大宅壮一さんの慧眼、50年前の大阪万博開催と大阪都構想
新聞に大宅壮一さんの「サンデー時評」(サンデー毎日)1965ー1970年までの復刻版が出版されたとの記事があり、50年前のことを知りたくなった。残念ながらその本はまだ図書館に入庫はなく、かわりに大宅壮一全集を借りた。
パラパラとページをめくっていると、
「万国博はギャンブルだ」(昭和41(1966)年1月16日号)
というのがあった。
4年後の開催にもかかわらず、「大阪の万博」を強調しすぎて全国的な盛り上がりに欠けること、内外情勢の不安(ベトナム戦争、印パ紛争など)などから、この状況から「ギャンブルだ」と評している。
また、大阪府と大阪市、それにまわりの衛星都市がそれぞれに意見が対立し、勝手に自治体を運営しているとして、「この機会に大阪府、大阪市、衛星都市を一丸とする広域行政に踏み切れないものか」という。
ひるがえって現在、新型コロナによるオリンピックや万博開催への疑問視や不安視。先に住民投票がなされた「大阪都」構想。
50年前に大宅さんが同じテーマを論じているではありませんか。なんたる慧眼。
「歴史は繰り返さないが韻をふむ」(マーク・トウェイン)
ということでしょうか。