もうひとりの自分が忘れていいと言っている
「またやってしまった」
そのとぎれた記憶を取り戻そうとして、時間の順をおって振り返る。あるところまでは再生できるのだが、そのうちビデオの映像が静止画になり、それがつながらなくなって、とびとびにしか出てこない。外でお酒を飲んだとき記憶が途切れることが多い。自分を監視するもうひとりの自分が要る。
先日の社内ゴルフコンペの帰り、気がついたら電車の終点から折り返していた。
プレーが終わってクラブハウスで軽く直会をやったころまでは再生できる。支払いをすませて送迎バスに乗るあたりから怪しくなった。駅近くで飲み直しと入った店からは静止画になり、電車の中でnote投稿しようとスマホのキーを押したところで終わった。
その記憶自体が頼りないけれど、これまで数知れずの空白時間を整理すると、途中で寝入ると記憶が途切れ、消えるのを助長するようだ。
アルコールは記憶を低下させることは知られている。でもその消えた記憶は嫌なできごとではなく、それを忘れようとした憂さ晴らしなどの楽しい気分が消えるのだそうです(1)。
嫌なこと、怖いこと、これを忘れ去ってはいけないということらしい。生きていく上の本能なんでしょうね。
これを逆手にとれば、記憶にない空白の時間は、嫌なこと、怖いこと、他人に迷惑をかけたことは「ない」と解釈できないでしょうか。つまりその時間はわたしにとって「楽しかったこと」「安心できること」。だから、こつぜんと消え去った。
幸いなことに、これまでの数多い空白の時間に対して、他人から大きなクレームはなかった。なかには「飲んだ席のことだから」で済ませてもらっているのかもしれませんが。
自分のなかには、もうひとりの自分がいるといいます。その彼が「その時間のことは忘れていいよ」と言ってくれている。
こう心の整理をつけて、今週をスタートしました。
(1)「お酒を飲んでも嫌なことは忘れられない?」松木則夫、東京大学大学院薬学系研究科教授
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_200228.html