「年賀状仕舞い」のこころ ②内容がないのに出すから面倒なのだ
「年賀状仕舞い」の結果、友人を絞り込むのはリスクが高い。こちらからおつき合いしたい「時」に友人は大事なのです。培った資産をみずから捨てる必要はありません。でも、年賀状は決まった時期に、しかも内容がないのに出すから面倒なんですね。
「おつき合いを断ったら二度と誘っていただけなくなる」
と辞職した政府広報官は言っていました。
ラインなどを利用して、こまめ(筆まめ)に友人に「たより」を送っている同僚がいます。
「欲しいときに、欲しい人に、欲しいことを」
我がままですし、かなえられるかどうかはわかりません。でもこれが本音です。そのために、糸は切らない。だから、仕舞わない。
今の殺風景な、おざなりのわたしの年賀状。もう少し、効果的にできないのかと考えました。
「(ほぼ)毎日note」です。
描き始めてどれだけ続くか、途中で放り出すのもみっともない話なので、近しい友人にもまだ知らせていません。今年後半になると1年以上続けたことになります。その頃はもう大丈夫でしょう。
来年の年賀状には、#ojinseye のハッシュタグをつけて出そうと思います。noteは年賀状のためじゃありませんし、毎日描いているのだから「生き(活き)ている」証左になりますよね。
同じ問いになります。「毎日note」が途切れるようなことがあれば、心配してたよりをくれるでしょうか?
杞憂はありますが、それを道具にして「わたしの友人」をあぶりだすことはしません。