのあれがきて、ああもう嫌だってなっちゃった。
👨ちなみに、そのラップの部分を作ったのは板橋駿谷さんなんでしょ、「ロロ」の。
👩うんうん。
👨あの、体の大きな。
👩はいはい。めちゃめちゃ良かったよね。
👨彼はラッパーでもあるから。
👩ふーん、そうなんだ。でも、さすがだな。
👨あと、振付は「さんぴん」仲間でBaobabの北尾亘さんだから。
👩うん、それは当パンで見た。
👨私、大好きなんだよね、彼の振付って。だから、ほんと良いスタッフをそろえているんですよ。あと、緒川たまきさんの声っていいよね。
👩いいよねぇ。
👨Xを見てたらケラリーノ・サンドロビッチさんが初日にご覧になったと呟いていらっしゃいましたが。
👩うふふふ、本当に良い声。
👨とても情のある声なのだけれどべたつかないんだよね。
👩そうそう、ちゃんと完結しているし。
👨ほんと、いろいろによかった。ところでこの天ぷら美味しいねぇ。
👩うん、おいしい、
👨なんか新橋の駅前ビル1号館地下にある「志ん橋 ひでや本店」のランチ天ぷら定食も食べたくなった。夜はコース料理なんかもあってそれなりのお値段なのだけれどとランチだと安く食べられるんだよ。もうね、天ぷら定食の美味しいこと。昔、仕事で新橋を通ることがよくあって、そのたびに足を運んでた。
👩へぇ。
👨なんか話がずれてしまったけれど、木ノ下歌舞伎にはスウィング回というのもあってね。藤松祥子さんがとても良い俳優だと知っていて、多分また違った雰囲気の世界になるような予感もして、見たい気持ちはたんとあるのだけれど、そもそもスケジュールが合わないし、体力的にもひと月に2度の観劇だと持たないだろうしでとても残念。
👩うんうん。
👨でも、話がちょっと戻ってしまうけれどさっきも言っていた緒川たまきさんとか川平慈英さんとかにしてもそうだけれど、やっぱり大きな劇場に慣れているなぁとおもうんだよね。あの空間の生かし方を知っているというか。
👩そうだね。こういう言い方があっているのかわからないけれど、なんか大きな劇場を手玉にとれるというか。そうやって手玉にとる人たちって格好良いよね。わたしたちもちゃんと手玉にとられて一挙手一投足をみている。ちゃんとそこに魂とか意図があるから、観ている方も気持ち良くみているというか気持ち良く騙されるというか気持ち良くお話に乗せてもらえる人達ってやっぱりあるんだなぁ、経験って。須賀健太さんなんかにしてもそうだし、よかった。
👨そうだよね。だから緒川たまきさんがたとえ茶番で紫式部を演じたとしても、ああやってしっかりと形になっていたものね。ちなみにあの場面はおふたりのアフタトークにもあったとおり、あれは初演が御正月だったのだって。当時御正月の芝居興業には曽我物をやるというしきたりがあったみたいで、そこで木阿弥はその流行を含んだあの場を作ったとアフタートークでお話しされていたけれど。相撲挙なども実際にあったみたいなので、ちゃんと原本に従って作られているのですよ。そこは。
👩そうなんだ。
👨ちゃんと伝統を守っているんですよ。ただあほなことをやっているわけではない。
👩あはは、なるほど、強い意図をもってやっているのね。まあ、なにも考えないでやっているとはまったく思わなかったから。
👨但し、前回の木ノ下歌舞伎「三人吉三」にもあったシーンなのだけれど、江戸時代の初演からそれまでの150年間は上演されなかった場みたいなのね。
👩あぁ、まあ、たしかにね。
👨ずっとカットされ続けてきたんだって。
