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2020年10月11日の乾杯

今回はいつもよりすこし話題を絞って、おじさんとおねえさんが観た同じお芝居について感想を語り合います。作品は
serial number 『All My Sons』
三軒茶屋シアタートラムで2020年10月1日から11日まで上演されました。

脚本 アーサー・ミラー、翻訳 詩森ろば
演出 詩森ろば
出演 神野三鈴、田島亮、瀬戸さおり、金井勇太、杉木隆幸、
   熊坂理恵子、酒巻誉洋、浦浜アリサ、田中誠人、大谷亮介

👨ではそろそろ始めましょうか。演劇のおじさんと
👩おねえさんです。よろしくお願いします。
👨今日は、こんにちはとこんばんわの間の中途半端な時間ですけれどね。
👩そうですねー、ではまずは乾杯しますか?
👨今日のお酒はなんですか
👩ビールですね。お気に入りのビールです。
👨すばらしい。私は檸檬堂のレモンサワーを。
👩ああ、良いですね・・。では
👨👩乾杯!
👩はい、ではでは、今日はいつもとは趣向を変えてというか・・。テーマがしっかりある状態で話をしていきましょう。
👨そうですね。たまたま同じお芝居を観ることができたので、その感想ということで。
👩そうですね。いやあれなんですよ。おじさんが観てとてもよかったという話だったので私も観てきたのですけれど。
👨はい。
👩serial numberさん、元風琴工房さんの『All My Sons』というお芝居を観てまいりました。
👨いやぁ・・・。
👩おじさんはいつ観たんですか?
👨えーと、ちょっと待ってね、カレンダーを確認するから・・。最近ちょっと日にちもわからなくなってきていて。
👩うふふふ。ちなみに私は9日の夜でしたね。
👨今日(10月11日)までだったよね・・。確か。
👩今日まででしたね、
👨そうかそうか、でも、観ることができてよかったですよ。
👩いやぁ、よかった。本当によかった。これから、まあ、ゆっくり1時間かけてお話をするのですけれど。
👨・・、ええとね、私が観たのは3日のソワレ。
👩じゃあ、わりと最初の方だったのですね。
👨だからまだ始まって三日目くらいだったと思うんですよ。
👩いやでも、きっと、、関係ないんですよね。
👨まあ、育っていったとは思うのですけれど。
👩『All My Sons』、これって元々古典?戯曲があって?
👨書かれたのは第二次世界大戦が終わって2年目、1947年。アーサーミラという『あるセールスマンの死』という有名なお芝居も書いている作家のまだ30代のころの作品なのですよ。  
👩それを、観る前にちょっと聞いていたから、それがちょっとまず信じられないなという気持ちにもなって。もちろんその時だからっていうこともあったとは思うのだけれど。終戦後の話なんですよね、ざっくりいうと。
👨第二次世界大戦直後というか少し経った頃の話ですね。
👩終戦直後の。で、戦争中に、軍事に使われていた、そのなんていうんだろう、工場で働いていた父と戦争にいっていた息子
👨そう、おとうさんは軍需工業の社長で、ふたりの息子は、兄は陸軍で死線をくぐり抜けて生き残って、弟は空軍にいって行方不明になった。
👩男性二人の兄弟でお兄さんの方が生き残って弟の方が亡くなられたんですよね。で、その亡くなった弟とお付き合いしていた女性が家族の家に来ている。お兄さんが呼んでいるんですよね。お兄さんはクリスというんですけれど、お兄さんが呼んで集まっているっていう状態です。で、お母さんがちょっと心を病んているっていう状態になっているという・・。
👨うん。心が狭くなっているっていう
👩様子がおかしいというか、お母さんにしか見えないというか、お母さんの世界で生きているような感じになっていたんですよね。
👨はい。
👩いやぁこれ、ほんとに私、観終わったあとに・・。まあ正直、ほんとうに久しぶりに舞台を観たんですけれど、戻ってこれなくて、良すぎて、というか衝撃的過ぎて。あの・・、とってもね、なんだろうな、何かを目指していたりとか、何かを為したかったりとか、生き方についてを考える舞台だったんですよ、私にとっては。まあ、ちょっとあれですね、私たちのあらすじよりは、劇団公式から文書をお借りして表した方がよいかもしれないですね。
👨あらすじというか公演概要については、私の方でちょっと探して可能であれば掲載しますね。
 
*****

serial numberがWeb上に掲載している公演案内のIntroductionの部分を引用いたします。著作権等問題があるようでしたらお知らせ頂けば幸甚です。

introduction

アーサー・ミラーのデビュー作「all my sons」は、
第二次世界大戦後のアメリカを舞台に、 欠陥部品を納品したことで、たくさんの若者を死に至らしめた飛行機部品工場の経営者一家の物語です。

資本主義の陰影、父と息子の葛藤、子供の死を信じられず家庭を機能不全に陥らせている母。

極めて現在的なこの物語を、演出家詩森ろば自身の手による新翻訳と、2020年の読売演劇 大賞最優秀女優賞が記憶に新しい神野三鈴、東京壱組印を主宰する生粋の演劇人であり、映像 作品でも活躍する、大谷亮介他、充実のキャスト陣で、新たな息を吹き込み上演致します。 また、かつてクリスを演じ高い評価を得たシリアルナンバーの田島亮が9年の年月を経て、再び この役に挑みます。

