東大生である価値
東京大学が入試選抜に学校推薦枠をとり入れて6年が経つ。東大生が東大生である価値は最難関の試験を突破したこと。推薦枠で入学が認められればその価値に毀損が生じる。そう言う人が当時いたのを思い出した。今もそうなのだろうか。
わたしも推薦枠で入学した。もちろん東大じゃない。もっとも昔からその枠があったとしても、とても届かないけれど。高校3年の半ばをすぎても本格的な受験勉強ができてなかった。とても今年のものにはならないとあせりはじめた秋、名の通った私立大学工学部の推薦枠情報を聞いて、1日考えたあと手を挙げた。それだけだった。
同級生の仲間は志が高く、だれも応募しなかったのが幸いした。
大学に入ってみると、付属高からエスカレータで上がってきた連中、同じ推薦枠の人、それに試験を受けた正統派。同じくらいの人数割合だった。
「お前は楽をした」と1年遅れで同じ学部に入ってきた高校の同級生に言われた。そう、楽をして入ったのは確かだが、入ってからのほうが大変だった。一部の優秀な推薦組を除いて、試験パス組のほうがやはり学力が上だったように思った。
わたしが苦労したのは物理学だった。もともとが苦手科目で、受験では選択しないつもりだった。それでも、力学はなんとか帳尻をあわせたが、電磁気学はお手上げ状態。必須科目なので最低ラインでとおしてもらって留年はクリアした。
入試で楽をした分、入ってから背負わざるを得ず担ぎ上げた。1-2年たてば推薦組も試験組も入学時の差がなくなり、卒業時の差はその後のやる気だったと思う。
東大生の価値は受験の試練をパスしたことだけじゃないだろう。受験テクニックがそのまま価値に反映されることはない、6年たってそんなレポートは出ないのだろうか。