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イロハのイ、「お布施」という概念
社会人、会社人としてのイロハのイは就職した会社で学んだ。ノンポリ学生気分がぬけない新入社員を待っていたのは「お布施」という概念だった。仕事にはかならず客がつく。よい仕事をすればお金をはらってくれる。その額はお客がきめるもの、そう、お布施のように。
入ったのはモノづくりの会社。モノを販売するのには定価がある。値引きをするにしても、価格は売る側がきめるもの。これがふつうじゃないの、と新入社員は思った。
品質と性能がモノの価値でしょう。たとえば、テレビ。写りがよければ高いし、大きいのはもっとする。同じ性能のテレビの付加価値を上げろとはどういうことなのか。
テレビはそのままじゃ写らない。アンテナをつなぎ、周波数を合わせ、スイッチをいれればすぐに見たい番組を見れるようにする。写らなくなればすぐに飛んで行って状況をみてあげる。そう、売りきりじゃない、サービスだという。
商品は工業用薬品だった。お客の現場で、一緒になってうまい使い方をやってみせる。使い勝手が悪ければ一緒になって改良する。お客の製品に不良がでれば一緒になって考え、改善する。”hands on”で、客のモノづくりすべてにかかわるサービスをする。これがお布施につながる、という。
お布施。同じお経でも、そのときどきで、ありがたければお布施をはずんでくれるし、また来てくださいとよんでもらえる、という。でもねえ、メーカーに入って「お布施」だとは思いもよりませんでした。
そんなものかと、いろんな疑問は感じながらも、先輩の後ろをあるき、また、自分の後ろにも人がきて、日々それを繰り返した。長年経って、これは「あたり」だと確信しています。
しばらく前ですが、ドイツの同業メーカーの社長と会う機会があった。そこの社是は、「サービス、サービス、サービス」と3回も繰返す。「お布施」話をしたら、通じたのかどうか、真顔で何度もうなずいていた。