*****

👩いやぁ、だって、あの・・・、なんだろうな。あれは、登場人物、登場人物それぞれの正義があるんですよね。というか生きてきて
👨価値観とかがね
👩そう、出来上がっている価値観があって。で、年齢を重ねている父親だったり母親だったりというのはそれがこう、もう動かないというか、まあ、ある程度完成されてしまっているという。その変化をしないというか、できないというか。
👨ある程度頑なではありますよね。
👩で、その息子の方はものすごく潔癖。潔癖というのは言葉が違うけれど、清廉潔白というか魂が澄んでいるというか、まっすぐというか。なんかひとが誰しもこう、ある時、過去のいつかまでは信じていたものというか、美しくあろうというか。あのー、悪い人になりたいひとなんかいないじゃないですか。それがいつどうなるっていう話だろうなと思うのですけれど、それが濁る、濁るというかいろんな色に染まっていく……染まること自体を私は悪いことではないと思っているんですよ。その生きていく上でのいろいろが。
👨はい。
👩悪いことではないと思うけれど、ただ、人間にはこう、正しくありたいという思いというか…持っているじゃないですか。正しくありたい。世の中の正義とかそういうのとはちょっと違って、自分が思う正しさを徹底的に貫いていきたいというのはどこかであると思うんですよ。どこかまでは・・、どこかまではそうあろうとしていたはずなんですよ。結構早いときにそれは学んでいってしまうから。それこそ、嘘をついたりとか。それは自分を守るためだけじゃなくて誰かを守るためであったりとか、ことを上手く運ぶためだとか、いろんな事情はあるけれど、でも、心底からの自分の正しさを貫き通して生き続けることは、正直難しいと思うんですよ。人と一緒に生きていく限りは。
👨うん
👩でも、クリスという男性は、それがちょっと・・。あるんですけれど、彼のなかでも、こう・・、色が付いた部分はあるのだけれど、でも、とても正しさを信じ続けているというか、正しいままで生きているというか。それは戦争にいって自分の部下をなくしたりとかがあったからだと私はおもうのですけれど、だからこそ、律せねばならない、まわりを傷つけてはならない、自分を殺してでもっていうところだと思う。まあなんか、いいことではないんですけれどね、その美しさは私にはとても眩しく見えて、で、意識をしなければいけないなぁって風に思ったんですよね、改めて。あの、嘘をつきたくなくて、私は言葉をしゃべることをやめたいと思ったことがあるんですよ。あの、舞台をやっているですけど、舞台って言葉をしゃべるじゃないですか、舞台上で。でもそれってざっくり言えば嘘じゃないですか。
👨まぁ、嘘って言っちゃえばそうだよね。
👩だけど、それを嘘じゃなくすのが芝居を作るということだと思うんですよ。すごくざっくり一部分ですけど。
👨うん、うん。
👩嘘ゆえに信じさせるかもしれないし、本当にするというか、真に近づけるというか。でも、やっていくうえで濁る部分ってあって、ずーとその、ずーっと舞台、芝居に対してまっすぐにぶつかりつづけて、向き合い続けて、嘘なく、嘘なくってしている人たちが、今舞台に立ち続けている人たちだとおもうのですよ。それが、なんか、わからなくなっていくんですよね。それをもう一度、ぶち当てられたような気がして。且つ生きていくことを考えさせられるというか・・。
👨私はなんかあれを観て・・・。最後にコールが3回あったんですね、カーテンコールが。
👩うんうん。
👨でね、だんだん、一回目、二回目、三回目っていうふうになると・・、そこには時間の経過ってあるじゃないですか。でね、三回目の時にはまわりも立って、私もつい立っていたりしたんですけれど、それってなぜかっていうと、これってなんていうの、悲劇だとおもうんですよ、ある意味の。で、悲劇って、いくつか私が定義する・・、いや私が定義するっていうか悲劇として一般に定義されているであろう条件があって、だれひとりとして怠慢であってはいけないのよ。みんな自分のことを定められたごとくにちゃんとやらなければいけなくて、だけど神様が定めた配置がそうならざるを得ないような状況を導いてそうなってしまうのが悲劇だと思うのね。そして、このお芝居はそのとおりで、拍手をしているうちにその中に取り込まれている自分に気がついて、そのことが自然に私を立たせ拍手をつづけさせていたような気がする。
👩うんうん。
👨このお芝居って、お父さんにしてもおかあさんにしてもそれぞれの立場があり価値観があって、で、息子にしてもそうじゃない、やっぱり。自分の見ているものがあって。
👩いや、それぞれが本当に強固な価値観を持っていて。
👨ただそれだけだったら、物語の枠組みを追い切って、ただ悲劇でしたね、こんな物語でしたね、なのだけれど、あそこに置かれた人物って人間としての振れ幅がちゃんと描かれているんですよ。
👩そうですね。
👨お父さんにしても、最後にああいう結末を迎えたのは、自らが許容している振れ幅の外に出てしまったんだよね、現実が。だからこそああなる必然が生まれたことが頭の中で組み上がるのではなく直感でわかる。
👩理解もできないし、受け止めることもできないし、ということは生きていくことはできない。
👨ということだと思うのね、だから、そういう風にならざるを得ない。でもそれっていうのは、別にお父さんがものすごく悪いっていうことも言い切れなくて、お父さんはお父さんなりにたとえば工場を守ろうとしたしとか、自我もあったけれど、やっぱり家族を守ろうとしたりとか、そういう正しさや必然はあったわけじゃない?。