👩当を得ているというかねぇ。あはは。理由があってカットされているのよ。
👨まあね。
👩でもさ、それを観たことがあって、「三人吉三」を面白いなぁって思っていて、どうするのかなぁとおもっていたら、それを入れ込むんだぁという気持ちよさもあるわけじゃない。こっちとしては。おもろーいってなるから。
👨川平慈英さんのお地蔵様をみるだけでも、もう眼福じゃないですか。
👩うん、あれは眼福よね。よくやってくれたよね。みんなもう、えぇみたいな。
👨そうそう。場内騒然みたいになっていたでしょ。
👩えぇ、塗らせたの顔を、うそみたいなね。
👨あの、希代のミュージカル俳優をねぇ。
👩そうよ。ほんとうに。でさ、歌声が本当に綺麗よ。
👨もう一瞬の歌声でシーンとなったものね。
👩劇場全てを魅了したものね。それでひとつ思ったの。拍手ですよみたいなのは、歌舞伎ってやっぱり上手いんだなぁって思ってさ。演出なのか俳優さんなのかというのは思うけれど、歌舞伎座でさ、もちろんまわりがわかっているというのもでかいのだけれど、個々が決めですよというのがピカイチでさ、もうここが見せ場、カチンとなってうわぁって自然に拍手をしてしまう、拍手場所がわかるの。で、木ノ下歌舞伎も面白かったのだけれどラップとかもとりあえず置いといて、一つ気になったのは拍手をさせたいのかさせたくないのか、見せ場なのか見せ場ではないのかみたいなのがなんかちょっと弱かった。その、もっと決めて欲しかった。きめ場はあるのだけれど、ちゃんときめのシーンなのだけれど、それがパワーとしてきめきれていないから拍手につながらない。拍手をして良いのかしちゃだめなのかかわからないと客席が迷う。拍手をしたい気持ちはあるけれど、迷ってしまうというのはそういう事だと思うんだよね。そこまでもっていけていないというか。
👨ひとつには大向こうがないじゃない。
👩いや、大向こうがなくても拍手は生まれるじゃない。私たちはそんなことは知っているでしょ。大向こうがないときに、だからこそ、拍手が凄く大事で、こっちからの盛り上げではないけれど、ありがとう、凄くすばらしいという風にするわけじゃない。大向こうは関係ないともおもうんだけれどね。
👨私は観ていておもったのだけれど、ひとつには歌舞伎ではつけがあるじゃないですか。
👩ああそうだね、つけはめちゃめちゃ高まると思う。なんでつけを入れないんだろうって正直思う。
👨ただ、つけを打ってしまうと場面がそこで歌舞伎に固まってしまうんだよね。
👩うーん。あるけれど、そこに頼るのっていう感じじゃん。それはあるけれど、でもそれだけじゃないよ。あるけれど。別に歌舞伎でも弱いところだと拍手がおこらないじゃん。
つけがあったって。
👨うん、まあね。
👩あったって拍手が起こらないときにはおこらない。そのパワー、ちゃんと見せ物として、ちょっと例としては違うのだけれど、繋ぎの句読点の点とか丸だと、点になってしまっているような気がして。丸をつけてくれたら、がんと決めてくれたら、ちゃんと拍手ができるとおもうのだけれど、点だとまだあるかもしれないとか、ここは拍手をしてはいけないところなのかもしれないと迷わせているのは、実際事実だと思うのね。
👨まあ、それが現代口語と古典の台詞回しの混ざったところの流れなのだろうなとは思うのだけれどね。
👩いやでもさ、でもね、私は思うのだけれど、あれって役者次第なところが正直超あるなって思うよ。いや、大変なのは重々承知、私が自分でやれって言われたらぞっとするけれど、もっと頑張れって。
👨もっと強くてもいい?