👩そうですね。だから、人のためというか家族のため、家族というものが自分を立たせる。生かすもの、自分が一緒になっているから自己がないんですよね。でも、その家族であるということと、自分が父親である、自分がお前たちのためにやってきたというものが強固にあるから。
👨それはもう本当に。あとたとえばクリスの婚約者のお兄さんだっけ、彼にしたって、昔自分がその場所にいた記憶と現実への怒りの間で振れているわけじゃない。そうやって父親を陥れられた怒りに震えていても、昔の価値観というのは戻ってしまう時間があるしそれは自然なことにも思えるし、ましてやクリスの婚約者のアンにしても、そのポジションの中で、ただ単純にそうですよってことではなくてそこに導かれるだけのバックボーンがあって。あれはもうやっぱり戯曲がすごいのだろうし、詩森さんの演出もすごかったのだろうと思うけれど。
👩凄かったですね。
👨その間の想いの揺れがちゃんとみえるし残るんですよ。だから舞台がすすめばすすむだけ凄く生々しいんだよね。。
👩海外戯曲って、食べづらくなる時があるじゃないですか、日本の人がやるって、しょうがないことで、文化が違うから。流れているものがちがうから、それを呑み込むのに、食べるのに時間がかかるんですよね。だけど、私、昔からほんとに詩森さんの作品って知っているけど、深く考えたことがなかったりとか、立ち止まって考えたりとか、それはどういうことなのだろうって勉強したりとかっていうことをしなかったりするところ、一歩踏み込まないでわかったつもりになっているようなこと、なんとなく言葉では聞いたことがあるようなみたいなところを、しっかりと舞台に乗せてくださるじゃないですか。で、それが・・、勉強してないわけだからわからないんですよ。わからないはずなんですよ。でもね、詩森さんてものすごくこう食べやすく、わからない人もものすごく食べやすく食べることができるものにして、でも食べた後に確実に体に残って沁みて、その人生にかかわるものを作ってくださるなって思っているんですよ、私は。だから風琴工房さんの時から好きでしたけれど、serial numberになって更にそれが、なんだろうな、より広くなったというか、大きくなったというか、もっともらった時に考える規模がでかくなった気がしていて。その舞台を見てもらってっていう、舞台をやるときに、自分が舞台に立つとき、その私のエゴともいえるところなんですけど、なんでもいいから、マイナスではなく…何でもいいから観に来てくれた人の世界をちょっとだけ変えたい、と思ってやっているんですよ、いつも。ちょっとでもいいからと、と思うんだけど。その、いや、この前の「All My Sons」は、ああ人生が変わったなと。観た後とみる前では私の人生が違う、それを知る前と知った後ではもう、生まれ変わりと等しいんじゃないかぐらいに変わっていて、それがやっぱり舞台の醍醐味だと、たまらないところだとおもいましたね。あの、「All My Sons」ってもう終わったしネタバレもバンバン入れていきますけど、あのおかあさんがずっと自分の世界でいきるようになって、息子が、その弟がいたのよみたいなことを言うし、ちょっとやっぱり、ちょっとだけおかしくなっているなというふうにずっとずっとなっていたじゃないですか。最初からずっとずぅっと。でも、いろんな事がわかっていくんですよね、観ている間に。クリス、そのお兄様の方が呼んだアン、アンでしたっけ?アンっていう幼馴染の女の子は弟の恋人だったけれど、クリスはアンに結婚を申し込もうとしているんですよね、でも、アンが来ると、アンのお父さんが刑務所に入っていることがわかるんですよ。どうやらクリスの父親も入っていたけれど、父親は釈放されて出てきたというのがわかる。なぜ警察に捕まったのか、それは父親の軍需工場で作っていたシリンダーが不良品で、それを載せた飛行機に乗っていた若者がたくさん死んだっていう、その容疑で捕まっているんですよね、人殺しって。で、どんどん話をみていくと、クリスの父親に一番の責任があってアンのおとうさんはその責任をかぶせられたのじゃないかと。アンの父親にまったく非がないわけじゃないけれど、責任を放棄したことでその責任を取らざるを得なくなったのがアンのお父さんじゃないかっていうのがわかっていくんですよね。で、おかあさんが言っているんですよね。神様はなさることとなさらないことがあると、起きることと絶対に起きないことがあるっていうのをいっているんですけれど、何回か、印象的に、観ていると残るんですけれど。いやぁ、それがね、あれなんですよね、なんでだったのだろうかというのが最後に全部つながるというか、女性といってよいかどうかわからないのだけれど母の強さというか、父親とは違う形でやっぱり守らなければいけないと思っていたから、なんだなぁ・・、まあ、それだけじゃないけれど。生活だったりとか、変わらないようにっていう。保身ももちろんあるのだろうけれど。あれなんですよね、その不良品が搭載された飛行機に自分の息子、その行方不明になっている弟が乗っていたのではないかとおかあさんは思っていて、ということはその自分たちの息子を殺したのが父親ということになる、そんなことは神様はなさらないっていうんですよね、後半で。
👨おとうさんは、息子はその飛行機に乗っていなかったとおもっていたんですよね。あとそういう責任は全然ないから家族は少なくとも守り切った、戦争に対してっていうこともあって。だけど、家族もそうやって自らの手で染めてしまったし、誰も守り切れなかったっていうことが最後のところで全部一点に集中してくるわけじゃない。きれいに解けてね。
👩弟の手紙、アン宛に、恋人向けに、最後に亡くなった日に書かれた手紙っていうので、全部が、
👨明確になって、
👩今まで何をいっても、誰がどんなに話をしても変わらなかったのが、壊されるんですよね。
👨そうそうそう。
👩で、最後のその選択も私はすごく印象的だなぁと思ったのですけれど、父親はそれで糸がきれたようになって、そうだったのかぁっていって家の中にはいるわけですよね、で、銃声が聞こえるわけですけれど、で、母親が最後にね、息子がそれを見てこんなはずじゃって、この子は本当にいきていけるんだろうかって見てて思う感じになってしまったクリスを抱いて、母が最後に、最後の、一番この舞台の最後のセリフが「生きるの」、っていう言葉だったのが、私はもう、はあああって、ちょっと、なんか鳥肌が立ちましたね、あれ。
👨ずっと一番あやういと思っていたお母さんの最後のことばだからね、あれは。
👩で、また納得できるんですよね、だって抱えていたんですもの、おかあさんは抱えていたんですよ、すべてを呑み込んで抱えた結果がそういうその自分の世界で生きるということにはなっていたけれど、でもそこには強烈な、生きていかなければいけない、守らなければならないという気持ちがあって。
👨私もこの舞台を観たときに、観て4~5分は翻訳劇だなぁっていう気がしていたのよ。名前がクリスとか、ほら、おとうさんでも名前でよびあうし、それは日本人の感覚からすると呼び捨てだから、それは婚約者どうしでも親子でも隣人でももちろんそうだから、だから最初の5~6分は翻訳劇を見ているっていう感じていたのだけれど、10分もするとそれはもう完全になくなっちゃったのね。
👩なくなりましたねぇ、そんなの考えていなかったですね。あと時間があっという間でしたね。2時間半ぐらいあったんですよね。
👨まあ、休憩10分を挟んで2時間半でしたけれどね。で、それっていうのが多分、詩森さんの演出っていうのが・・、見せているのが、そのアメリカの会話劇っていう表層を最初は持つんだけれど、実際には人間が考えることっていうことでのXX人でもいいようなそういう普遍・・
👩ああ、そうですね。なんかね、私たちの話なんですよ。私たちの。それはもうわからないわけがないやつなんですよね。
👨そう、私は戦争に行ったことが当然にないし、あの、戦争のこともわからないし、軍需工場のこともドラマでみることぐらいしかわからないんだけれど、だけどなんだろ、ちゃんとそこのディテールみたいなところ、細かいところが、お芝居で作っている感じではなくて、すごくこう、ちょっとしたことも全部自然に、自然な感じで俳優が描き出してくれるから、ふっとその世界に抵抗なく入っていけちゃうんだよね。あの舞台って。
👩そうですねぇ。
👨で、入っていけちゃうものだから、その空気、たとえば近所の人との空気、表面上親しくても、後ろではなにを言われているかわからないよみたいなところもあったりとか、その距離とか、それはおかあさんと弟の恋人だった人との距離とかも、隣のお医者さん、前の家にすんでいたアンの家族からその家を買ったとかいう話もあったけど、そういう関係での距離感とかも、頭で考えなくても全部そのセリフたちがすっと入ってくるから、世界が無意識のうちに住みついちゃう住み着いちゃうだよね、詩森さんの舞台って。
👩うんうんうん。
👨だからといって無意識になるんじゃなくて、そういうものが全部感覚として入った上で物語は確かに歩み進んでいくから。たとえば前半は舞台の中央にあった木が後半には折れてしまっていて、ということがあったじゃない。その象徴するものが見えたとき、そこまでに作られていたものがはっきりとあったから、だから心境の変化とか少しずつそれぞれの人物が考えていることの変化が入ってくる。後半に弁護士になったアンのお兄さんが来た時のお兄さんの変化なんか最たるものだよね。最初ものすごく怒りをもってきたのだけれど、それが昔の時間に染まってどうやって変化していくかとか、元々がどういう世界で、どういう風に動いていたものが、戦争っていうものがそれをどういう風に変えてどうなったのかも含めて、全部体感を伴って訪れる。
👩そうですね。
👨セリフがセリフとしてただはいってくるだけではなくて、全部温度とかをもってこちらの方にどんどん積み重なっていったから、だから舞台への視線の外側で考えを巡らすことなくずっと観ていられる。
👩うん、ずっと没頭できるというか、集中してみていましたね。
👨完全に世界に取り込まれてのお父さんの抱く価値観とか見ているものとか、息子がみているものとか、まわりが見て感じていたものが、体感で入ってきたうえであの最後の結末だったから。いろんなものが全部満ちて最後にあの結末にまで歩み出してしまったから。だから私、カーテンコールの拍手をしているときに、多分その舞台が良かったとか良くなかったみたいな平板な意識で拍手をしてなかったものね。
👩いやぁ、そうですね・・、あの、なんか、うーん。