👩もっとキメてほしい。拍手を貰って欲しい。凄いのをやっているのだから、勿体ないって思って。
👨確かに、何カ所か3人が綺麗にきまるところがあって、そこはもうそれこそ赤い台をもってきてやって欲しいくらいだったけれど。
👩だって歌舞伎って大体決まっているから、拍手をする人がいてそうすると自然に全体が拍手をしたりもするじゃない。でも、そうじゃないんだ。そうじゃないから如実にそうだなって思ったらお客様は拍手をするし、うん?ってなったら拍手をしないのは事実だと思うの。
👨うん。それはもう芸の厳しさでね。
👩そう思うの。で、凄かったからさぁ、もっと拍手をしたかったから、もっと決めのシーンでよっ!って思ったから、でも私には拍手してよいのかなというシーンがめっちゃあったの。それはちょっと勿体なくない?
👨歌舞伎って言うのはそのあたりがもう徹底しているからね。
👩うん、徹底している。
👨さっきの赤い箱、初めて黒子が当たり前のように持ってきたときの驚きね。でもそれで形ができてまわりの提灯も全部ついて幕切れっていうあの高揚感ね。
👩かっこいいよね。
👨わかってみるとあれがないと歌舞伎はだめなのよ。
👩うんうん、そうだね。ハレの日のものであって欲しいよ、歌舞伎って。
👨どんなに暗い場面であってもさ。あの、『夏祭浪速鑑』という演目のなかに泥場というのがあってね、舅を殺して仕舞う場面なのだけれど、その後ろをお祭りの神輿が通るという演出で。その対照のまあ鮮やかなこと。歌舞伎ってそういう美学のようなものが暗い場面の中にも常にあるんだよね。どんな凄惨な場面でもその中に人が生きることを際立たせて観る側に渡す力って絶対にあるんだよ。それは歌舞伎の場合古典芸能の伝統があるから工夫はあってもそこには則ってやっている美しさなのだけれど、それが木ノ下歌舞伎という原題を取り入れた物になると、本当にたくさんのことをしているのだけれど、それでももっとってなってしまうんだよね。
👩うん、わかる。もっともっとって思ってしまうね。
👨そのあたりも今の話に繋がるのかなぁっておもったけれどね。
👩そうだね、歌舞伎を観ているから、拍手が生まれてここおはきめどころだろというところで拍手を起せない、観客側の技量もあるとは思うのだけれど、まあ木ノ下歌舞伎がもっともっと続いていけば「三人吉三」ってまたやるだろうし、そうすればまた違うのかもしれないけれども。
👨まあ、いろんなことを考えていて、江戸時代のそういう洗練の感覚と現代口語演劇での感動の感覚って違うのかなぁとも思って。それを昔通りにやるのだったら木ノ下歌舞伎っていらないわけじゃない。
👩うん確かに。木ノ下歌舞伎はあってほしい。
👨それを今の感情として描き出すというのが木ノ下歌舞伎の肝というか真骨頂だしね。。
👩そうね。
👨今として理解できるというのが木ノ下歌舞伎の入り口だと思うし、みんなが同じ時代の感覚で理解できるというのも木ノ下歌舞伎のひとつの目標ではとも思うし。そう考えるとやっていることはすごく正しいとはおもうけれど、でも一方で歌舞伎の側から入ったときには
👩どうしても物足りなさはある。
👨そういうことなのかなぁって思うんだよな。
👩きめをもっとやってくれよ、俳優って。もっときめてくれよとか。まあ俳優の問題だけではなくて演出なのかも知れないけれど。でも、やっているとは思うのだけどな。演出的にはちゃんと見せ場だよってしているとおもうのだけれど。観てるとは思うのだけれど、もっと歌舞伎も観て欲しいっておもっちゃった、俳優さんに。
👨でも、それをノイズをいれたりとかそういうところで一生懸命カバーしようとしているのかなとは思うのね。
👩ああ、そうだね。でも難しい。それをやってくれているから私たちもやいのやいの言えるわけだからね。