👨その物語の中に入って、その中にあるものが拍手をさせていたみたいな、自分はそれを全部受け取りましたよっていう感じの拍手だったものね。あれは。
👩わたしはもう、なんか本当に感謝だった。そうだよ、だって私にとっては凄く大切なものだった。その、良いっていうか、とても…なんだろうな、人としてどうあるべきか、あなたはどう生きていくの?と問われた気がした。自分にはこういう部分がある、弱かったりずるかったり打算的であったりする部分っていうのは、生き続けていけば出てきたり多かれ少なかれあるものだけれど、それを・・・そうある自分、こんなにも弱いけれど、でもどうやって……選択は自分でするもので……どうやって生きていくのって問いかけられたような気がしていて。どうするの?って。
👨観ていて、それぞれの人間が、さっきも言ったけど悲劇の悲劇たるということで、もう、ああせざるを得なかった。だからアンがお兄さんを選んだことにしても、お父さんがそうやってしまったことも、アンのお兄さんがああいう風な形で怒りを覚えて行動を起こしたことにしても、クリスがそういう風な形でずっと葛藤しながら考えたことも、なんかそれはそうせざるを得なかったというか、しかもただ単純にそうせざるをえなかっただけではなくて、それぞれのちゃんとした人としての見方とか幅があの舞台にしっかりと置かれているから・・
👩そうなんですよ。だからね、だから余計に思うんですよ、そうなるんですよ。だってたとえばね、今戦争がおこったりとか・・戦争は個人がどうこうできるものではないわけだから、だけど、そのなかで、なにを選択するのではなくて、自分の心をどうするのかってことだと私は思ったんですよ。その、行動ではなくて、事実ではなくて、それが起こったときにどうするのかっていう・・。行動ではなくですよ。心をどうするのか、どう向き合うのかみたいなのっていうのを、それのいろんな形をみせてもらった。まあ、見せてもらったという、その、あれですけれど、見させられた、まざまざと。
👨見ざるを得なかった。
👩私本当に途中辛くって、想像するから。どういうことが起こるんだろうなぁって。幸せな未来なんてみえないわけですよ。で、もう、頭をかかえていたわけですよ、暗転の中、客席であぁーって。だけど決してね、決してハッピーエンドではなかった。悲劇とおっしゃってましたけれどね、そういうものだと思った。けれど、人生をみることができた。あの終わり方。その、おさまりが良いところにおさまるわけではないですよ。でも、物語上のおさまりの良いだと、なにかこっちがおさまらなかったりするじゃないですか。うーんって。でもそれが一切なかったんですよね。ああ、生きて…生きてるなぁって思って。ほんと、本当にしんどかった。
👨あれって結局それは、そのひとりひとりの人物造形が単にこの人はこうやってこういうことをしましたってことではなかったんでね。
👩ないないない、生きてるから、心がわかるから。
👨その人の間口があって、心の奥行きがあって、で、それが感情の高さっていう、要にその人の人格が常に立体としてあるようなお芝居だったから。
👩そうですね、本当に生きていた。生きていたからこそ見るのが本当に辛かった。幸せであってほしいと思ったけれど。
👨で、それは多分詩森さんが自分で翻訳をして、要は、そういう風にするためには、やっぱり言葉っていうのが普通の翻訳の台本では間尺があわなかったのだとおもうのね。
👩ふんふん。
👨彼女の言葉になって、だからこそ、もっと幅を持った演出ができるようになって、で、それが舞台にちゃんと重なり合っているから、観る方も物語の枠組みを追うのではなくて、ある意味枠組みっていうのは無意識の方にあって、その中に現れたもの、現れた色みたいなものを全部受け取るようになれたんだとは思うのね。
👩うん。
👨だから、観終わってなんか、単に物語がどうのこうの、戯曲もすごくいいとはおもうのだけれど単に戯曲がどうのこうのというよりは、その舞台にあるそういう温度とか空気の揺らぎとか。ずっと変化する中でどっぷり浸されてもらったものっていうのは、多分読んでもだめだし聴いてもだめだし、
👩ほんと舞台だからこそだと思いましたよ。映像で観て面白いときっとおもうのだけれど、やっぱり伝わるものが違うと思いました。違うと思う、その、あの場にいて観ないと体感はできないのだなぁって改めておもって。
👨うん。
👩いやぁ、あのね、ちょっと話がそれますけど、物語の事じゃないんですけど、一番最後にね、お母さん役の方が私たちはここにいますって言ったんですよ。あの、トリプルだったんですけど、私たちの時も。私たちはここにいます、劇場にいますって言っていて。ああ、この舞台を観た後のそのセリフは本当に、本当に重たいとおもって。いろんな舞台があるけれど、人生を変えてくれる舞台はあるから。その、人それぞれに。世の中でよいとされているものがみんなに良いわけではないけれど、人生を変える舞台はあるから、絶対にあるから、だから、だからやっぱり失くしちゃいけない。その、ほんとに、オンラインで観れるからっていうことじゃぜんぜんないんですよ。やっぱり。それとこれとは全く話が違っていて、なくならないでくれって思いましたよ。やめた人いっぱいいるだろうけどね。私も前みたいにはできないですし。うん。ちょっといろんなやることを変えていくんだけれど、でも。
👨昨日もなんか、稽古場で、なんか60人とか70人とか感染したとかっていう事故もおきたことだし。
👩ええっ、それ私知らないです。マジですか。
👨なんか大クラスターが。
👩いやいやいやいや・・・。
👨クラウドファンディングまでやって。ちょっと調べたんだけれど、10月末くらいに公演をやろうっていってたのが、どうするんだろうっていう。
👩きつい、きつい、きついよ。
👨だからコロナって凄く怖いとおもうんだよね。だって、その人たちだって、そんなにいい加減なことは多分このご時世でやっていないと思うんだよね。
👩してないと思いますよ。信じたい。中途半端なことをしていたら馬鹿だもの、してないと思うよ。だけど、うつる時はうつるんだよ、なにしてたって。
👨だからやっぱりそういう意味では常に緊張と覚悟をもって劇場にいかなければいけないなぁって。
👩私、9日の観劇のあと、電車に乗っても全然戻ってこれなくて、現実世界に全然戻れなくて、頭がぎゃぁーーっとまわりすぎちゃって、ちょっと冷静でいられなかったので、一杯だけお酒を飲んで行こうと初めて地元の方で調べてバーにいったんですよ。そこで飲んでいらした方が「もう完全に普通じゃないですか」って言ってて。その人の世界では多分もうコロナって終わっていて、もう別に普通ですよって言っているんだけれど、立っている場所で世界って全然違うんだなぁって。私はまだまだ真っ只中だとおもっているんですよ。やや、やや緩和っていうか様子を見て動くことができるようになった・・・ではあると思うけど。身近なね、舞台やエンタメ界隈はやっぱり全然終わってないですよね。でも終わったと思われているのも怖いなと。もちろん命が大事、命にまさるものはなにもないんだけれど、ないんですよ!、ただ、死ぬのは命だけではないと、失うのは命だけではないとおもっていて。長い目で見れば、長い目でみなくてもっ、芸術が死ぬと心が死ぬので。
👨うん、そうだね。
👩中にはなくて平気っていう人もいるかもしれない。でもね、私、それはないと思うんだ。なにもなくね、芸術やエンタメや、そういうものが何もなく、人間は生きていけないとおもうから。
👨私も10月になってあれよというまに生観劇の本数が二桁いってしまいましたけれど、舞台のね。でも一回一回はやっぱりね、それだけは自分に対して課していることとして、絶対に観るたびに緊張感を忘れてはいけないと思っているの。
👩うんうんうん、いやぁほんと、大事なことですよ。
👨一本観るたびに慣れちゃいけないと思うし、で、慣れちゃいけないと思うから一回一回やっていることは、その人たちはちゃんと見てるし、で、それが怖いと思うことがあって知り合いのひとがいたら伝えるし、こそっとね。劇場でではないけれど、あとで連絡をとったこともあるし、その中でこういう風にしないと怖いんじゃないですかとかいったこともあるし。だけどその緊張感は絶対忘れてはいけないけれど、でもね、やっぱり、いままでそのずっと何ヶ月間か、家に籠もって・・、まあ、ある意味いいことも沢山あったのだけれど、良い配信とかもね、根本宗子さんみたいに全く新しい感覚の世界を作った人もいるし、あれなんだど。でも、だからといって劇場をただ休んでいてそれで良いかというと絶対にいけないとは思っているし、休めば休むほどきっとそういうものは風化をしていくのではないかって言う怖さっていうのを私はもっているし・・。
👩うん、そうですね。そうなんですよ。
👨だから今月10本とか15本、場合によっては今月20本観るかもしれないけど
👩うふふふ、いっぱいみますね。
👨だってさ、みんな雨後のたけのこみたいにやり始めるんだもの。でも、そうであったとしてもその一本一本っていうの、そのお芝居が一期一会であるように、その注意っていうのも、そのお芝居ごとに緊張感をもつのも一期一会であるべきだと思うんだよね。それだけは忘れちゃいけない。
👩そうですね
👨それは観るほうも作る方も。ウィズコロナっていうのは多分そういうことだと思うんだよね。
👩うん。あのね、緩むのよ。どうしたって緩むのだけれど、みんなが外に出るようになって、それって少ないんだけれどね、限界ってあると思うの。自粛限界。だけど、いいじゃんまわりにはいないんだしとか、みえないしとか、変化がわからないしとかは・・。やっぱり慣れちゃいけない。変化した良いものを選んで動く事と慣れは違う。
👨慣れるにしても、劇場に入る時に自然に両手が空いていて自然に消毒液を受ける体制になっているとかね、そういう慣れはいいのよ。そういう風に慣れていかなければいけないんだけれど。そうなったとしても常にそこから意識が抜けていってしまってはだめ。
👩だめですね。改めて考えましたよ。
👨だから携帯電話をお切りくださいって言うがごとくに、ちゃんとそういうコロナ感染防止をここまでやりましたっていう報告が当たり前になっているのが、それはウィズコロナという意味ですごく良いことだと思ってるのですれどね。劇場にいくたびに。
👩それとね劇場が凄く静かでね、私はそれが凄く嬉しかった。快適だった、正直。で、休憩後はね、やっぱり我慢ができなくなって、私語を控えましょうって書いてはあるんだけれど、無理なんよね。あの、人間はね。
👨人はね、会話する動物だから。
👩休憩のあとはやっぱりね、何人かいて。締め付けすぎも良くないかなと思わなくもないけれど、思った以上に響てるし、やっぱり気になるんだよね。あれ、喋っていると。
👨たしかにね。