👨そうそう。
👩じゃあお前があれをつくってみろとかやってみろって言われたら無理ですってもう即白旗なのだけれど。でも、それを、面白かったと言うことを大前提にして、もっとやってほしかったという気になるのが今話していることで。
👨俳優達は完コピっていって一度歌舞伎のとおりやるっていう稽古を必ずするんでしょ。
👩凄いねぇ。じゃあ必ず観ているね。でもやっぱり歌舞伎って凄いんだなって思ってしまうね。決めがきめきれないって。あの、和尚吉三の俳優はしっかりきめてたと思うの、パワーもあって。お嬢とお坊がちょっと弱いなぁというのは正直感じるところで。
👨まあ、おやまにはおやまのきめ方が歌舞伎にもあるしお嬢はそれは出来ていたと思うしね。お坊もまたしかりだとおもうけれど。そういう意味では、それぞれにある意味作れていたとは思うのだけれど。
👩うん。あとお坊吉三がキメていたときに何故拍手が起こらないのだろうと思うところもあったけれど。
👨それは観客の至らなさかも。私も手が前にまで来て、どうしようって日和ったけれど。
👩わたしも。ふたりして手を前にして固まって、なんか拝んでいたよね。ここは拍手だろうと思うところもあったけれど、そこは観客の無知で申し訳ないともおもったけれど、そこはもちろん向こうのせいには出来ないことだし、演者側も観る側もお互いにもっと成長していこうということで。
👨そうそう。
👩演者も観客もみんな演劇を愛する演劇人だからお互い成長していきましょう。観ているだけじゃ、ただ享受しているだけじゃ、駄目ですよ。
👨そうして考えると木ノ下さんもアラフォーだし、杉原さんと木ノ下さんって今の京都芸術大学の先輩後輩だしね。これまでそうやって木ノ下歌舞伎を立ち上げて、木ノ下さんは「勧進帳」をやり、「曾根崎心中」をやり、「義経千本桜」をやり、「摂州合邦辻」をやり、「隅田川」や「娘道成寺」をやり、「三人吉三」をやってきたわけじゃない。まあ、順番はめちゃくちゃだけれど。そのなかで観客がどんな風に育ってきたのかというのは彼らを考えるうえでのまた別の新たな視点かもしれないなぁとおもう。
👩なるほどね。
👨まあ、そんなところで、そろそろ今後のお勧めのお話をしましょうか。
👩そうですね。
👨10月にはいるとコンプソンズがあります。
👩はいはい。
👨コンプソンズもいま乗りに乗っている劇団なので。
👩なるほど。
👨あと、もうひとつは、平体まひろさんの一人芝居があります。彼女は若手の俳優のなかでも一番表現力に長けた方だと思っていて。文学座の俳優でもあるのだけれど、今回はプテラノドンというもうひとつの彼女の劇団名義で『売り言葉』を上演します。
👩はい。
👨これは野田秀樹さんの戯曲でね。高村智恵子の話で。昔大竹しのぶさんがスパイラルホールでやって凄かったのだけれど、彼女が雑遊でどのように演じるかがとても楽しみ。
👩うんうん。
👨今回はこの2作ですね。
👩はい。
👨それでは、いい加減酔っ払ってきたし、そろそろ終わりにしましょうか。
👩そうですね。
👨それでは演劇のおじさんと
👩おねえさんでした。
👨おやすみなさい!

(ご参考)
・焚びび『溶けたアイスのひとしずくの中にだって踊る私はいる』
2024年9月13日~16日@JINNANHOUSE
脚本・演出:益山貴司
出演:益山寛司、高田静流、ISANA、BEBE、益山貴司
・木ノ下歌舞伎『三人吉三廓初買』
脚本:河竹黙阿弥
監修・補綴:木ノ下裕一
出演: 田中俊介、須賀健太、坂口涼太郎、
藤野涼子、小日向星一、深沢萌華、
武谷公雄、高山のえみ、山口航太、
武居卓、田中佑弥、緑川史絵、
川平慈英、緒川たまき、眞島秀和、
スウィング:佐藤俊彦、スウィング:藤松祥子
いいなと思ったら応援しよう!