👩折角だから享受していこう、その静けさってなかったことだから。劇場の客席がさ物凄く静かでしーんとしていてさ、舞台のセットだけあって、で、音楽が、音がちょっとだけ流れていてみたいなのってさ、なかったから。場所にもよるけれどね、場所にもよるけど、ある場合もあったけど、でもあそこまでは・・、凄い静かだったから。
👨そもそも人数が半分だしね、あそこは、トラムは。
👩そうそう、あとそれも、大変だと思うっ…劇団さんが大変なのは重々承知しているけれどっ…でも正直私は快適だった。
👨そう、観やすいんだよ。
👩となりに人がいなくって、そう、あのさ、やっぱり狭いんだよ。客席狭いんだよ。あの、しかも、しかもですよ、体の大きさって違うでしょ。
👨うん、そうだよね。
👩やっぱりあるんだよ。わたしはそんなに体がおおきくないので、あの大きい人が悪いとか小さい人が悪いとかの話じゃないんですよ。事実としてね、やっぱり、やっぱりうーんってなるし、あとさ、客席部分が大きいところとかは、席がいっこあったよみたいなところは違うけどさ、歌舞伎座でさえさ、近いじゃん隣の人。
👨まあね。
👩あのね、やっぱりねっ!ちょっと狭いんだよ、ちょっと狭いんだよぉぉ!いやだ、きぃっとなる。パーソナルスペースにがんがん入ってくる距離なんだもの。
👨だって、小劇場は昔はみんな小さいスペースで体育座りをして観ていたのがもともとじゃない。
👩そうね。
👨昭和時代は・
👩小劇場はさ、しょうがないところがある。観に行く段階で覚悟する。でも抵抗ある時あるっ…小劇場のびっちり時間。フェスとかならまだしもさ、私、一回桟敷ね、地べたの最前席で舞台2時間みたんですけれど、すっごい狭いところで。ほんと一番前でね。もう腰が爆発するかとおもったんですよ、痛すぎて。しかも凄い混んでいて。もう動けないのね。でも後ろに人もいるから、桟敷で後ろに人がいるんですよ。
👨ああ・・。
👩だから動くと邪魔なのね。だけどごめんなさい、もう無理。で横もすごい狭いから、ぎちぎちだったから、あれはね、だったら出してくれって思った、私。腰が痛すぎて。もうね、冷や汗。冷や汗ですよ。
👨だから桟敷に座るくらいだったら立ち見のほうがまだ楽なんだよね。
👩いや、ほんとそう。いや、これあれですよ。これ凄い昔だからあれだけどね、お手伝いに行っていたんですよ。
👨ああ、なるほど。
👩なんか二日間かな?行ってたんですけれど。で、観せて頂ける日に劇場入ったらそこだったんですよ。逃げ場がないでしょ。もう座るしかないし、そこしか空いていないし、もう私待ちだし。でもね、その団体とかは全く悪くないですよ、もうしょうがないからね。まあまあね、ちょっと相談してくれとはおもったけれど。
👨あはは。
👩もうしょうがないの、それは。だけど、体は無理だから、腰は爆発するから、本当にしんどかった。後半全然話なんか入ってこないの、痛すぎて。
👨だから今、ほんとうに桟敷って言うところはすくなくなったよね。昔に比べれば。
👩桟敷を作る前に人を入れられないしね。
👨今はね、特にいまは。だけどコロナが始まる前にもだいぶ減っては来ていたよね。
👩だからさ、もっと、もっと補助くれって思う。その、文化活動っていうことで、どこまでできるかわからないけれど、劇場にも補助してあげてって思う。家賃補助とかしてあげてくれよって思う。
👨おとといね、青年団系っていうか、関西の作家の方の作品を平田オリザさんが演出したものを高円寺でやるっていうのを観に行ったんだけれど(『馬留徳三郎の一日』)、座・高円寺は遂に座席に間を取らず観客を入れ始めたんですよ。まあ、国の規制として80%っていうのがあったみたいでまわりの方は少し人がいなかったけれど、真ん中のほうに全部集めて入れ始めたんですよ。
👩ああ、そうなんだ。
👨そしたらね、最後、拍手がもう全然違うの。
👩そうよなぁ。
👨うん。べつに桟敷のありなしはないに超したことはないのだけれど、あの多くの人が空間を共有するっていう感覚を持つためにはやっぱり人はいるんですよ。
👩そうそうそう、今の減らしていることが良いっていうわけじゃないんですよ。もうちょっと席広かったら良いなっていうだけで。人数は欲しいのよ。作り手と観てくださる方がいて初めて完成するから。舞台。本当にそうだから。
👨共同作業だからね。ある意味。
👩うん。作っているから。みんなまとめて演劇人だから。作ってるひとだけが演劇人じゃないから。観ている人もやっている人も全部ひとくくりで演劇人だから。演劇人・・、もうね、なんかね、そういうところまで考える話だったんだ。まじで。本当に観て欲しかった。私何人かには言いましたもの。serial numberの『All My Sons』を観てくれと。また、タイトルよ、タイトルですよ、おじさん。『All My Sons』ですよ。
👨うん。
👩全員、息子だと。またそういう台詞あるんですけれど。だからその、ね、手紙をさ、読むわけ。お父さんとお母さんが最後にさ、弟のね。そしたら許せないって、その弟がね。父が捕まった新聞をみた、何で捕まったのかも。毎日死んでいく仲間たち、毎日誰かが帰ってこないのに許せないと、どうしてよいのかわからないと。父親を目の前にしたら殺してしまいそう。だから責任を果たさせるために、田舎の家に閉じこもって責任も負わずに生きるのではなく、外に目を向けて責任を果たしてほしいと、果たさせるために弟は自殺をしたんですよね。飛行機でね。そう決めて。
👨自殺というか乗ったんだよね、飛行機に。
👩乗って。でもあれはどっちか分からなくないですか?
👨だから、弟・・、まあ、そこは、私最後まできっちりとれてなくて。
👩わからない。
👨まあ、それどころじゃなかったので、あの場面になると。だけど、要は、結局、父っていうのは、息子のためってやったことがことごとく裏目にでているわけじゃない?ある意味。
👩しかも、しかもね、弟のその手紙を読んでお父さんは言うんですよ。家族だからと思っていたけれど、息子に言わせるとみんながおれの息子だったってことなんだろって。だからね、お父さんはね、薄々わかっていたんだろうと思うんだよ。乗ってない、乗ってないといいながらも息子は自分が殺したのかもしれないと、自分が誤魔かさせたその部品のせいで殺したのかもしれないと思っていたのが、そうではなくて、自分の息子だけの話ではなく、死んだ全ての青年達の父親だったと。それだけの人を殺したと。その、なんかね、それが家族を信じて、もちろん自分の息子からの事実というか、それは受け止めきれないとおもうけれど、そのね、初めて目が覚めてみてしまった責任の重さというか、やったことを初めて見て受け止めきれなかった・・、お父さん。初めて見たのだと思う、ちゃんとね。目に映すとか言うことではなくて。初めて見たから。自殺したんだけれど。
👨お父さんはお父さんの価値観で、自分は正しいっていう歯止めは常にずっと持ち続けていたよね。だから、それを結局失ってしまったからっていうことだから。で、結局家はある意味ばらばらになっていくわけじゃない。クリスは家を出るって言ってるし。なんかね、でも、あれって一日劇じゃない。そんなに長い時間をえがいているわけではなじゃない。一日半ぐらいか・・。いや違う、一日にもなってないよね。
👩ああ、そうですね。
👨そういう中でいろんなことを凝縮する戯曲の力って凄いなぁって思って。そこから、得るものって父親からだけじゃなくて、私、意外とアンの世界というのにもすごく興味があって、と言うか惹かれていて、そういう中でも彼女は自分の考え方で生きていこうとしているわけじゃない。お兄さんの言うことにも同意せず。
👩そうですね。
👨だからそれも含めて、世間はそうなっていって・・・、単純にこの人がそうなっていくっていうことが同一価値観での勧善懲悪の物語ではなくて、いろんな人がいろんな価値観でそういう風に生きていくっていう物語っていうのは、やっぱり、こう、スペクタクルっていうのはちょっと違うのかもしれないけれど、もらい方が単純ではないよね。その中で戦争の波紋というかそれが導き出す不条理が実感となって、だからこそ、あれだけ大きいものが終わっても消えないで残る。たぶんひとつの、たとえばこれはこうだったというだけの話だったら、こういう顛末でしたっていうだけの物語だけだったら、割と簡単にそうでしたねでうなずけるのだけれど、単純に頷けないんだよね、この舞台に置かれた世界って。でもそこの深さがあるからこそ生まれてくるものがあるのだろうなという気がしました。だからこれはやっぱりもの凄く優れた舞台だったのだと思う。
👩いやぁ、ほんとうに、本当に。
👨詩森さんのいろんな舞台をみていて、やっぱり間口がいろいろに広くて。で、間口がひろいのだけれど、広いだけではなくてそれに見合った奥行きがきっちり置かれるよね。あの人の舞台っていうのは。それはもう、今回改めてつくづく実感しましたね。
👩うんうん。
👨またその奥行きって言うのをちゃんと一個一個に合わせて、うまく作っているしね。生理用品の話の時には生理用品の世界でのみえるものから感覚をちゃんと作っていたし、金融関係の話の時には金融関係からみえるものを作っていたし、アイスホッケーの話の時にもちゃんとその世界からみえる、でもその世界からしかみえない奥行きっていうのをちゃんともらっていたのだなぁって思う。それを思い出しつつ詩森さんの力っていうのを改めて感じましね。
👩毎回想像超えていくからな、みんな観て。serial numberを観て。
👨しかもただ一方向にどんどん良くなっていくわけではないからね、あの人。
👩いやぁ凄いなぁって思って。もう最高に好きです。大好きですね、serial numberさんの作品。次も楽しみにしています。みんな観てください。次の予定も出ておりましたよ、serial numberさんの
👨なんか。serial numberさんのスポークスマンになってますけれど、うふふ。
👩あははは、回し者じゃないよ。本当に。
👨スポークスマンというか宣伝課長になっていますけれど。
👩宣伝課長、あははは。本当に観て欲しいんだぁ。一回観て欲しいの。それでね、合う合わないはあると思うんだ。みんなに合うものなんてないから。いいの、いいよ、当たりまえ。でも、いろんな舞台を観る中での選択として一回serial numberどうですかっていうこの提案です。強めの提案です。どう、次どうっていう・・目の前にフライヤー出して、こう。あはは。
👨わかりました。そろそろ一時間たって、定められた時間なので・・
👩あ、はい。そうですね・そろそろ。
👨あの、次回また、同じような形で、別に同じ演目を観にいくやつがいっこあるのかな。それも同じようにお話ができればと思いますので。
👩つぎは何でしょうね、もう言ってもよいとは思いますけどね。
👨次は木ノ下歌舞伎を観に行きますので。
👩木ノ下歌舞伎さん、楽しみですね。うん、大変楽しみにしております。
👨あれも全然別のベクトルで凄いお芝居なのでね、楽しみにしております。
👩いやぁ、ちょっとね、とっちらかったところもありますが。
👨まあ、生収録ということもありますから。
👩ですね。よかった、いいものを観たぞって言うことで。
👨はい。うふふ、ではでは演劇のおじさんでした。
👩おねえさんでした。
👨👩おやすみなさい。

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